第20話 鳴間綴の七月十一日①

 陰陽師はいつ忙しくなるかわからない。ただでさえ手を焼いている課題は時間のあるときに終わらせておくに限った。


 眠くなるまでやれるだけやったせいで、起きたのは午後三時を回っていた。だらだらと身支度を終えてから、細井の家業である花屋に到着すると、シャツとジーパンにエプロン姿のギャルが店先の花の手入れをしていた。


 前の部長で細井の姉だろう。会釈をすると、ギャルは怪訝そうに首を傾げた。


「ギャル子先輩に誘われて園芸部に入りました。細井くんに挨拶しとけって来たんですけど……」


「あー、なんかサプライズとかプレゼント箱の絵文字付きで連絡きてた。ごめん、年上が好きなんだよねー」


「そうすか……なんか、すみません……」


「ふざけただけだって。呼んでくる。中で待ってて」


 店内は湿気が多く緑の匂いが濃かった。どこに目をやっても植物が視界に入ってきた。細井の姉は、白いテーブルセットを指差した。座っておけということだろう。


 そうして待っていると、少し年上の色白で細身な背の高い男子が現れた。エプロンをしている。手には缶コーヒーをそれぞれ持っていて、テーブルに置いてから反対の席に座った。


「すみません、急に来て。鳴間です」


「俺は細井。挨拶に来て嫌な気なんてしないって。それ、飲んでいいぞ」


「どうも」


 細井が口にしたので綴もプルタブを開けた。そういや、缶コーヒーって初めて飲むな。というか、コーヒー自体が初めてだな。と、意外と甘ったるいことに衝撃を受けた。もっと苦いと思っていた。


「なんだよ、不思議そうな顔をして」


「あぁ、コーヒー、飲んだことが無かったんですよ」


「そかそか。缶コーヒーって普通のコーヒーとまったく別の飲み物かってくらい違うんだよなぁ。焼きそばとカップ焼きそばくらい違うっていうか」


「そ、そんな違うんですか……」


「それぞれ良さがあるから、どっちもいいとこあるんだけどな」


 園芸部では多様性が機能していない。それをお前が言うのかと思ってしまった。


「今度、普通のも飲んでおきます」


「近くの喫茶店のやつ、すげーうまいぜ」


「そういや、喫茶店も行ったことないかも……」


「世間知らずかよ」


「確かにそうかもです」


 綴が笑うと、細井もそうした。枕はこれくらいでいいだろうと、缶コーヒーを飲んで喉を潤しておいた。


「ギャル子先輩に教えてもらったんですけど、集まりすげー悪いみたいですね……」


「鳴間も知ってるだろ。桐生から花が咲いたとかいうやつ。あれ、俺が持って行った種のせいとか思われてんだよなぁ……だったら、俺にも咲いてるだろって」


「そこまでまだ知られてないっぽいですけどね……昨日、ギャル子先輩には教えてもらいましたけど……」


「だよな。あいつは、俺のせいだって疑ってるからな」


「あと、ずっと呼び捨てでした。後輩なのに」


「あれが、俺と根岸がギャル子のことを嫌いな理由。許可を出してないのに使うなって」


 暗黙の了解。そうしておけば揉めないからみんなやる。それを無下にすれば、少数派の異端児は礼儀がなっていないと嫌われる。本人からすれば、自分らしくいるつもりらしいが、園芸部という環境では優しくはなさそうだった。


「敬語のが当たり障りないとこがありますよね」


 とはいえ、誰にでも使うのはそれはそれで問題だった。玲がそうしているのは、自分が人との距離感が掴みにくいのを自覚しているからだろう。そっちのが親しくなるのに時間が掛かる場合があるのにと、その下手くそさに辟易としてしまった。


「鳴間は礼儀がなってそうだし、タメ口とか使わなそうだけどな」


「いや、使うけど」


「おい、ふざけるなって」


 別に怒っているようではなかった。少しじゃれただけ。そういう空気を察してくれていそうだった。


「冗談ですよ。桐生ってどんなやつだったんですか?」


「まず、俺らが何もしてないことに驚いてた」


「そ、それは俺も驚きましたけど……」


「それで辞めそうになって、部員の数が足りないじゃんって苦肉の策で向日葵の種を持って行ったんだ。うちの売れ残りのやつ。気を遣って食ってくれた。それがきっかけになったのか、辞めないで顔を出してくれるようになった」


 ここだけ切り取ると、何の間違いも無さそうだった。知れば知るほど、桐生だけは恨まれていなさそうだった。なのに、もっとも穢れから遠い桐生からは向日葵が咲いた。


 そういうところが、とてもわけのわからないもの。怪異らしかった。


「てことは、桐生だけは誰ともそつなくやれてたっぽいですね」


「まぁ、仲が悪いのは俺と根岸とギャル子だけかな。桐生は話しかけられたら誰にでも愛想笑いして、ずっと気を遣ってたっていうか」


「すげー居心地が悪そうですね……桐生が辞めなかった理由のが謎ですよ……」


「向日葵の種のおかげで肌がきれいになったとか喜んでたからな。ギャル子と根岸は引いてたけど、そこそこ値段のするものだしなぁ」


「そういうことですか……まぁ、細井くんと根岸さんがギャル子先輩と仲がよくない理由はわかりましたけど……細井くんと根岸さんはどうして仲が悪いんですか?」


 細井は怪訝そうに首を傾げた。綴も細井のせいで花が咲いたと疑っていると思っているようだった。


「なんか、すげー人間関係を探ってくるな……」


「俺、これからその桐生のポジションをやるんですよ……不安じゃないですか……地雷を踏みたくないし……」


 らしい言い訳を並べると、安心したように背もたれへ身体を預けた。


「そういうことかよ……。まぁ、根岸は……単純に変わってるんだ。実際、クラスでも浮いてる。ギャル子より浮いてる。休み時間は、この世を恨んだような顔で仲がいいやつらを睨んでる。桐生とも打ち解けるのも時間がかかったんだぜ」


「それ、俺とも時間がかかりそうですね……」


「俺から月曜までに話しとくよ。鳴間はそう悪いやつじゃないって」


「助かります」


 少し頭を下げておくと、細井はおうと掌を向けた。


「いや、実際そう思ってるんだよ。女子三人の中に男子が一人とかやりにくいし……」


「集まってないじゃないですか……」


「それは言うなって……でも、どうして園芸部に入ろうとしたんだ?」


「夏休みの自由研究にちょうどいいかなって……」


「うちなんもやってねーぞ……」


「だから入部しないでおこうとしたんですけど……ギャル子先輩に強引に……」


 ギャル子の前ではいい後輩のふりをし、細井の前ではギャル子の評価を下げるようにしておいた。そうすれば、どちらにもそう映ってくれる。


 二人の仲が悪いおかげで、綴がそういう立ち回りをしているのバレににくかった。性格が悪いなぁ。と、自己嫌悪してしまいそうになった。


「それに関してはギャル子に少しだけ感謝だな」


「エプロンしてるのって、裏で作業とかしてたんですか?」


「そそ。手伝ったら親がバイト代をくれるから。今は発生してない」


「あーすみません。帰ります」


「いいよ、いいよ。わざわざありがとな。来てくれて嬉しかったよ。連絡先、交換しようぜ」


「あ、はい」


 細井のQRコードを読み取ってから店を出た。細井は店の前まで見送ってくれた。これはギャル子にも言えたことだったが、それぞれで見た場合、どちらも気のいい先輩だった。


 ただ、絶望的に二人の相性は悪かった。根岸はまだわからないが、それでも悲しいなぁと思わずにはいられなかった。


 失敗した多様性。人が人を認めるというのは難しい。それを突き付けられているようだった。

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