第30話 蘆屋玲の七月十五日①

 別に友達なんていてもいなくてもどっちでもよかった。


 見ているものも、触れているものも、身体の使いかたも、何もかもが足りないからだった。価値観が違いすぎ。


 だから、話しかければ返事はするけど、こちらからは関わらなかった。


 寂しさはなかった。この人たちの安全は陰陽師によって作られていて、玲がその気になれば、クラスメイト全員をバレないように殺せてもしまえたから。


 いや、綴のように殺そうとは思わないですが。あくまでも例えですが。と、訂正はしておいたが、どこか見下した気持ちというものは湧いてしまっていた。


 クラスの人数が奇数せいで一席浮いている勉強机は、窓際の一番後ろに置かれていた。そこでぼーっとしながら、そんなことを考えてしまっていた。


 峠兎を祓ってすぐ、保護者である環は、玲が難病になってしまったと嘘の診断書を作成して学校に提出した。いつでも病欠扱いで動けるようにする為の処置だった。


 おかげで特等席を手に入れられたし、こうして現を抜かしていても教師には叱られなくもなった。


 こっそりとスマホを取り出して皐月とのやりとりを開いた。『あいつが好きな人はどんな人だったんですか?』『聞き忘れました』。既読が付かないまま、そこで止まってしまっていた。


 正直、もうどうでもよかった。勘の悪い玲でも、そこは触れてはいけないのだろうと、一緒に生活している間に気付いてしまったからだった。


 だから教えてくれなくてもよかった。けれど、既読が付かないのが寂しいとは思ってしまっていた。


 共通の話題で盛り上がることがこんなに楽しいことだとは知らなかった。もっと早くに気付いていれば、もっと友達がいて今までは普通だったこの空間に息苦しさも感じなかったような気がする。


 浮いた特等席は、他の全ての席とは違うから特等席。今は、出席番号順で並ばされていた、教室を入ってすぐの前の席が欲しくて仕方がなかった。


 夏休み前から関係性が仕上がった輪に混ざるのは難しい。諦めようと遠くの友達とのやり取りを覗いてみた。既読は、まだ付いていなかった。


 勉強でもしておきましょう。と、ノートへ向かうとチャイムが鳴った。鳴らないで欲しかった。これから昼休み。今は一人で過ごすのが辛すぎた。


「うぅ……」


 一秒でも何かしているふりをしようと、ホワイトボードの文字をノートへ写すことにした。


 日直は文字を消した。何一つとして間違っていなくて、むしろサボらずに偉かった。


 ただ、玲にとっては迷惑だった。う、映そうとしていたのに……。なんですか、嫌がらせですか……。卑屈になってしまっていたせいか、クラス全員が敵に見え始めてしまっていた。


 まぁ気にしても仕方ありません。と、皐月とのやり取りを確認。既読無し。玲は、拗ねるように机に突っ伏した。


 グループに分かれて食事をしている姿なんて見たくなかった。どんな怪異よりも今はそれのがずっと怖かった。


 ちょんちょん、と、肩を指で突っつかれた。震えていた。顔を上げると、知らない女子生徒が居心地が悪そうに近くに立っていた。


「なんですか?」


 機嫌が悪いせいで強い口調になってしまった。女子生徒はビクっと身を震わせた。


「ご、ごめんね……起こして……」


「いえ、どうかされましたか?」


「ご飯を食べないで寝たから調子が悪いのかなって」


 体調に問題はなかったが、心の調子が悪かった。いや、話しかけられたせいか少しマシかもしれなかった。


「食欲がありませんでした」


「そっか」


「はぁ……というか、あなたは誰ですか?」


「お、同じクラスなんだけど……」


「すみません。誰のことも覚えていませんでした。私の名前は蘆屋玲です」


「うん、こっちは知ってる」


 それもそうかとつくづく自分の人付き合いの下手さに反吐が出そうだった。どうせだと、血反吐まで吐いておくことにした。


 陰陽師はときに人の心を見透かすことも必要。恥を掻いてでも人に慣れておかなければ、綴のようには上手くやれない。認めたくはなかったが、昨日の夕方に終わらせると予定を立ててきっちりと祓い終えた。


 結果からの行動の逆算。ほぼ初見であれだけやれる陰陽師などそうはいない。環と妖狐に評されただけの才能はきっちりと見せつけられてしまった。


「名前を教えてください。覚えておきます」


「高松早紀です」


「普通の名前ですね」


「そ、そうだね……」


「それで、用事はなんですか? この質問、三回目なのですが」


 またビクっと怯えた。真面目そうで優しそうな雰囲気だった。周りが気の強い人間ばかりのせいか調子が狂ってしまった。


 綴ならどうするのだろう。そんなことを考えてしまっているのが、感化されているようで癪だった。


「私、保健委員なんだ。それで、先生から蘆屋さんの調子が悪そうだったら、保健室に連れて行ってくれって頼まれてて……」


「放っておいてくれていいですよ。あなたも友人と食事をする時間でしょうから」


「みんなには事情を話して食堂に行ってもらった。だから、気にしないでいいよ」


「気を遣わせてしまってすみません。よかったらこれを上げるので食堂で食べてください。不味かったら中身は捨てていいですが、弁当箱は返してくださいね」


 玲は机から巾着を取り出して上へ置いた。高松早紀は両手を向けながら振っていた。


「蘆屋さんのが無くなるからダメだよ」


「一食抜いた程度では死なない身体です。持って行ってください」


「わ、私……人の家のご飯とか食べれないタイプなんだ……ごめん」


「そういうことですか……」


 綴も毬奈も皐月も妖狐も、みんな自分には料理の才能があると評してくれた。だからこれを使えば心を掴めると思っていた。


 けれど、そこに持って行くまでの弁を持っていなかった。人間関係は難しい。


 ならば自分で食べようと弁当箱を開いた。卵焼きとハンバーグとプチトマトと俵型のおにぎりが二つ。特別珍しくないものだった。


 高松早紀は見下ろしていた。口が半開きになっていて、弁当箱から目を離せそうになかった。


「なんですか?」


「いい匂いがする」


「ダシ巻きのダシの香りですよ。濃くすれば、調味料を減らしても旨味で味は整ってくれますので」


「料理、得意なの?」


「そ、そうですね……おそらく、すでに勝っていますね……」


 手でそちらへ寄せると、人の家のご飯は食べれないと言っていたのに卵焼きを指で持って口へ運んでしまっていた。そのままどれもこれもぱくぱくと口の中へ消えていく。


 弁当箱が空になると、高松早紀は失態に気付いたのか、茫然としてしまっていた。


「ごめんなさい……全部食べちゃいました……」


「元々、差し上げるつもりでした」


「途中から意識が飛んじゃってた……なんか、普通じゃないものを使ってそうだよね……」


「語弊を生む発言は控えてください……スーパーで売っているものしか使用していません……手順さえ間違えなければ、誰でも再現可能ですよ」


「ホ、ホントかなぁ……」


 くしゅん。と、廊下からくしゃみが聴こえた。また、くしゅん。くしゅん。と、連鎖した。


「夏風邪が流行っているようですね」


「蘆屋さんが休み始めた頃から徐々に増えたんだよね。今年のは感染力がすごいみたいで、長引いている生徒も多いとか」


「私たちも気を付けたほうがよさそうですね。明日はマスクをすることにします」


「うーん。それがね、マスクをしてた子も風邪を引いちゃってるんだ」


「窮鼠猫を噛む。追い詰められた弱者は、必死に反撃する。鼠とは鼻の良い生き物。猫とは耳の良い生き物。『窮鼠猫』と出会ってしまえば、鼻か耳を使えなくするという逸話があります。追い詰められた鼠が猫を噛む。窮鼠猫が噛まれた。この言葉には二つの意味がある。誰かがちょっかいを出してしまったのでしょうか」


 窮鼠猫とは、鼠と猫を混ぜたような妖怪だとされていた。人にそうする理由が生まれてしまったのだろうか。


「蘆屋さんってそういうのが好きな人なんだ……」


「あぁいえ……こんな逸話がここらにあったなぁと……」


「それ、好きってことじゃん……」


「そうですね……私は好きなのかもしれないですね……」


「……お弁当、美味しかった。ありがとね」


 クラスで浮いていたやつは、怪異に傾倒していた。やべーやつと判断されてしまったようだった。救いを求めるように皐月の既読を確認した。


 皐月は、玲を救ってはくれなかった。

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