第11話 鳴間綴の七月九日①
あれから四日。木曜日になっても綴の気持ちは落ち着きはしても晴れてはくれなかった。
峠兎に変わってしまう条件の中には、相方の消失が含まれていた。そして、そこから生じる深い喪失感が穢れ。いやもう終わったことだろうが。と、気にしないようにしていたが、こうしてふと思い出しては原因を勝手に探し始めてしまっていた。
いつものように放課後の図書室で課題をやっている手も動いてくれていない。皐月は、受付からそんな綴を怪訝そうに窺っていた。
「悩みあんの?」
「まぁ、学生って基本的に悩んでるもんだし。お前を頼ってくるやつが絶たないのもそれが理由だし」
「あー、その絶たなかった相談者にカエセって落書きをされてた子がいたじゃん」
「いたな」
「犯人に確認したら、ソシャゲの周年用に貯めてた石をふざけて使われたのが許せなかったとか。恒常に全部突っ込むとかやりすぎ。完全に被害者が悪い」
「鼻の骨を折られて形が変わればいいのに」
「それはそう。だから、この話を流しておいてやった。被害者は、少し居心地が悪くなってるみたい」
「よくやった」
情報収集からの情報操作。秤守家の威光を使った方法。人によっては不快感を抱く行為だったが、共有することで胸が梳いた。綴も同類ということだった。
「やっぱ、最近の綴はなんか変だよ。元気が無いっていうか」
「いつもこんなもんだろ」
「うまく言えないけど、なんかこう……やっぱ言語化出来ない……」
「読書家が語彙力で詰むな」
「辞書は上手に使う人がいるから機能するのと同じで、私は頭の中の辞書を上手に扱えていない。意味を理解していても、引く単語が浮かばなければ、宝の持ち腐れだってこと」
だから皐月は俺に引かせる。そう言っているかはわからないが、すぐに考えすぎるように頭は勝手に働いていた。あとはこれを証明するだけ。いや、する意味ねーだろ。と、課題へ戻った。やっぱり、手は動いてくれなかった。
「七星のことを教えてほしい」
固有名詞の意味を引くと、辞書は観念したかと言いたげに頬杖を付いた。
「やっぱりそれが気になってたか。実は行方不明だったって噂が流れ始めてるし」
「気付いてたなら教えてくれよ……」
「綴への七星さんの話題は地雷。こっちはこっちで取り扱いに注意しなきゃいけないんだよ」
七星は皐月には好きだったことは伝えていなかった。けれど、この口ぶりだと察してはいるようだった。
皐月とは生まれたときからの付き合いで、綴が皐月がどう過ごしてきたのかを知っていた。 それは皐月にも言えることだった。いや、玲のような性格だったらそうとも限らないが、皐月は皐月で目聡さがあった。こと綴のことになると、専門家の域に入っているのだろう。
「勘繰りすぎ。ただちょっと気になっただけだよ」
下手くそな言い訳だったが、きっと皐月はこれで踏み込んでこない。皐月はもう、綴の取扱説明書を所持してくれている。
「どこから気になってるの?」
「推薦を貰ったとこから」
「オッケ。山口県の高校に推薦で進学した。でも、タイムが伸び悩み始めてたみたいでね、地元の友達によく相談してたとか。まぁ、天才の悩みは天才にしか解決できないのか、ただの愚痴相手しかやれなかったって。私の話はその子から聞いた内容ってことね」
皐月はそれが誰かなのは伏せた。今回は問題解決ではなく、綴の憂鬱を取り除くのが目的。不必要な情報だと辞書は文字を消してくれた。
「その天才に相談するにも、ライバルだし難しいかもな。勝ちたい相手に明確なアドバイスを送れるほど優しく生きれないし」
「関係性によるからなんともだけど、七星さんに限ってはたぶんそうだね。ある意味、七星さんは去年の全国大会で、その子たちの鍛錬を殺して踏みつけて最速を証明したわけだし」
「残酷だけど、勝負事ってそういう面があるからな。みんな違ってみんないいなんて道理は、ぬるま湯に浸かってるやつらの戯言かもしれない」
「アンチ生みそう」
「すみません許してください」
コホン。と、皐月は咳払いをした。
「しかも寮暮らし。落ちた天才の立場は徐々に悪くなる。七星さんは今年の全国予選を突破できなかった。それから少し経った六月の中旬から練習もやらなくなってしまった。ずっと飼育係の飼っていた兎を眺めてたとか。授業もサボって一日中、棒立ちでね」
「誰かと顔を合わせたくない。かといって、全国最速の成功体験からのプライドから帰省もしたくない。葛藤からそこへ逃げた。思い付く動機はこんなとこかな」
令和版の峠兎の逸話の条件は揃い始めていた。というか揃ってしまったのだろう。綴は、七星がそうだったことをすでに知ってしまっている。
「かもね。でも七星さんはそれから忽然と姿を消した。なぜか兎も消えてたとか。行方不明の捜索願が出てたんだってさ。それがどういうわけか、日曜日の夜に救急車で担架ごと乗せられているとこが目撃された。場所は三叉路神社の前だよ」
「黒い着物の気の強そうなやつも月曜以降は見てないな、というか、妖狐も見てないな」
「ならそういうことなんじゃない? けど、私はその少し前に、綴が着物の子と話していたのを知ってるけどね」
「辞書は辞書らしく、引かれた単語以外の意味を教えずに黙ってろ」
「言葉が強すぎ。でも黙っとく。私にとって、綴は怪異のようなものだからね」
ピンポンパーン。と、校内放送の報せが響いた。
「一年一組の鳴間綴くん。生徒指導室まで来てください」
淡々と冷たい口調の若い女性の声だった。その場所は、悪さをした生徒が呼び出されるところ。心当たりが全くなかった。
「綴、なんかやったの……?」
「……皐月の知る俺の中にそういう要素はあるか?」
「無いね。ただ、知らないだけでやってそうとは思うけど……あと、僕、なにかやっちゃいました? って可能性も」
「勝手に異世界転生ものの主人公にすんなや……とりあえず呼び出されたなら行かないともっと怒られる。戻って来なかったら先に帰っててくれ」
「まぁ、異世界から帰ってくるのって大変そうだしね」
「もういい……行ってくる……」
そう肩に鞄をかけてから向かう途中、皐月の呼んでいた本が目に入った。やっぱり読んでいたのは異世界転生ものだった。
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