第34話 鳴間綴の七月十五日➂
「学生の純愛というものは、収入や肩書きの絡まないとてもいいものなんだ。そこには異物が混入していないからね。だから、ただの愛じゃなくて純愛。経験しても眺めていても幸せな気分に浸れる。けれども、誰でにも平等に与えられるものじゃない。足掻き足掻いたものだけが得られる特権。どうだい綴くん、経験者としての意見を傍観者のお姉さんに教えてくれないかな?」
帰宅後、綴は感傷に浸りながら、ソファーでゆっくりとしていた。唐突にソファーの余白に現れた環は言いたいことを好き放題並べた。
ぶち殺したくなった。
「……空気を読んでください」
「ぶち殺したいという意見をすごくマイルドにしたね」
「見透かさないでください……」
「いやぁ、綴くんはこれから色んな穢れを祓っていかなきゃいけないじゃん。だったら、まずは自分の大きな穢れを祓っておかなきゃダメじゃん。じゃないと闇堕ちしそうで怖いじゃん」
「じゃんじゃんじゃんってうるさいですね……」
「通例儀式のようなものだよ。しんどい自分の穢れをちゃーんと自分で祓えた。綴くんは偉いよ」
そう頭を撫でてきた。がしがしと乱暴でむかついた。けど、左目に涙が溜まってきて、瞼が勝手に閉じてしまっていた。それが、余計にむかついた。
大人に褒められたのは、これが初めてだったからだった。しかもその内容は、怪異のことではなく、それ以上に尾を引いていた綴が後悔を断ち切ったことへの賞賛。
相変わらず、いい人なのか悪い人のなのかわからなかった。
「手、放してください。右目からも涙が出そうですから」
さすがの環も空気を読んだのか、すぐに行儀よく座った。
「お姉さんは綴くんに頼れと言った。右目からも流したってよかったんだぜ」
「苦手なんですよ。大人に頼るの」
「だから頼ってよ」
「揶揄われたくないです」
「ちょっと……推しに冷たくされる気持ちも考えてよ……」
親身になったり軽口を叩いたり、やっぱり環の性格は終わっていた。頼ろうとする気を失せに失せさせてくる。
「勝手に推さないでください……」
「綴くんは天才になれる。私なりに色々と逆算してみたけど、なれないルートはほぼ存在しなかった。推したくもなるって」
「俺よりも玲を推したらどうなんですか?」
「随分と気にかけてくれるんだね」
「いやーあいつ、自分のことを全く話さなかったなーって。俺だけ知られてなんかなーって」
環は自分を指差していた。
「お姉さん、何歳だと思う?」
世界一どうでもいい質問だった。よく見ると、二十歳前後くらいのような気がした。
「女子大生くらいですか?」
だからそう言っておいた。環は親指を立てた。
「嬉しい」
「いや、答えを教えてください……」
「今年で二十六歳。姉さんとは十離れてて、玲は私が十歳のときに生まれた。十歳ずつ離れてるってことね。だからかな、私は玲へ対して姪よりも妹の感覚を持ってる。姉さんが私にしてくれたことは全てやってあげたいんだ」
「玲のお母さんはどんな人だったんですか?」
「天才。私の前の陰陽頭。実はさ、私は二十歳くらいまでプログラマーをやってたんだよ。『ヴァロックス』ってFPSを知らない? 今、その続編が流行ってんだけど」
「あー、毬奈がやってます。銃と超能力でがちゃがちゃするやつですよね」
「そそ。がちゃがちゃしてるやつ。大学時代にインターンで少しお手伝いさせてもらってんだよね。クレジットに私の名前があるから興味があるなら確認するといい」
天才陰陽師の意外な経歴だった。けれど、今はその道には進んでいなかった。陰陽頭も変わっている。よくない事情があったのだろう。
「玲のお母さん、どうなってますか?」
「死んでる。姉さんは誰にでも優しくてさ、私が放蕩娘をやれたのはそのおかげなんだよね。親にも自分が環のぶんもやるからーって本当にそうしてくれた。私は今の姉さんが大好きだ。だから思っちゃうよね。放蕩娘をやってなきゃ、死んでなかったんじゃないかなーってさ」
「不幸話は本人が話すと湿っぽくなります。環さんは折り合いを付けてるっぽいですけど、玲なら途中で泣いてそうですね」
綴に弱みを握られるなど性格上絶対に避けたいはず。そんな姿など見せれるはずがなかった。
「私もそこまで割り切れていないけど、姉さんのあとを継いだくらいにはやることはやってるつもり。陰陽師なんてやりたくねーなーと思いながらも、やってないといらつくからやってる。なんなんだよ、わけわかんねーよ。この世は地獄かぁ」
「だから玲は、環さんがそうしているのを知っているから、自分も後悔したくなかった。しかもどちらも陰陽頭。母と叔母がそうなら自分もと躍起になるかもですね。たぶん、意地を張ってるのはこんなとこですね」
「残念ながら、玲には才能が無いんだよなぁ。どう逆算しても死ぬルートしか見付けられなかった。妖狐にも相談したけど、あいつもそう言ってた。一番の悩みの種なんだよね」
「窮鼠猫に任せばいいんじゃないですか? なんか、現とかいう名前を与えて飼ってるっぽいし」
環は硬直してながら、綴へ流し目を送った。こいつマジか。と言っていそうだった。
「あの妖怪、ぐずぐずとキンキン以外はただの猫じゃん。そのぐずキンだってただの軽い鼻炎と高低差の耳鳴りだしさぁ」
「あれ、祓うたびに強くなるっぽいですよね」
「ぐずキンの効果が上がるだけ。ただ、九回目になると鼻から全ての体液が流れて出て、耳鳴りで発狂させてくるとか。範囲までは知らないけど、それでも私や妖狐を殺し祓うなんて無理。最後の命を払った断末魔でもそれが限界。今の綴くんならさすがに死んじゃうけど、そのうち対処法も得そうだしなぁ……」
「全日本妖怪ランキングがあったらどれくらいなんですか?」
「相性があるからなんともだけど九回目で中の上。まぁ、錯乱状態にするのが精一杯かな」
窮鼠猫は臆病な妖怪。逃げるのに特化した能力は、意外と使い勝手はいいかもしれなかった。
「性格的に使いこなせそうにないですよね……」
ただ、使う人間によっては性能がぐっと下がりそうではあった。
「綴くんが玲を通して使えばいいじゃない? そっちのが有効活用できそうだし」
「マジで性格が終わってますね……さすがにそこまでしないですって……」
「綴くんが妖怪を畏怖させ敬われるなら、玲は妖怪から憐れまれる。妖怪というものは、基本的に欲しいものが手に入らなかった連中。窮鼠猫は、たった一度の大物食いに酔って臆病なくせに強くなりたいと願ったような妖怪。シンパシーを感じちゃうのかなぁ」
「そんなに玲は憐れまれているんですか?」
「名前を求められて与えたみたいだからね。玲が現と呼んでから命じれば、あれもう玲に逆らえない。私なら絶対にやらない選択肢だよ……」
言わずもがなだった。そんなの、命が九つあっても足りるはずがなかった。
「俺と妖狐の状態ってどうなってるんですか?」
「どうもこうも、なんもなってないよ。あいつは縛られるのを嫌うし、綴くんはそうでなくても妖狐を動かせる。妖狐を憑けるやつは、それくらいやれないと務まらないからね」
「俺が壊れていないのは……その妖狐が見張っててくれてるおかげでもあるんですけどね……」
「そうさせてるってのが、もう動かしてるようなもんだよ」
「あいつ、ホントは街にいてほしいんだけどなぁ……なんかあったらすぐ呼びたいし」
「『焦げた獣の匂い』っていうのがあってね、これは鼻のいい妖怪に対する妖狐の警告なんだ。匂いがする場所でいらんことをやったら殺すぞっていうね。この街にはちゃーんと残してくれてるよ。下手な陰陽師に見張りをさせるよりもずっとすげーやつ」
保険は打ってくれているようだった。だったら伝えておいて欲しかったが、妖狐からすればそれは伝えずともいい安全装置。そうした時点で終わっていたことなのだろう。
「あいつ、マジで大妖だったんですね」
「あれの相手をやれる陰陽師のが少ないくらいだからなぁ……これは玲から教えてもらったんだけど、現も怯えてたらしいぜ」
「臆病だからでしょ」
「それがさぁ、その臆病で意地を張ってる玲にも匂いを残してくれたとか」
「玲の飯が美味かったからか、俺と環さんへのご機嫌取りか。このどれかか、全部なのか。そんなとこっぽいですね」
環は珍しく、顎に手を置いていた。
「いや、憐れんだかも」
「あーそうかも。あいつは、歴史上、もっとも憐れだった陰陽師だって語られそうだし」
「私は玲の叔母なんだぜ。可愛い姪っ子の悪口は慎んでよ」
「玲だって俺の悪口を毬奈と皐月と言い合ってます……俺の相手は環さんがやってください」
「しょうがないなぁ。暇なときはこうして悪口の相手をしてあげるよ」
ついでに揶揄われそうなのがネックだったが、もっとも偉い陰陽師。業界では、こうしているだけで綴は贔屓されているようなもの。そこまで願うのは贅沢だった。
「俺は、玲とどう接していけばいいですか?」
「その心は?」
「知識を与えるなら別に玲じゃなくて、ただの文字でもよかった。けど、環さんはわざわざ玲に語らせた。毬奈や皐月とも引き合わせて、こっちは迷惑しているし、合理的でもない。それでも蘆屋環はその非効率を選んだ。外堀から埋めて硫酸を流す環さんらしい方法です」
「失礼だなぁ……私は綴くんの幸せで頭がいっぱいだってのに。推しにそんな酷いことをするわけないじゃん」
「俺以上に玲が大事だってことでしょ。別にそれはいいんですけどね身内だし。でも、環さんでも詰んだ玲の生存ルートを俺が見付けるのは絶対に無理。やらせないでください。責任を負いたくないんで」
人の命を背負う責任など負いたくもなかったし負えるはずもなかった。しかもそれが蘆屋環の姪ともなれば、殺されるだけでは許してくれないかもしれない。
「やってもらわなきゃ困る。玲の補欠合格は、綴くんの憐れみから始まってるわけだし」
「通したのは環さんですよ」
「私に言い訳をさせなかったのは綴くんだぜ」
「使えるものは何でも使え。方法手段は問わない。俺は自分が助かりたかったから、玲を利用しただけ。俺を殺せば、それで環さんの勝ちでした」
「責任の押し付け合いってださいよね」
「そりゃ俺らはださいですよ。俺だって、環さんに憐れまれてるようなものですから」
「うん。私たちはすげーだせー」
最初に会ったとき、環は自分に頼れと言った。流れに逆らわないでいると、それだけ自分の中から穢れが消えて、心が軽くなっていた。それは有言実行。
やっぱり、蘆屋環は綴へ自分の上位互換だと痛感させてきた。
「結局、怪異なんて呼ばれてるだけで、要はただのストレス。人間関係だりーよなって話ですよね」
「これは有名な話なんだけど、水槽でメダカの群れを飼育していたら一匹イジメられてるやつがいたんだ。飼い主はそいつが憐れだと別の水槽に移した。すると、群れの中からまた別のメダカがイジメられ始めた。人に限ったことじゃない。生物は根源的に穢れている。これはもう、この世の仕組み。残念な理なんだ」
「最終的に一匹と一匹になっても、いがみ合うこともありそうですしね。それは人も一緒かもです」
「生きるのってつれーよな」
「環さんが楽にしてくれるんでしょ。さっさとそうしてください」
えー、と、嫌そうにするのが、どこまでも芦屋環という人間らしかった。
「この世界を作ったのは私じゃない。だけど私なりに仕組みを理解した上で納得していることも幾つかある。この世界には愛も多い。口に出すのは恥ずかしい綺麗ごとだけど、これもまた理なんだよね」
「それこそ俺らに似合わない価値観ですけどね」
「余裕はこれから与える。悩みごともいっぱい減らすし、妖怪にだってならないようにもする。陰陽師全員の反対を押し切って妖狐だってくれてやった。玲の穢れを祓ってあげてほしい。お姉さんの一生のお願い」
「逆算した中に、環さんの一生のお願いによる生存ルートはあったんですか?」
「無いね」
「そりゃそうでしょうね。これは俺と環さんの問題じゃなくて玲個人の問題。あいつが血反吐を吐かなきゃルートは増えない。適度に煽って発破をかけるのが精一杯ですよ」
「じゃあそうしてよ。煽り文句を伝えておくからさ」
「お前はやっぱりゴミカスだった。首吊って死んどけ。これでお願いします」
えぇ……と、さすがの環も引いてしまっていた。
「も、文言が強すぎじゃない?」
「あいつはメンタルだけはつえーから大丈夫ですよ。あとは、俺がその文句の相手をしてやれば、しばらくモチベも落ちないでしょうし」
環はスマホへ指を走らせた。すぐにふふっと笑った。
「あなたが吊ればいいです。だってさ」
「そうすか。じゃあ吊っておきます」
「困るからやめて。わざわざ私が来た意味がないじゃん」
それは今の綴の台詞だった。神出鬼没。鬼神のが、まだ近づく前に気配をくれそうなだけ優しいそうだった。
「そういや。環さんって身体の通常の三倍を超えてそうですよね。今日だって急に現れてたし……校内放送とか生徒指導室とか好き勝手に使ってましたし……」
「身体能力は並よりも少し上程度だよ。ただ、この身体にはどこでもドアが搭載されている」
「ぶっ壊れのチートじゃないですか……ゲームバランスが崩壊してますよ……」
「プログラマーの特権だよ。チートを使って何が悪い」
この世界を作ったのは自分じゃないと断言したくせに、そのような台詞を残してきた。
最後にピースをすると、もう姿は消えていた。いらぬ用事を残して、きっちりと格差まで与えていく。
蘆屋環は、やっぱり性格が終わっていた。
取扱説明書とは個々の印象。逸話とはそれらが並べられたときの規則性からもっとも説得力を持っていた事実。
もう綴の中でそれぞれの取扱説明書は完成していた。けれど、語り合ったときに、一人だけつまらなくなりそうなやつが一人いた。
蘆屋玲の取扱説明書だけは、多くの加筆修正が必要だ。
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