第21話 鳴間綴の七月十一日➁

「お前もお前でなかなか性格が悪いよな……」


 綴が帰宅したのは、午後五時を過ぎた頃だった。物置きにされていたテーブルは片付けられていた。代わりに料理が二人分、向かい合うように置かれていた。


 椀に盛られた白米。豚の生姜焼きはキャベツの千切りが添えられていてマヨネーズは多め。具が同じの味噌汁。小鉢には揚げられたブロッコリーとスライスされた玉ねぎが薄い琥珀色の液に浸かっていて薄切りのレモンが添えられていた。


 玲は座っていて、食事を始めていた。


「基本的に料理とは用意された瞬間から劣化が始まっています。昨日も伝えました。さっさと食べてください」


「そこで食いたくない」


「残してもいいので食べれるところまで食べてください」


 毬奈は玲へ事情を話していたはずだった。詮索されるのが鬱陶しいのでそれはよかったが、利用して嫌がらせをしてくるのが気に食わなかった。


「妖怪ゲロ食い男がお前を殺すかもしれない」


「食事中にそういう話はやめてください。あと、その自虐は面白くないです」


「だから毬奈に説明させたんだよ。不幸話は本人が語ると、憐れんでくださいってうざったく思われがちだからな。多少違ってても、そっちのがずっと余計な感情を排除した情報として記憶されるはずだし」


「イキらないでください。あのですね……あなたに帰る時間を尋ねたらこの時間だと言うからこっちは用意をしたんです……本来ならもう少しあとに毬奈ちゃんのぶんと一緒に作るつもりでした。二度手間なんです。食べてください。ほら、味が劣化している。早く!」


 玲の料理が特別平凡なものだったなら、きっと無視して部屋に戻っていた。けれど、美味いのを知ってしまっていた。しかも好物だった。毬奈がリクエストしてくれたのだろう。無下にするのもなぁ。と、綴は席に着いて箸を持った。


 箸でマヨネーズを生姜焼きに塗ってから一口齧ってから続いて米。相変わらず美味かった。味噌汁も二日目なのにこれが欲しかったと思わせてきた。


「マヨネーズ。なんかいつもと違う気がする」


 気に入らないと思われたのか、玲は食事の手を止めて睨んだ。


「いや、美味いって意味だよ……なんていうか、生姜焼き専用のマヨネーズって感じがする」


「そう作ったので」


「天才かよ……この小鉢のやつは?」


「南蛮漬けです。本当は鮭の切り身も使いたかったのですが、贅沢しすぎるのもよくないかとそれだけにしておきました」


 甘酸っぱい。ちょっとくどいと文句を言えるポイントを見付けられたが、すぐに玉ねぎとレモンの酸味が調和させて疑問点を消した。適切で適当。つくづく、料理人を目指せばいいのにと思わせてきた。


「お前が帰ったら、俺は通常の食事に満足できずに別の意味でつまらなくなりそうだ……」


「作り置きしておきますよ」


「頼んだ。朝と昼もちゃんと食えばよかったな……」


「夕方前に出ていくときに眠そうにしていました。休日だからと生活リズムを崩すのは如何なものかと」


「来週の水曜までに提出の課題をやってた。終わったら夜中だった」


 生活に陰陽師が割り込んできたことによる弊害。玲も理解したのだろう、強く当たって来なかった。黙食を続けながら、最後にキャベツに千切りに生姜焼きのタレを和えてからマヨネーズを塗った。タレのこってりとキャベツのさっぱりは混ざったこっさりした最高のシメだった。


 玲はそれぞれの空の食器をキッチンへ運んでいった。戻ってくると、湯飲みが二つと急須の乗ったトレイを手にしていた。席に着くと、緑茶を注いでから湯飲みをそれぞれの前に置いた。


「こんな食器も緑茶も家には無かったぞ……」


「買いました。食器は百円均一のものです。帰ったあとに邪魔なら捨てておいてください」


「そ、そっか……そういや、玲って食事のときに飲み物を出さないよな」


 綴と玲は緑茶を同時に緑茶を飲んだ。頻繁に口にしているものじゃなかったのに、身体にあっているように嫌味を感じないのが、自分がこの国で生まれ育ったのだと再確認させた。


「汁物があればよくないですか?」


「家庭のローカルルールによるズレか。そう言われるとそんな気がしないでもないな。俺はあったほうがいいが」


「……私は泊まらせてもらっている身。不本意ですが、次からは用意しましょう」


 わざとなのか、隠せなかっただけなのか、どちらにしても玲は従うがものすごく嫌そうだった。


「頼んだ。あと、もう一つ頼みごと。俺の予定じゃ表の事情をすべて知ってから、裏の事情を開示してもらって擦り合わせるつもりだったんだ。けど、表を知れば知るほど裏と整合を取れなくなりそうだった。一回、整理しておきたい」


「舐めすぎですよ」


「うん。舐めてた。反省。そもそも目的も定まってないのに人間関係だけで解けるわけなんかないよな」


 才能があれば、適当にやってればなんとかると自惚れていた。きっと玲はこれ見よがしと鬼の首を取ったように文句を並べるのだろう。


「では、せっかくなので陰陽師の歴史から語るとしましょうか」


「う、うん……」


「なんか引っかかっていそうですね……先にそちらに答えましょうか?」


「いやいい。続けてくれ」


 妙に今日は優しい気がした。噛み付いて来ないならそれに越したことはない。まぁどうでもいいか。と、本題を優先した。


「六〇二年に誕生し一八七〇年--明治三年まで陰陽師は国に認められた存在でした。陰陽寮という機関も正々堂々と構えていた。今でいう、省庁と官僚だと考えてください」


「その間は何をやっていたんだ?」


「全てを語ると数日かかるのでざっくりになるのですが、今でいう理化学研究所ですね。学術機関でもありましたので。当時は、科学という概念がなかった。めんどくさいことはすべて怪異のせいにしていたということです」


「だけど、陰陽師は令和の世にも現存していた。明治三年に廃止されたのには国民の知らない事情があったぽいな」


 玲は頷いてから湯飲みを持って喉を潤した。


「一つは元素記号に敗北したから。もう一つは、長い歴史のせいで流出してしまった秘匿していた儀式を人が乱用してこの世が壊れてしまいそうだったから。人が不幸になる事案があまりにも多すぎたと伝えられております」


 いつの時代も陰陽師の手が足りたことはなかった。おそらく、今よりもずっと足りていなかったのだろう。


 当時はもっと怪異で溢れていたようだった。現代のように情報化社会になっても続いていてば、きっと世界は別の形になってしまっていたのだろう。


「現代よりもずっと昔のが逸話も多いしな。だったら、怪異なんてまやかしだって、国が否定してしまえばいい。陰陽師は怪異の専門家。そいつを国が否定してやれば、怪異ごと否定したようなものだからな」


「ただし、それはそう認識させる為に嘘。それだけで怪異が消えるわけではありません。秘密結社として国から独立させられただけ。引き継ぎは、ここ数年話題の人物がやってくれました」


「日本経済の父、渋沢栄一な。新一万円札になるときにどこも特集してたな」


「徳川最後の将軍とも付き合いがあって、明治なってからも国の重要人物と繋がっていた。起こした企業は数知れず。理研も渋沢さんが出資しているくらいですからね」


 現在の陰陽師の父でもあったとは、先見の明がありすぎた。実際、現代人は怪異に対して懐疑的で逸話もずっと減っている。怪異を減らすという目的は達成されていたようだった。


「国民はどうやって騙したんだ?」


「一八七〇年十月十七日。明治政府は天社禁止令を発しました。要は、陰陽師に関することは全て嘘。それらの残したものを使用するな。臭い物に蓋をしただけの強行ですよ」


「でも、当時の人らは陰陽師の残したそれらを悪用し始めていた。暴動とか起こらなかったのか?」


「起こりましたよ。明治六年の元旦から日本では現在主流のグレゴリオ暦の使用を国民に強制しました。西暦のことですね。ついでに大安吉日吉凶などの六曜まで禁止。これは陰陽師が作ったもの。勝手に禁止するなと国民は大激怒だったとか」


「収拾が付かなそうだなぁ……というか、今も復活してるくらいだし」


「それくらい浸透していたものでしたから。吉凶付きの暦注は迷信である。明治政府のアンサーはこれでした。迷信とまでっきりと断言した。これはもう断絶。そこまでして人と怪異を切り離したかったという名残です」


「そういや、それだけ根強く日本に存在していたのに、陰陽師って授業でやらないよな」


「当時の教科書には陰陽師の悪口がたくさん書かれていましたからね。神社仏閣での儀式の使用まで無意味な形になるよう訂正か禁止。これは表には出ていませんが、抗った者は殺されています」


「陰陽師を支持する者を陰陽師が殺したってことな……」


 だから教科書にも陰陽師は扱われなくなった。殺されたくはないから。そう噂が流れれば、陰陽師のことを知ると自分もそうなるとみて見ぬふりをする。


 現代人は怪異よりも陰陽師を信用していない。不思議なことが起こっても正式な歴史として存在していたものよりも曖昧な怪異のせいだと認識してしまう。


 そっちのが、こうして動きやすくなるからだろう。


「廃止されたからは何をやっていたんだ?」


「まずは、技術の断捨離。そして、新体制による役職の変更。陰陽頭を上に置いてはいますが、それ以下は当時とは別の指揮系統になっています」


「今の陰陽寮は明治までと同じって考えないほうがいいっぽいな」


「えぇ。実は、人が妖怪になることは、天文学的な数字にまで落ちているんですよ。逸話をなぞって願いを叶えようとしなければ、度胸試しだってやらない。現代人は怪異に否定的になれていますからね」


「走ることに拘ってたやつが、相方を消失を兎の近くで嘆く。場所は山口県。人が峠兎に妖怪変化する条件はこれだった。他の逸話も大体こんな感じ。試さないなら起こらない。偶発しかしないなら。確率はすげー低そうではあるな」


 けれど、桐生からは花が咲いた。令和の世には令和の事情というものが存在してしまっているようだった。


「二〇〇〇年くらいでしょうか、便利で迷惑なものが普及してしまいました。インターネット。そこには罵詈雑言、誹謗中傷、恨み妬み嫉みが、つらつらと並んでいる。人の穢れが急激に広まってしまった。そして、大昔ではほとんどの人間が使わなかった迷惑な儀式が同時に普及。『言霊』。嘘から出た真。嘘を事実に変えてしまう怪異。桐生恋歌さんから花が咲いてしまった原因はこの儀式です」


「つまり、現代の怪異はほぼ全て言霊が原因で、峠兎の件はすげーレアケースだったってことか。そりゃ、式がそもそも間違えてるな。通りでわからんわけだ」


 玲はスマホを取り出すとテーブルへ置いた。


「平成後期から今日この日までずっと裏のトレンドは言霊。あなたが考えているよりも、この国はなかなかに壊れかけていたというわけです」


「言霊の条件を教えてくれ」


「神社で願い、そうであると見せかけること。対象を知る者の半分以上がそうだと認識することで発動すると考えられています。いいねの数は、そのいい目安となってくれていますよ」


「桐生の件はネットを経由してない。けど、花が咲いた。学校のやつらの大半はそうだって認識してしまっていることな」


「祓う条件は、言霊の術者、神社で願ってしまったものを特定し、後悔か敗北を認めさせること。人を呪わば穴二つ。すれば、穢れは術者へ還って妖怪変化。祓うことが可能。そこまでしていただければ、あとは私と妖狐の出番です」


 桐生から、もしくは人体から花が咲く姿を見たいと願った。その願いが桐生以外の園芸部の誰だってよかった。細井が向日葵の種を流行らそうとしたなら、それに乗っかれば成立してくれていた。


「会っていないのは、あとは根岸さんだけ。そっから見極めて、術者を特定。あとは、どうやって引っ掛けるかだな」


「難しそうですか?」


「やってみないとなんともだけど、方法手段は問わないでいいならやり方は無限にあるようなもの。課題、更に先のまでやっとくか……」


「夜食、何か作っておきましょうか?」


 やっぱり、いつもと違って妙に気を遣ってくれる気がした。


「……なんか、今日のお前はおかしいぞ」


「そうですか? 私は綴を嫌いですけど」


「気のせいか……じゃあなんかサンドウィッチぽいやつとスープっぽいやつ」


「ぽいやつってなんですか……もう好き勝手に作らせてもらいます」


「それでいい。お前の料理は何を食っても美味そうだからな……」


「あなたこそ私の料理を食べてから様子がおかしいですよ」


「いやいや、お前は嫌いだけどお前の料理が好きなだけだから」


「左様で。では、昔の体型に戻るほど太らせて差し上げましょう」


 それは大歓迎だったが、痩せるのにどれだけ苦労するかは知っていた。もうあの食事は嫌。美味しいものに慣れてしまうと戻したくなくなってしまう。


 それでも食べたくなるものを用意してくるのが、嫌がらせのようで少しむかついてしまった。

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