第12話 鳴間綴の七月九日➁
生徒指導室をノックしたが返事は無かった。ドアのくぼみに手をかけて軽くスライドすると少し開いた。そのままスライドさせた。
対になっているソファーと間のテーブルがなんとか収まっているだけの狭い部屋だった。その片方に若い女性がいた。
丸みの髪は左半分が白髪だった。白い長袖のシャツには黒いタイがされていて、黒のロングスカートを履いている。黒縁メガネをしていて、左右の口の縁にはシルバーの玉のピアスが一つずつ。
ガールズバンドのメンバーかそのファンのような雰囲気だった。もうすぐ夏休みに入るのに、このような目立つ教師を知らないはずがない。
ふらっと現れるにしても場所を選んで欲しかった。人に見られたくない。すぐにドアを閉めておいた。
「うわー、妖怪だー。逃げろー」
「……座っていいですか?」
「どうぞどうぞ」
環は対面を指差したので座って鞄をソファーへ置いた。
「次からは人の少ない場所でお願いします……」
「次って、また叱れるようなことをするつもりなんだ。悪い子だなぁ」
どこまでもふざけた人だった。ここ最近関わった人たちの中でもっとも精神年齢が低いとさえ思わせてくる。
「俺の知っている人の中にサブカルチャーに傾倒していそうな人はいません。でも、外堀を埋めて硫酸を流し込んできそうな人には心当たりがあります……俺は環さんがいい人なのか悪い人なのかわからないです……」
「おいおい、私が蘆屋環だって証拠がどこにあるんだい?」
「蘆屋って自分で言ったのが証拠になるでしょ……玲と同じ苗字だし……」
「その玲なんだけどさぁ、綴くんのせいで補欠合格になってんだけど? もう腹の虫が治まらないよ。頭を下げてこっちに向けてよ。切り落とすから」
怪異の相手をしているほうがずっとマシだった。いちいち真に受けていては、こっちの行動が歪みかねない。相手にしないよう身体は少しも動かさないでおいた。
「それなんですけど……正直、どっちでもいいですよね」
「うん。どっちでもいい。才能の無いやつにはそれなりの役割しか与えられないからね」
何を指すのかは綴のあずかり知らぬことだったが、別に玲じゃなくてもいい役割ではありそうだった。
本人が納得するかなど関係なかった。それが、今の陰陽師としての玲の価値なのだろう。
「俺もそれだと助かるんですけど」
「怪異とは穢れが具現化してしまったもの。そして、怪異とは穢れが願いを叶えようと倫理観を失って暴走している状態。人であることさえ投げ出して叶えたい願い。祓うということは、そうでもして叶えやすくなった願いを否定すること。人の心がわかってなきゃやれない。綴くんはもうそれが出来てる。幾つかこなせば速攻で独り立ちできるよ」
「妖狐がいなきゃ無理でした」
「だから妖狐はしばらくお休み。最初から楽を覚えすぎるのも良くないからね。金を渡してやったら福岡で食べ歩きだーと喜んで出かけて行ったよ」
「道楽妖怪やってんなぁ……俺も妖怪になったら道楽するんですかね」
「そのことなんだけど、絶対にさせない。私は、綴くんの穢れを怪異となる前にすべて祓ってやるつもりだ」
環が天才なのは妖狐から教えられていたが、あくまでも穢れが具現化した怪異の専門家であって、カウンセラーではない。それでも妖狐はやれると言っていたが、出会ってすぐの他人がそんなことをやれるとは思えなかった。
「迷惑かけてすみません」
面倒事を増やしていることには変わらない。それでも頭は下げておいた。
「綴くん、私のことをどう思ってる? 言葉は選ばないでいい」
「難しい。何を考えているかわからない。裏がありそう。大人の俺はこうなってそう。なってたら嫌だな。こんな感じです」
「マジで選ばなかったな」
「選ぶなって言われたんで」
「そうだね。まぁ、お姉さんは綴くんの上位互換。だけど、そのお姉さんは性格が終わってはいても、この世を壊したいと思うほど壊れてはいない。それはね、私は綴くんの年齢の頃に頼れる大人がいたからだ。綴くんにはそこが欠けてる。困ったらお姉さんを頼ればいい」
絶対に何か企んでいる。信用していいわけがない。けれど、環は綴の上位互換。そんなことはお見通しでその上で口にしていそうだった。だから余計に意図が読めなかった。
「環さんって一番偉いんですよね?」
「うん、偉いぜ」
「そんな人が、どうして俺なんかに構うんですか?」
「綴くんの穢れをすべて祓ってやれば、それを恩に私の仕事を押し付けられそうだから」
皐月と似たような理由だった。
「結局、人って損得勘定でしか動けないとこがありますもんね」
だから、こう答えた。そういうものでしかないからだった。
「それでもさぁ、助けてやるかって思い思わせたら、それって仲がいいってことなんじゃないかな」
「それに付け込んで騙してくるやつもいますよ」
「いるね。しかも私と綴くんは平気でやるタイプだ」
「やっぱり言ってることが無茶苦茶。信じられないやつだって宣言しておきながら頼れって無理に決まってるじゃないですか」
表情を通り越して、発言自体が破綻していた。敵が多いというのも納得だった。蘆屋環の言葉は、意味を持っているようで持っていない。
「玲の結果はどうでもよかった。だけど、その玲は綴くんにとっての毬奈ちゃんくらい私は大切。綴くんは、玲が終わらない選択肢を選んでくれた。だったら報いないといけない」
「手っ取り早かっただけ。それしか浮かばなかった。別に玲の為じゃないです」
「それでもその発想が生まれて選択したのは綴くんがそういう人間性をしているから。私は綴くんのことをずっと前から知っていてとっくに見極めてるんだぜ」
「その環さんは、俺のことをどう思っていますか? 言葉は選ばないでいいです」
仕返しするように似た文言を使ってみると、環はだらんと身体の力を抜いてから足を組んだ。
「ちょーシンプルに表現するとただの推しだよ。だから、困っていたら助けたいし、優しくもしたいし、甘やかしてもやりたい。それだけ」
「推される理由が無いです」
「意外と自分のことは自分がわからないものさ。しばらくお姉さんに騙されておいてよ。そしたら、少しは自分を好きになれると思うぜ」
結果から行動の逆算。綴の思考は、基本的にこれで成り立っていた。
環は上位互換。ならば、そうなるようにもうなっているのだろう。けれど、それはこの言葉がそういう意味を持っていた場合で真意は別だってこともあった。
やっぱりいまいち信用できなかったが、断れるだけの材料を持っていなかった。環には綴には存在しない暴力がきっとある。
使えるものは何でも使え。方法手段は問わない。そう提言するような人間性。きっと、暴力だって平気で振るってくる。
最初から、交渉にも勝負にもなっていなかった。
「変な人に目を付けられてしまいました」
「逸話というものは、原因不明に対しての結果報告。陰陽師とは、その原因不明に取扱説明書を作成し続けてきた集団。そして、それに従って対処もしてきた。私と綴くんの才能は、原因不明を対処してからそうだったと説明すること。それすなわち、綴くんにも才能があるってことだ」
「俺には対処するだけの暴力がありません」
「いきなりすべてをやらせるつもりはないって。少しずつ知っていけばいい。そしたら勝手に色々とやれるようにもなってるはずだからね」
「はぁ……」
何も言っても無駄なのだろう。環の対処は、怪異よりもずっと倫理観が失せていそうだった。こうして諦めたふりをしながら同意するしかなかった。
「この学校に桐生恋歌ちゃんって子がいるのは知ってる? あ、部活は園芸部ね」
「知らないです」
「そっか。その子、身体から花が咲いちゃってさ、うちの息のかかった病院で診てはいるんだけど、原因を特定しないと刈っても刈っても無限にこうなるんだよねぇ……」
そう環はスマホを綴へ向けた。ベッドを横から映している画像だった。けれど、人の姿は映っていなかった。ベットを苗床に直接生えているのかと疑ってしまうほど茂っていたせいだった。
花は向日葵だった。どれもこれも天井高くまで成長していた。出来の悪い現代アートのような雰囲気を持ってしまっていた。
「そんな噂、耳にしたことがないです」
「秤守皐月ちゃんなら知ってるはずだよ?」
それはそうだろうが、そんな質問などしたくなかった。
「あいつを巻き込みたくないです。環さんから知りたいです」
だからこう言った。道理的にも間違っていないはずだった。
「これはチュートリアルなんだ。私が終わらせたら意味がないんだよ」
「桐生をその姿から一日でも早く戻すのが陰陽師の仕事なんじゃないんですか?」
「ごもっとも。けど、私は桐生恋歌ちゃんよりも綴くんのが大切。その綴くんの為になるなら、死なない程度の放置なら平気でやるんだよね」
蘆屋環という人間を表している台詞だった。けれど、むかつきの中に納得も湧いてしまった。それは、綴が逆の立場だったら同じことをやっていたと思ってしまったからだった。
「やっぱ、環さんはやりにくいなぁ……」
「本音が漏れてるぜ」
「隠しても見透かすでしょ」
「それはそう。というわけだ、これは取扱説明書の存在する事案。解説役さえ用意すれば、あとは綴くんでも対処可能。妖狐を呼ぶのは、最後の最後でいい」
「か、解説役なぁ……」
嫌いなやつの顔が浮かんだ。絶対にやめてくれよ。と、願ってみたが、環は揶揄うように笑ってしまっていた。
「解決するまで、玲の面倒を見てくれ」
「……環さん、性格が悪いって言われませんか?」
「ないね。終わってるとは言われるけど」
「納得です……そっちのが上位互換って感じですし……」
ここでピースをしながらドヤ顔をするのが、不快指数を上昇させてきた。
「期限は夏休み一杯くらいまであるけど、遅くても一週間以内には終わらせてくれ」
「来週の金曜を過ぎたら夏休み。人の集まりが悪くなると、色々と揃いにくくなりますね」
「話半分で済むから助かるよ。というわけだ、何あったら連絡してよ」
「あ、連絡先の交換をしておきましょうか。まだやってないですよね?」
「いや、終わったよ。勝手にスマホを触ったから」
個人情報の塊のスマホを勝手に触るだけではなく、何かしらの方法でロックまで解除して無断しようするとは、蘆屋環はやっぱり性格が終わっていた。
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