第9話 蘆屋玲の七月五日①

 玲は鳥居で掃き掃除をしていた。近くに人が立っていた。憔悴しているようでふらついていた。青白い顔で視点も定まっていなかった。 


 妖狐から、男子高生の名前は教えてもらっていた。鳴間綴は限界を迎えてしまったようだった。


「もう無理。助けてくれ」


「なんの話ですか?」


「お前の用事を全て話せ。話せる範囲でいい……ここで終わらせてやる……」


「話せと言われましても……」


 本来、峠兎の件は玲がではなく、環がやる予定だった。きっと環ならば、綴をここまで追い込むこともなかったし、親切丁寧とまではいかないが説明がてらさくっと終わらせていただろう。


 綴がここまで摩耗したのは、玲の意地のせいだった。そして、一秒でも綴はすぐに終わらせたないのに、玲はまた自分の意地で綴に諦めさなければならなかった。


「そうだな……例えば、方法とか。漠然としたものでもいいし、お前がここにいる理由とかでもいい」


「私の用事は巫女の引き継ぎ。ですが、妖狐はなかなか頑固でして、私の言う通りに動いてくれないのです」


 ある程度、シュミレーションはやっていた。用意していた設定を並べると、綴は玲の隣へ立ってから段差へ座った。


「その引き継ぎが失敗するとお前はどうなるんだ?」


「巫女を辞めさせられます」


「どんな試験だよ……あいつが動くわけないだろうが……方法と手段を選んでたら絶対に無理だぞ……」


「あぁ、はい。上からは方法手段は選ばなくていいと指示されていますね」


 綴は、鬱陶しそうに舌打ちをした。


「さっさと言えよ。それ、俺が動かしてもいいってことになってる」


「やめてください。不合格になりますので」


「俺を通じてお前が動かした。百点満点じゃないけど補欠合格くらいの判断は貰えるだろ」


「厳しいお方なのです。そのような屁理屈を許容してくれません」


「俺から言わせれば、取られた揚げ足に立場と年齢でマウント取ってくるやつなんて他人にだけに厳しい雑魚だけどな」


 身内への失言。今度は玲が舌打ちをしてしまった。


「あなたが考えているよりもずっと偉大なお方なのです。実力主義で甘えは許してくれません」


「だったら尚更通るだろ。お前がそんだけ言うなら、隙なんて作らないし、屁理屈こねればちゃんと評価もしてくれる」


「お断りします。私は満点で合格したいので」


「満点で合格したら、次も満点じゃないと評価が下がる。でも補欠合格ならゆっくりと上げる余裕が生まれる。俺は説教が嫌いなんだ、こんなものはやっているやつが気持ちいいだけの無駄な時間だからな。さっさと通せ」


 綴の言うように、確かに次も満点を取らなければ評価は下がって失望されるかもしれない。その考えには一理あるかもしれなかったが、屁理屈に屁理屈を返されたときに上手く返せる自信がなかった。


「……補欠合格したとして、そのときはどう誤魔化せばいいですか?」


「そんなの簡単だろうが。そいつを妖狐に殺させろ。結局、言葉なんてのは単純な暴力には弱いんだからな」


「り、倫理的にどうかと……」


「なんでもやっていいなら、暴力だってありだろうが。お前がずっと敬ってる人、たぶん気に入らないなら殺してでも奪い取ることを許容してるはずだぜ」


 そういう人だった。どうして、ただの会話からここにいない人物の人柄が浮かんでしまうのだろうか。どういう思考でそう至ったのか、理解が及ばなかった。


「していますね」


「じゃあ巫女の補欠合格の問題はそれでクリアだ。次は俺の用事を済ませたい。通るぞ」


 遮ると補欠合格は消え、かといって言い包めて追い返すことも出来そうになかった。もう鳥居を抜けてしまっていた。背中を追いかけるのが精一杯だった。


「どうして、私を補欠合格にしてくれたんですか? 言葉で退けることも出来たはずです」


「やろうしなかった。出来たかはわからん」


「では、その選択肢を切った理由を教えてください」


「巫女の引き継ぎの条件は妖狐を動かすこと。これ、もう試験じゃん。覚悟も決めすぎてる。折れさせるのに時間がかかるんだ。折衷案を提案したほうが通りやすい。別にお前に為にやったわけじゃない。時短だからやっただけだ」


 方法手段を選ばれなかった結果、何もしないで補欠合格したようなものだった。答えのないことに答えを与える才能。怪異などという曖昧に取扱説明書を作成するのに打ってつけの才能。それは玲にはほぼ存在しない才能で明確な差でもあった。


「ふふん、随分とお疲れな様子だな。いつもよりも陰気な顔をしている」


 妖狐は、賽銭箱で足を組みながら、綴を案じるどころか、軽口を叩いた。


「正直、金曜の夕方にやっとけばよかったって後悔してる。頭がおかしくなる寸前だったからな……」


「文句はこちらに頼む」


 そう妖狐は玲へ顎をやった。悪絡みされたくないと綴から顔を逸らした。


「もうそれはいい……さっさと終わらせてくれ……」


「その前に伝えておきたいことがある。被害者は息のかかった病棟で幻覚や夢だと認識するよう教育されるが、さすがに綴は知りすぎた。私や玲の試験のことまでそう処理するのは難しい。陰陽師をやらされることになるぞ」


「外堀を埋めて断りにくくされてる。断っても、やるまで粘着されそうだな」


「されるな。使えるものは何でも使え。方法手段は問わない。令和の陰陽師たちにこう制定するようなやつだからなぁ」


「じゃあもう逃げられねーじゃん……怪異よりもその人のがずっとやばそう……」


「ふふん。妖怪共もそう言っている。蘆屋環。ここにいる玲の叔母で現在の陰陽頭。もっとも偉いということな。覚えておくように」


 綴は、あー、と、濁ったように喉を鳴らした。


「最近、気が重いことしか起こってないな……」


「そう悲観するな。その一つは、すぐに終わらせてやる」


 妖狐は自分の髪の毛を一本の抜くと、玲と綴の間へ投げた。すれ違う頃には、金色の狐に変わっていた。玲の髪を風で撫でると、あっという間に鳥居を抜けてどこかへ消えていった。


「白兎の場所、どこかわかるのか?」


 綴がそう訊ねると、妖狐は顎をしゃくってドヤ顔をした。


「当然。この街くらいならば、耳を澄ませば会話を聞き分けられるくらいだからなぁ」


「じゃあ俺とこいつのさっきの話も知ってそうだな」


「耳にしている。補欠合格の件なのだが、私はそこまでやるつもりはない」


「そっか。じゃあやんなくていいんじゃね。俺もどうでもいいとこだしな」


 話が違う。ちょっと待ってくれと、玲は綴へと向いた。


「あなた……どういう性格をしているんですか……」


「令和の陰陽師らしいやりかたじゃん。騙されるやつが悪い」


「だ、騙したって……性格が悪い人ですね! 約束はちゃんと守ってください!」


「こっちはお前がちんたらしてるせいで恐怖体験で狂いそうだったんだよ……それって才能が無いってことだろうが……俺はそこそこお前にキレてるからな!」


「私は妖狐と出会ってまだ二日。あなたは三年。浅い付き合いでは頼みも聞いてくれるはずないです! 自分は昔から知り合いだったからと偶然を利用してマウントを取らないでください!」


「使えるものは何でも使っただけ。代わりになるものを持ってなかったお前の落ち度」


 ああ言えばこう言う。どこまでも、綴のことを好きになれそうなどなかった。


「お前と呼ばないでください。上から目線でむかつきますから。私の名前は蘆屋玲ですから」


「すみません、蘆屋さん」


「うちの者は同じ苗字が多いです。ややこしいので下の名で呼んでください。親しみは込めないで頂きたいですが」


「じゃあ、ただの区別として玲と呼ぶ」


「一言多い人ですね……」


「弱い犬ほど良く吠えるって言うだろ。俺はそれ。だから、だらだらだらだら回りくどい言いかたで長話をしようとするんだ。いちいち真に受けてると脳みそがバグるぞ」


 言い包めようと意地になり始めていた。それが正常でないということならば、玲の脳のバグっていることになっていた。また見透かしてきた。腹が立った。


「……やりにくい」


「補欠合格のこと、頭から抜け落ちてそう」


「お、覚えていますが……?」


 嘘だった。妖狐は表情筋を緩めながら足を組みなおした。バレていそうだった。


「……まったく。まぁ、下の名で呼ぶことに特別な意味を持たないのは玲の言った通り。綴もそう呼ぶことを許してやれ。癖のようなものだからな」


「嫌だ。俺は蘆屋玲に鳴間綴と呼ばせたい」


「ラノベのタイトルみたいな返事をするな……拘りの少ない綴らしくないぞ」


「なんか合わないんだよこいつ。向いてないことをやって意地を張って、かといって血反吐を吐くまでやることもやってなさそう。自分は選ばれた人間だって全能感がどこか抜けてないのがすげーむかつく。それこそラノベの主人公のがもっと頑張ってるぞ」


 好き勝手言ってくれたが、先ほどよりはずっと気分が落ち着いていた。嫌がらせが出来そうだったからだった。


「綴……綴! 綴! 綴! 綴!」


「人の名前を連呼するな……」


「綴! 綴! 綴! 綴! 綴!」


「妖狐、こいつを殺してくれ……」


 その妖狐は、面倒くさそうに玲を見てから自宅へと向かえというふうに手を払った。


「お前がいると綴の機嫌が悪くなる……飯の準備をしてきてくれ……」


「お断りします」


「ならば殺そう」


「あなたたちは命を軽く見すぎですよ……」


 はぁ、と、綴は心底鬱陶しそうにしていた。


「妖狐が気を遣って逃げ道を用意してくれた。そういうの、気付けるようになったほうが少しは生きやすくなるぞ」


「説教は嫌いなんじゃなかったんじゃないですか?」


「うん。だからこれは、俺のただの憂さ晴らしだ」


 カウンターを決めたつもりだったが、受け流してそれを悪口にしてきた。話していたらこっちは狂いそうだと、ストレスの限界から綴と妖狐へ背を向けてしまっていた。

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