第18話 蘆屋玲の七月十日➁

 一時間半後の午後八時前。玲は、綴を呼びに二階へ上がった。踊り場のような廊下の左側には扉が一つ。反対側には二つ並んでいた。


「うえー、うおー、ふざけんなし、マジで。やっていいことと悪いことがあるでしょうが!」


 左側の大きな部屋のからはそう怒声がした。毬奈だった。綴は右側の部屋だろうと一度ずつノックをしてからリビングへ戻って、ソファーではなく床に座った。


 冷蔵庫の中はがらんとしていたせいか、奥には味噌が鎮座していた。隙間が多いからかどこか寂しそうだった。ブロッコリーの味噌汁を作りたくなった。けれど厚揚げと人参が無かった。チキンライスもそうで冷凍室にあったのは牛肉。そもそも玉ねぎも無かった。料理を舐めるな……。と、結局、炊飯器をセットしてからにスーパーに出かけた。


 ソファーの近くのテーブルには二人分の料理が三品ずつ並んでいた。ふわとろ卵のオムライス。ブロッコリーと厚揚げと人参の味噌汁。小鉢に入った、チューブのニンニクと鷹の爪とオリーブオイルで作ったブロッコリーだけのアヒージョのようなやつ。


 綴を待っている間に冷めるとそれだけ味が落ちる。料理とは、基本的に盛られた瞬間から劣化が始まっている。玲は己の矜持に従ってスプーンを手にそれぞれ口にした。


 長く冷凍していたからか、ブロッコリーからは冷凍焼けしたような匂いが残っていた。塩で揉んでから洗い流して味付けは少し薄めにするべきか、それとも酒で洗ってみるか、などと課題点に頭を悩ましてしまった。


 まぁ、食べられないほどではないでしょう。と、食事を続けていると、綴は不満そうな顔をしていた。


「なんですかその顔は……文句があるなら食べないでいいですけど」


「そ、想像してたよりもちゃんとしてたから……」


「そう思うなら早く口にしてください。毎秒、味が落ちているので」


「……うん」


 綴はソファーに座ってオムライスを食べ始めた。まだ不満そうだった。続いて味噌汁、アヒージョっぽいやつ。不満そうだった。けれど、食事の手は止めなかった。むしろ早まっていた。


 あとから食事を始めたのに、食べ終えたのはほぼ同時だった。


「なぁ、玲」


「なんですか?」


「お前、料理人になれ。絶対にこっちの才能のがあるぞ……」


「手の込んだものを久しぶりに食べたからそう感じるだけですよ」


「違う……境内に俺らがいたとき、妖狐は玲に飯を作ってこいと遠ざけた。俺は口実だと思ってたんだ。でもそうじゃなかった。俺は玲が苦手なのに、それでも敗北を認めてしまってる。料理じゃ絶対に勝てない……このブロッコリーの油っぽいやつ、デパ地下の総菜とほぼ変わらんぞ……」


 それは綴がさほどそういうものに触れていないだけだった。デパ地下のクオリティのがずっと高かった。所詮、ありあわせの間に合わせでしかなかった。


「デパ地下総菜には余裕で負けてますよ。なんにしろ、厭味が飛んでこなくてよかったですが」


「お、王道の実力には文句を言いずらいからな……材料を買いに行ってるっぽいし、金を払う。払わせてくれ」


「宿泊代として受け取っておいてください」


「じゃあ次からの金を渡しておく」


「いりません。もう買い込んでおいたので。ただ、毎回、ブロッコリーは使います。もったいないので」


「それはありがたいけどさぁ……」


 気になることがあったのか、綴はちらっと廊下のほうを覗いた。


「毬奈のはあるのか?」


「一応。ですが忙しそうだったので、食べないかもとここまで準備はしませんでした。もし食べる様なら私のを譲るでよかったですし」


「毬奈は夕方に起床して昼過ぎまで起きてる昼夜逆転の生活。たぶん、明日の朝にここに来るから食わせてやってくれ。ついでにその理由も説明しとく」


 綴がリモコンを手にすると、配信サイトが映った。インターネットと繋がっているようだった。


 黒のツインテールで生意気そうな顔した絵が右下で揺れていた。犬歯を覗かせながらへらへらしている。パンキッシュな衣装からは白い天使のような羽が生えていて、手にはゲームのコントローラーを持っていた。


 ゲーム配信のようだったが、まだ始まっていないようで、だだっ広い余白が目立った。


『天使と悪魔のハーフの天獄えでむだよ! 配信見ないと、食べちゃうぞ! 今日は最後までやるよー死にゲーをついにクリアだよー』


 ダークファンタジー風のTPSアクションゲームが余白を埋めた。天獄えでむは、うえー、とか、うおー、とか、こいつほんま……、などと悪態をつきながらプレイを始めた。


「綴がVtuberを好きだったとは意外ですね……」


「ちげーよ……天獄えでむは毬奈なんだ……」


「えぇ……」


「このゲームは配信規約でスパチャが禁止されてるから今日は切ってるけど、普段ならすでにそこそこ飛んでる。あいつはその辺の大人よりもずっと稼いでるんだよ……」


「失礼」


 玲はスマホを手にして天獄えでむを検索した。SNSのフォロワーは十万人を超えていた。


「俺は思う。妹が切れながらゲームしてるだけなのに、どうして金が飛ぶんだってな……」


「私は推し活というものには疎遠ですが……環様ならわかるかもしれませんね」


「なんでもお見通しだしな」


「違いますよ。過去にVtuberへ数百万スパチャしているからです」


「あ、あの人のことがマジでわからん……」


 綴はスマホをじっと見ていたが、手には取らなかった。さすがにそんな用事で連絡するのを躊躇ったのかもしれない。


「親御さんはこのことをご存じなのですか?」


「知ってる。去年、毬奈に相談されたとき、子役を事務所を作らせたからな。所属は毬奈だけだけど」


「随分と本気でやってますね……」


「未成年の芸能活動ってルールが多いんだよ。配信業に適応されるかまではわかんねーけど、のちのち中三ってバレたときに、違反してるとかってなるとだるいだろ。だから子役扱いにして、配信は午後九時から午前六時まで禁止させといた」


 出来る対策をしているのが、なんとも綴らしかった。


「あ、あと一時間を切ってますが……クリアできるんですか……?」


「いやこれ六時半くらいからやってたタイムシフト」


「そういうことでしたか。しかし、よくご両親は綴の提案に同意してくれましたね」


「摩擦を減らしたかっただけだよ。あいつらは、俺を産んだことを後悔してるだろうしな」


 玲は両親に対していい印象しか持っていなかった。そういう親もいるからもしれない。綴の言葉は、理解は出来ても受け入れるまではできなかった。


「この世に、産んだことを後悔する親などいませんよ」


「それは玲の親がいい人だっただけ。この世には、子を育てる覚悟が芽生えないままのゴミカスが一定数いるからな。ダメだ、この話をしてるとキレそうになる。洗い物もしといてくれると助かる。俺は風呂だ」


「元々そのつもりでしたけど……あの、キャリーバッグ、中へ運びたいのですが……」


「風呂場からバスタオルを持ってくるよ。あと、寝るのはここにしてくれ。二階の空き部屋が毬奈の物置きになってるから使えないんだ」


「左様で」


 綴はリビングをあとにしようとしたが、足を止めて振り返った。


「俺の予定じゃ、桐生恋歌の穢れは火曜日の放課後に祓える。というか、祓いたい。それまでに俺に必要な情報を纏めておいてくれ」


「今日は金曜日。四日後ですね。わかりました」

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