第29話 蘆屋玲の七月十四日①

 玲は、境内の近くの木の上の枝で足をぶらぶらさせていた。妖狐は隣で同じようにそうしながら、テリヤキバーガーを齧っていた。持ちやすいように紙で半分ほど包まれていた。恰好は巫女服ではなく白いワンピースだった。


「昨日、環からお前ら呼んでいると連絡があったから戻ったものの、興味の無いことを待つというのはつまらないな」


「戻って来たのは少し前でした……こちらとしては遅刻されてはと不安でしたよ……」


「しかし戻ってくるとこれがあった。玲は気が回らんから、綴の提案だろうがな」


 妖狐はテリヤキバーガーを齧った。うんうん、と、満足そうにしている。


「提案しても、作れはしませんでしたけどね。私に感謝するべきです。ほらあの穴……私のが早いだろうと掘らされましたし……」


 賽銭箱の手前の地面には穴が開いていた。そのせいで参拝しにくそうだった。


「陰陽師らしくていいではないか」


 綴は、穴を見下ろしながら、顎に手を置いていた。偽物だと知っている。どうしてもわざとらしく映ってしまった。


「穴……ありましたね……」


「そ、そうだな……でも、それだけで決め付けるのはダメだろ。這い上がった瞬間を見たわけじゃないし……誰かが別の理由で犬の遺骨を回収したかもしれないぞ」


「その場合は、それこそ皐月の力が必要。でも、訪れたら穴があって、さっきの犬のことも俺らは知ってしまってる。そうなんじゃないかなって思っちゃいません?」


「鳴間がやるのは怪異の否定だろうが……」


「そうなんすけど……さっきのぬいぐるみは、そういう雰囲気の可愛らしい本物の犬だった。なぜか学校に迷い込んだだけで、犬が本能的に扱いになれていそうな根岸さんに懐いただけだった。さっきまではそうとも考えられた。でも、穴がなぁ……」


「だったらなんで願いが叶ったとか言いながら部室に入ってきたんだよ……」


「だから、ちょっとした悪ふざけですよ。そっちのが、和気藹々とやれるかなーって。でもあの根岸さんの喜びようは異常だった。ギャル子先輩が怖がったせいで俺もちょっと怖くなって……それで一人じゃ怖いなって細井くんとここを訪れたら這い上がったような穴があった。怪異なんて曖昧は、確定させるほうがずっと難しい。無ければ、ありえないって否定のが強く持てたのに」


 どこまでも嘘しかついていなかった。細井は、誘い込まれたことも知らずに困惑することしかできていなかった。


「鳴間もギャル子も怪異とか信じしすぎだって。そんなのありえない」


「道案内、時刻表、ネットやテレビで見かけて気になった有名人の経歴、ゲームの攻略、人間関係のもやもやの正体。俺らは色んなわからないを日常的にスマホで調べる習慣がついてしまってる。わからないなら見ないふりをして流せばいいのに。でも、俺らは昔の人に比べてそれがずっと苦手になっていて、それだけわからないにストレスを感じてる。気になってしまったら、見逃すのがずっと下手になってるのかも」


「俺はそうじゃない」


「だったら俺の誘いになんて乗らないでこんな場所まで来ていない。部室でその台詞を連呼しながら半ギレで帰ってたはずです。鬱陶しい後輩だなって」


 細井は穴を見てから、綴を睨んだ。


「飲み物をよく奢ってくれて、頼ってくれて、家庭の秘密を教えてくれて……そんないいやつの誘いなら付き合いでそれくらいならって思うだろうが……」


「細井くんをそう思っているのは今も変わらないです。だから、教えてほしい。桐生の件、心当たりがありますよね?」


「抽象的で何を言いたいのかわからない」


「人から花が咲く姿って綺麗だと思いませんか? 俺が入部した理由は、それを眺めたかったから。細井くんなら、俺と同じ壊れた願いを持ってくれてそうだなって」


「お前、やばすぎ」


「細井くん、俺にも教えてください。独り占めはズルいです。マジで見たいんですよ……」


 綴の口の縁には唾液が溜まっていた。零れそうになると舌で舐めとった。


「だから知らねーって……」


「ギャル子先輩から咲くんですか? 開花の瞬間を一緒に撮影しましょうよ」


「あいつは食ってないぞ」


「なんか、部をいい場所のままにしたい証明とかで食べてましたけど。根岸さんは犬に夢中だし、咲かせたのは細井くんしか考えられません。俺は秤守皐月の目安箱。絶対に細井くんが咲かせてる。教えてください」


 細井は身を震わせた。尿意が近そうだった。


「お前、秤守に変なことを言ってないだろうな……」


「まさか。俺まで嫌われますから」


 尿意と壊れた願望を持つ同士の登場による揺さぶり。ぐらついていそうだったそれでも言うわけにはいかなそうだった。綴は残念そうなふりをしながら、あーあー、と、天を仰いだ。妖狐を覗いていた。頃合いという合図のようだった。


 妖狐は飛び降りて綴の隣に立つと髪の毛を一本抜いた。落ちるまでに金色の狐に変わっていた。


 金色の狐は、境内に背を向けると、狛犬のように鳥居を向いて大人しくした。


 細井のズボンはシミを作ってしまっていた。


「ト、トイレ……間に合ってないじゃないですか……」


 細井はそんなことどうでもよさそうに、妖狐を指差していた。妖狐は綴の腕を掴みながらじゃれるように揺らしていた。


 綴はそれを覗くと、視点を定めずに顔を合わせてから細井に戻した。


「なんか、風が強いですね……すげー身体が揺れてます……」


「……違う。女の人が揺らしてんだよ……」


 わからない。綴は白々しくそう顔に書きながら困ったように下唇を噛んだ。


「俺には見えてないけど、細井くんには見えている。部室で言った、怪異に関わると絡まれやすくなるってやつ。マジだったんですかね」


「なんでそんな冷静なんだよ……」


「見えてないからですよ。いや……さすがに漏らしたんで、マジかなとは思ってんですけど……それならなんで細井くんにだけ見えてんのかなーって」


「し、知らねーよ!」


「それ、やっぱ花を咲かせたからなんじゃないですか?」


「は、初詣のときに神社で願っただけだって……それで……向日葵の種をきっかけに仲良くなれればって思い付いたときに思い出して……そしたら勝手にそうなってただけで……俺は桐生から花を咲いたのを見てないんだ! だったら確定してないんだから俺のせいじゃないだろ! みんなが勝手にそうしただけだろうが!」


「やっぱ細井くんはいい先輩ですね。一つ、取扱説明書を作成できました」


 細井の身体には黒い靄が発生していた。境内と同じ高さくらいの大きな一輪のヒマワリを象っていた。


 綴は、それをゴミを見るような目で眺めていた。


 黒い大きな向日葵を象った靄はその状態とただの大きな向日葵。この二つのサブリミナル効果のように点滅しながら繰り返していた。ルーレットが止まるように点滅の速度が落ち始めると、大きな向日葵へと結果を確定させた。


 本来ならば種が詰まっている中央部分は、食虫植物のような中へ取り込もうとする人の口のようになっていた。


 玲は飛び降りてから綴と妖狐の前に立ってスマホを境内へと構えた。名も無き黒いアプリを起動すると撮影画面へ切り替わった。薄く幾何学模様が浮かんでいた。


 妖狐は、それを興味深そうに覗いていた。


「大昔は、術者へ還った穢れを剥がすのにいちいち札を貼っていたというのに。随分と便利になったものだな」


「今回はこちらのテスターも兼ねていたので。保険の札もあるのでご心配なく」


「剥がさずとも殺せば終わるが、陰陽師は救える命は救おうとする。お前らはお節介な集団だな」


「それが、私たちが人である証明になってくれますから」


 玲は名も無き妖怪を画角に入れて撮影した。苦しむように暴れると、口から体液に塗れた人間が吐き出された。細井だった。


 すると、焦げた匂いがした。灰が境内に待っていた。もう、そこには細井しか残っていなかった。


「燃やしておいた」


 綴は細井を見下ろしていた。なにか思うことがありそうだったが、今は連絡が先だった。玲は持っていたスマホを耳に当てた。


「はい。『渋沢総合病院』です」


「八階に繋いでください」


 陰陽師の息のかかった病院。八階は怪異に関わったものの隔離病棟だった。ジリリリリと音がすると、環境音へ変わった。


「場所は?」


 若い女の人の声だったとても面倒くさそうだった。


「三叉路神社です」


「はいはい」


「では、よろしくお願いします」


 通話を終えようとすると、遮るように小さく息を吸った音がした。


「玲が祓ったの?」


 ただの質問だったが、見下しているような、バカにしたような、そんな雰囲気を持ってしまっていた。


「最後の仕上げは私も少し」


「少しね。才能があるならほとんどやっているし、その少しは才能がある子なら教えれば簡単にやれること。それ、玲じゃなくてもよかったってことだよね?」


 環に指示されたからそうしただけ。けれど、それは言いたくなかった。叔母の名前に頼っているようで情けなかったからだった。


「そうとも言えますね……」


「環様の名前を使わないんだ」


「意地悪はよしてください」


「あのさぁ、私らは忙しいんだよ。雑魚が首を突っ込んできたら、それだけ治療するのに人が必要になる。玲が運ばれてきたら嫌でも助けなきゃいけない。それが私たちの仕事だから。才能もないのに陰陽師をやられると迷惑なんだよね」


「では、治療はしないでください」


 返事は舌打ちだった。


「そういうわけにはいかない。私たちが環様に叱られるから」


「すみません」


 綴は不機嫌そうにしていた。妖狐はその横であくびをしている。


「妖狐、相談がある」


「どうした?」


「玲が連絡するたびに気分が落ちるとケアがだるい。次、ごちゃごちゃ言ったら殺すぞって脅しとけ。というか、別に今すぐに殺してきてもいい」


「まぁ、文句の多いやつというのは、誇示する力を持っておらず、余裕が無いからそうしている場合が多いからな。しばらくは抜けた穴を埋めるのに忙しくなるが、すぐに慣れる程度の人材なのだろう。ほら、貸せ」


 妖狐は玲からスマホを奪い取った。


「こいつは仕事の連絡をしただけ。小言は玲が運ばれたときに浴びせろ。お前の声は覚えた。次、同じことをしたら殺すからな」


 ん。と、妖狐は玲へスマホを返した。


「余計なことを。こんなの日常茶飯事ですよ。とっくに慣れています」


 綴はさっきの電話先の陰陽師のように舌打ちをした。珍しく、目を逸らした。相変わらず、癇に障る顔だった。


「俺は電話先の陰陽師から何も習ってないけど、玲には色々と教えてもらった。貸しを潰しておかないとあとでちらつかされるとだるい」


「嫌ほど食事の用意をさせられています。その貸しは返してもらっていないのですが?」


「宿泊代」


「あー言えばこう言う人ですね……」


「だったら言い返せるようになればいいだろうが。お前は俺と違って雑魚そうだから無理だろうけどな」


「やっぱり……あなたは性格が悪いですね……」

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