第27話 鳴間綴の七月十四日①

 翌日の放課後、綴はホームルームが終わってすぐに細井の教室へ向かった。走らない程度に早足で下校している生徒に逆らっていると、上級生たちは下級生の綴を珍しそうにしていた。


 細井のクラスに到着した。細井は綴を見かけると手を振って廊下へ出てきた。


「どうした?」


「今日、部室に来てくれませんかって頼んだじゃないですか。みんなに」


「あぁ、それぞれに頼んだっぽいな。スマホに連絡がきたとき、すげー嫌な気持ちになったけど……」


「すみません。それで……」


 綴は鞄を開けてペットボトルの清涼飲料水を取り出した。五百ミリリットルだった。


「これ、あげます。食堂で買っておきました。お詫びです」


「お、おう……すげー奢ってくれるな……」


 細井は受け取ると、鞄に入れた。


「俺なりに考えたんですよ。あの人たちと上手くやってけるかなーって。ギャルはなんかこえーし、根岸さんは俺をどこか疑ってる。細井くんしかまともそうな人がいませんでした……」


「じゃあ呼ばなきゃよかっただろ……」


「六限目くらいから後悔し始めたんですよ……だから、まともそうで部長でもある細井くんに頼ろうかなって。よかったら、仲よくしてください」


「鳴間って太鼓持ちっぽいとこがあるよな……」


「長い物には巻かれるのが持論みたいなもんなんで」


 そう冗談ぽく口にすると、細井は綴の肩にぽんと手を置いてから先に歩き出した。三年の教室は三階。部室のある四階の階段へと綴も続いた。


「来年の部長はギャル子。俺にやったみたいにするのか?」


「うちって四人から部活じゃないですか? 廃部になってるかもですよ。ギャルこえーって入部者は現れないかも」


「たしかに」


 階段から四階へ上がった。部室は左だったが、綴は図書室のある右側を向いた。トイレのあるのはそっちだった。


「す、すみません……部室に行くのに緊張してきて……トイレに行きたくなりました……先、行っててもらっていいですか?」


 細井は、俺も、と、言いそうだったが、その返事を聞く前に急いでトイレまで走った逃げた。ついでに小便器で用を足しておいた。


「おしっこしてる。絶対に開けるなよ」


「わざわざ言わないでください……察してますから……」


 一番奥の個室から玲の声がした。心の底から軽蔑してそうなほど冷たかった。

 綴は手を洗ってからその個室の前に立った。


「犬くれ」


 ドアが開くと、チワワのぬいぐるみを抱えた玲が立っていた。知らない人間に抱えられて怯えているのか、それともそういう性格なのか、それはわからなかったが、大人しく綴を覗いていた。


「痛みは感じるはずです。優しくしてあげてください」


「ん」


 綴は受け取ると、ぬいぐるみは怯えたようにビクっとしたが。優しく撫でると、懐くように腕の中で身を丸めた。


「じゃあ部室に行ってくる。神社で合流な」


「はい」


 玲は怪訝そうに綴を気にしていた。


「なんだよ……」


「私よりも懐いているなぁ……と」


「昨日、犬の喜びそうなことの動画を山ほど観ておいたからな」


「抜け目がないですね……」


「課題を前倒しにしてた隙間時間。やることやっといたおかげだよ」


 トイレをあとにし、部室へ向かおうとすると、階段の近くで皐月が待っていた。


「明日は復活した犬の話題で持ちきりだね」


「もう細井くんは登校しない。そっちの話題でかき消されるよ」


「その話題は曖昧ではない平凡な事情が並べられる嘘の事実。まぁそりゃそうなるか」


 皐月はどこか楽しそうだった。不謹慎だったが、そこに綴なんかと親しくしている性根の悪さが滲んでいた。


「ここで笑うとか、お前も性格が悪いな」


「綴には負けるよ。やっぱ綴と知り合いでよかった。私なりの満足感が得られたから」


「そうかよ」


 綴と皐月はすれ違った。園芸部の部室へ到着してドアを開いた。テーブルにはそれぞれの鞄が置かれていた。椅子の右の奥にギャル子。左の二席に根岸と細井。


 会話を交わしている様子はなく、空気は重かったが、綴のぬいぐるみを見るなりみんな不思議そうにした。


「ね、根岸さんの願い……叶ったかもです……」


 そう嘘をついてから、ギャル子の隣の空いている席に座った。ぬいぐるみを机に立たせると、飼い主の元へと走っていった。


 根岸ははっとしながら抱くと。身を震わせながら、優しく何度も撫で始めた。ギャル子はぽかんとしていた。細井は鞄から綴からもらった飲み物を口にした。一気に半分ほど飲むと、綴のほうを向いた。


「せ、説明してもらっていいか……」


「トイレから戻って部室に入ろうとしたら足元で気配がしたんですよ。俺も意味がわかんなかったです。ぬいぐるみが動いてるとかありえないんで……いやでもそう見えるだけで犬なのか……とか考えてたら、入りたそうに部室のドアを見てて……そういや根岸さんが犬が返ってくるお祈りをしてたとか思い出して……なら、会わすべきなんじゃないかって……すみません、入れてしまいました……」


 ギャル子は、えっ……、と、立ち上がった。


「きもすぎ。帰る。死んだ犬が会いにくるとかマジできもいし……きもいきもい。きもすぎ」


 それに根岸は、うー、と、唸った。


「きもくない! かわいい! いい子! 埋めてお祈りしたから会いにきてくれた!」


「その行動がきもいって……やっぱこの園芸部、恋歌のことがあってからずっとおかしい。あーし、今日で辞めるから」


 曰く付きの園芸部など、自称陰陽師のような変わり者くらいしか関わりたくはないだろう。ギャル子の行動は、とても人間らしくて真っ当で正解していた。


 ギャル子は部室を去るとき、わざとらしくドアを閉めた。今までの鬱憤をここへ捨て置いているようだった。


 よしよしとしている根岸をよそに、細井は眉を下げながら見送っていた。


「俺をきっかけに部の空気がよくなんねーかなーとか思ってんですけど……無理そうですね……」


 綴がわざとらしく口にすると、細井は頭を掻いた。


「……鳴間が連れてくるからだろうが」


「すみません……まぁでもギャル子先輩の行動は当然ですよね。二つもおかしなことが起こったら、そんなとこに近づきたくないし」


「桐生の件がそうだって確定したわけじゃない」


「これはたらればなんですけど、怪異と関わってしまった人って自然と怪異を引き寄せる体質に変わってたりして」


「それだと部活を辞めても意味が無さそうだよな」


「ね、根岸さんはどうでもよさそうですけどね……」


 根岸はぬいぐるみと頬を寄せ合いながら、再開を喜び続けていた。


「こいつはおかしいからな……」


「問題は俺らがそうなってたらやばいって話ですよ。とりあえず検証はしておいたほうがいいですね。根岸さんの骨を埋めた場所に向かって、そこに穴が無ければそうじゃないって少しは安心できそうですし」


 そう提案すると、根岸はぶるぶると顔を横に振って否定した。


「絶対にうちの子!」


 話が通じない。細井はそう言っているように、呆れてしまっていた。


「場所、知ってるのか?」


「教えてもらったんで」


 誰からとは伏せておいたが、チラッと根岸のほうだけは見て、そう印象を持ってもらえるようにはしておいた。


「そっか」


「みんな口にしてないだけで、目安箱のやれないことを俺がやってたのはそれとなく察してしまっていた。細井くんもそのはずですよね?」


「い、言えない……」


「ならそれでいいです。この犬は怪異ではなかった。その証明ならやれるかもしれません。これから一緒に行きませんか?」


 細井は逡巡しているのか、返事をしなかった。もし自分が桐生恋歌に花を咲かせてしまったことが原因だったら、それが確定してしまったら、そんなことを考えていそうだった。


「な、鳴間は、俺のことを慕ってくれてるんだよな?」


「最後の最後まで味方でいますよ。さっきも言いましたけど、俺は細井くんしか信用していないんで」


「根岸が犬を埋めた場所は?」


「近くですよ。すぐわかると思います」


 根岸の前で三叉路神社とは言えなかった。


 皐月と玲が並べてくれた真実は、どこまでも綴に嘘をつかせた。でも罪悪感は湧かなかった。


 細井はもう、人の形をしているだけで怪異とそう変わらないからだった。

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