第15話 鳴間綴の七月十日①

 翌日の放課後。綴は階段を上がって四階の廊下を訪れていた。いつもは右にある図書室へ向かうが、左の文化部の並ぶ部屋へと向かった。


 ドアとすれ違っていると、観葉植物の置かれているドアがあった。白い鉢に植えられていて、肩くらいの高さの小さな木のような形をしていた。名前は知らなかったが、ぶら下がっているプレートも園芸部だと教えてくれていた。


 ノックをすると、はーい、と、気怠そうな返事がした。ギャル子の声にそっくりだった。


 ドアを開いて中へ入った。長方形のテーブルの左右には椅子が二脚ずつ置かれていて、ギャル子は右側の奥の席に座っていた。近くの窓はそれらを照らすように陽を注いでいた。


 テーブルには空の紙コップが三つ置かれていた。有名なチェーン店のカフェのロゴがあった。ロゴのデザインはバラバラだった。


 ギャル子はそれを手に自撮りをしていた。首を傾げて、別のロゴの紙コップを持ってまた自撮り。納得のできだったのか、うんうん、と、スマホを操作していた。SNSにでも投稿していそうだった。


「す、すいません……」


「どしたー?」


 そうスマホを操作したままで綴を見ようとはしなかった。


「その紙コップって自撮り用に持ち歩いてるんですか?」


「うん。環境に優しいから。いちいち買ってると、環境に悪いから」


「そうすか……」


 紙コップは重ねられてしまった。自撮りはもう済んだようだった。


「で、どしたー?」


「体験入部させてもらおうかなって……」


「時期、おかしくない?」


「夏休みの自由研究にいいかなって」


「あー、あれだるいよね。てことは、植物に興味ない人?」


「すみません……」


 ギャル子は歯を見せると向かいの席を指差した。綴は会釈をしてから座っておいた。


「あーしも好きじゃない」


「じゃあなんでいるんすか……」


「この学校、ギャルがいないから」


「まぁ、そうすね。俺もギャル子先輩以外は見たことないかもです」


「なんであーしの名前を知ってんの?」


「昨日、図書室に入ろうとしたときにぶつかりそうになったじゃないですか? そのあとに皐月から。俺、図書委員なんで」


 あー、と、ギャル子は思い出したようだった。


「そかそか。名前は?」


「鳴間綴です」


「じゃあナリマンだね」


「はぁ……」


 距離の詰めかたがえぐかったが、親密度が上がるのは都合がよかった。訂正は求めないことにした。


「この学校じゃギャルは環境に優しくないらしいんだよね。で、ちょっと学校来るの嫌だなーって思ってたら、去年の部長が声をかけてくれたんだ。ギャルだったから」

「植物が好きじゃないのは、そういうことだったんですね……」


「嫌いってわけじゃないよ? 入口の観葉植物の世話くらいはやってるし。あれ、前の部長が家から持ってきたやつなんだよねー。品種までは知らないけど」


「そうすか……」


 この口ぶりから、去年までの園芸部は正しく機能していそうだった。


「でも、今年はつまんないんだよねー。恋歌もなんか身体から花が咲くとやべーことになってるし」


「それ、ただの噂なんじゃないんですか? 誰も見たわけじゃないし」


「だといいんだけどさぁ……もうみんなそういうことにしちゃったんだよね。ほら、そういうのってそっちのが面白いしさ」


 人の不幸は蜜の味。名前を知っている程度や嫌いな相手にならば、不幸にあってもそっちのが都合がよかった。だって、ギャル子の言ったようにそっちのが面白いから。


 それにその不幸を、憐れみように話題にしていれば周囲にはいいやつに映ってそいつよりも不幸じゃないって優越感にも浸れる。


 誤報でも構わなかった。そっちのが都合がいいから。もし訂正しようものなら、じゃあ間違いの証明をしろって更に揉めて、否定できる材料を用意できなければそれはいつか事実として変わってしまう。やっぱりそうだったなって。最初は、間違っていたのに。


 そうなってしまうのは、人間は根源的に穢れているから。個人差はあれど、この世には嘘をつく人間しか存在していない。それはもう理として受け入れなければならない事実なのだろう。


「ギャル子先輩は信じてるんですか?」


「半分かなー。でも、みんなはもうそういうことにしちゃってるね」


 ギャル子はそれがつまらなそうだった。


「そうすか」


「ナリマンは?」


「俺は……友達が少ないんで知らなかったです……」


「体育の授業の二人一組で余る感じ?」


「ギリ余らない感じです」


「そかそか」


 自分のことのように安心してくれていた。面倒見はいい人のようだった。


 ギャル子は余るのかは尋ねないでおいた。環境に優しくなかった回答が返ってきそうだったからだった。


「皐月って目安箱をやってるじゃないですか? 昨日ってその相談をしてたんですか?」


「そそ。四月になってすぐにさ、部長の細井が向日葵を種を持ってきてさぁ、食えって言い出したんだ。部長命令とかで」


「それ、食べて大丈夫なやつなんですか?」


「わかんなかった。だから、みんな食べなかった。そしたら、細井が安全だからってぼりぼり食い出したんだ」


 それならば細井にも咲いていなければおかしかった。もしくは細井が咲かないようにすり替えられていたか。それとも陰陽師に開示されていない条件が存在するか。どれにしても、今は答えを得られそうになかった。


「でも、桐生には咲いたって噂が流れてしまっています。食べてはいるっぽいですよね……」


「あーしと副部長の根岸は無視したけどね。でも、恋歌は一年でしょ? 断りづらかったのか、食べちゃった。そしたら、意外と美味しいとか言い出して……これなんだけど」


 ギャル子はスカートのポケットに手を突っ込むと、掌と同じ大きさのジップロックを乗せていた。黒い種が入っていた。向日葵の種だろう。量は容量の半分ほどという感じだった。


「ちょっと、減ってますね」


「恋歌と細井が食べてた残りだよ。部室に来るたびに、いっつも二人で食べてた」


「なんで、細井くんは食べさせようとしたんですかね……」


「向日葵の種って美容にいいんだよね。だから、あいつが気を遣ってくれたっぽいのはわかるんだけどさ……種って、あんまり食べたくないっていうか……」


「意識しないと食べるものではないですね……」


「うん、不味そうだし」


 しかも出所不明の種。安全だからと持ってきた本人が口にしていても、どこか抵抗があった。ただ、そこに信頼関係が構築されていれば、少しくらいならと手は伸ばしてもいたかもしれない。


 けれど、桐生以外はそれを拒んだ。ということは、そこがギャル子と根岸だけが抱いてしまっている、細井への穢れのような気がした。


「園芸部って仲がいいんですか?」


「悪いに決まってんじゃん。一緒に植物を育てるなんてやったことがないし。それぞれが集まって本を読んだりスマホいじったりそんな感じ。去年もずっとそう。あの観葉植物に水をやるだけの園芸部だよ」


「放課後ってみんな来るんですか?」


「うーん……その日の気分で人数が変わるって感じ? まぁ今は誰も来ないけど。恋歌に花が咲いたとか噂が流れちゃったら、それって種を食べてたのが原因なんじゃって不気味で集まりたくなくなるし」


 放課後に集まってくれていれば、一気に終わりそうなのに……。と、めんどくさくなった。まぁ、やらなければならないこと。割り切るしかないのだろう。


「その種、もらってもいいですか?」


「ごめん、これはダメかな。あーしが食べないとだから」


「た、食べてるんですか……?」


「だって、あーしから花が咲かなかったら、それって恋歌から花が咲いてない証明になるじゃん?」


 咲いた場合、陰陽師の仕事が一つ増えることになってしまっていた。だけど、ギャル子はそんなことを知らない。ただギャル子にはここが平穏な場所だと証明したいだけなのだろう。


「ギャル子先輩って園芸部が好きそうですよね」


「どうだろ。園芸部じゃなくてここが好きなだけかも。去年は前の部長と一緒にだらだらしてるのがマジで楽しかった。不気味だって思われたくないだけ」


「まだ、ここで種を食べたとこまではバレてない。だったら、バレる前に食べ続けた証拠を作ればいい。原因不明でもギャル子先輩と細井くんから咲かなかったなら、ここの安全だけは守れそうですからね」


「ナリマン、探偵みたいだね」


「いや、俺はどっちかっていうと犯人寄りですよ。性格が悪いってよく言われますから……」


 ギャル子は、あー、と、ものすごく納得してしまっていた。


「わかるかも」


「そうすか……」


「でも、今はそんな騙してきそうな後輩でも欲しいかも。ほら、来年は細井と根岸が消えて、部員の数が足らなくなるし」


「桐生が戻ってきても一人足らないですね……名義貸しの幽霊部員ならいいっすけど」


 それくらいならと同意しておくことにした。そっちのが都合も良さそうだった。

「決まりだね。細井は学校の近くで花屋をやってるから、挨拶しときな。部室、どうせ来ないしさ」


「なんで繋げてくれるんですか? 仲が悪いんですよね?」


「前の部長は細井のおねーちゃん。大好きな先輩。あーしが誘ったって自慢したい」


「なるほど。じゃあ、ギャル子先輩には良くしてもらってるって伝えておきます」


「ナリマン、話がわかるね」


「どうでしょうね。俺は性格が悪いですから……」

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