第7話 蘆屋玲の七月三日④
ソファーとテレビの間にあるテーブルには二人前の親子丼が置かれていた。玲は持ってきていたパジャマ姿で床に座りながら、ソファーにいる妖狐を窺った。
妖狐は丼と木製のスプーンをそれぞれの手に持って口へ運ぶ。喉を鳴らすと、すぐにスプーンを滑り込ませた。
玲も口へ運ぶ。自己採点は及第点だった。けれど、妖狐はすぐに丼を空にしていて、玲の手元を物欲しそうに眺めていた。
欲しいのかと差し出すと、受け取ってすぐに手を動かした。玲は空になった丼へ自分のスプーンを置いた。すぐに同じものが隣に並んだ。
「お前、陰陽師を諦めろ。こっちの才能のがずっとある」
「嫌です」
「天才料理人がこの世から一人減ってしまった。これは由々しき問題だな……」
「まだ私が料理の天才と決まったわけではありませんけどね」
「私は長く生きてきた。だから人を見る目もあるわけだ。お前の料理の才能は非凡も非凡。とろとろ卵の火入れが特にいい。誰かに習ったのか?」
「母に基礎を。応用は独学です」
「やはり天才ではないか……」
微塵も嬉しくなかった。それはやっぱり、玲の目標が料理人ではなかったからだった。
「私は陰陽師として認められたい。嫌味はよしてください」
「バカなやつだ」
妖狐はつまらなそうにしながら、テレビへと目をやった。バラエティー番組が流れていて、それを楽しそうに観始めた。心霊特集だった。
「子供の頃に見かけた口裂け女の捜索ですか」
「私は出会ったことがないな」
「いませんからね」
「信憑性があるな……お、次はツチノコだ」
「ツチノコは逸話しか残っていませんね。ここ数百年は姿すら見かけられていません」
「私が食べたからな。かば焼きにしておいた」
「さ、左様で……」
もしかするとまだどこかには現存しているかもしれない。陰陽師なのに一般人と同じ発想を持ってしまったのは、へらへらしている大妖のせいだった。
「宮司さん。いらっしゃいませんね」
「殺したからな」
「そこまでする必要があったんですか?」
妖狐はソファーに身体を預けると、ぐでー、と、しながら天井を仰いだ。
「この街には秤守家という名家があってな、徳川の将軍にも献上していたほどのいい酒を作る酒蔵をやっているのだが、ふと飲みたくなって立ち寄ってみたんだ。しかし、この世とは思い通りに行かないように出来ているのか目当ての酒が売り切れていた。残念だとここの前を通りかかると、四十過ぎの男がその酒瓶を抱えて鳥居を抜けようとしていた。私が物欲しそうに覗いていると、そいつは笑って誘うように背を向けた。話し相手をするだけで美味い酒が飲めるなら、それくらいは我慢してやるかと中に入ってみた」
その男が宮司だったのだろう。最後は先に教えられていた。これから妖狐が語るのは、死に際の様子。面白い話ではなかったが、これもまた逸話。陰陽師としては、妖狐を深く理解する為に耳を傾けなければならなかった。
「いつの時代も、怪異と色恋は遠くありませんでした。あなたの容姿は人によっては毒にも薬にもなる。そのどちらにもあてられてしまったのでしょうね」
「あいつの趣味は酒だった。身寄りもなく一人暮らし。話も両親の介護が済んで肩の荷が降りたなどとどうもつまらない。すぐに話題は途絶えた。私の目当ては酒。あいつの気分などどうでもよかったが……魔が差したのか、同じようなことを過去にしていたのか、私の背後に回って絡みついてきた。酒が不味くなってしまった。あいつは私の楽しみを奪ってしまったのだ」
妖狐が炎を起こせば、人など灰も残らぬほどにすぐに消してしまえる。そのとき、宮司の人生は終ってしまったのだろう。
「宮司が消えれば、不審がられます。どうやって誤魔化したんですか?」
「酒がたたって体調を崩したと秤守の者には伝えておいた。戻るまで私が神社にいるからよろしくともな」
「それからは定期的に別人のふりを?」
「いいや。面倒だと後回しにしていたら今になってしまっていた。色々な逸話が勝手に生まれ、寄り付くのは無邪気な子供くらいになった。鬱陶しいが、あれはまだ善悪の判断が危ういとこもある。殺さずに怒鳴って追い払う程度で勘弁してやっている」
あの女子高生が遠ざけようとしてくれたのは、これが原因のようだった。居付くならやることをやってくれと思わなくもなかったが、それを正せるほど玲は強くなかった。
そしてそれを通せそうな環もそこには無頓着。もうそういう場所だと放置しておく判断をしたのかもしれなかった。
「どうしてここに三十年もいたんですか?」
「宮司の名義を使えば、だらだらできたから。それだけだ」
それの証明は、テレビの横のゲーム機とソフトが済ませてくれていた。
「環様と出会ってからは、楽しくない時間も増えていそうですけどね」
「ここ三年はそうでもないな。太ったガキが急に現れてな、勝手に石畳の上を全力疾走していたんだ。狐の聴力は人間の十倍。私ともなればもっとすごい。足音が気になってな、怒鳴って帰らせてやったんだ」
「まぁ、そのほうが本人の為かもしれませんね。あなたの容姿に一目惚れでもしてしませば、この世を去ることになりかねません」
「それが次の休日にまた現れてな。また怒鳴って追い返したんだ。そしたら、翌日の休日にまた現れた。こいつは人の話を聞けないやつなのかと殺しそうになった。普通、私が殺意を持てば怯えて動けなくなる。けれど、あいつは走っていた。というか私のことなど見ていなかった。こんな美女が近くにいるのに無視をしたんだ。意味がわからなかった」
「さすがに周りが見えていなさすぎかと」
妖狐は何か言いたげに黙ってしまった。引いたように玲を覗いてきたので、その玲はなんだろうと首を傾げると、なぜか呆れたような顔に変わった。
「まぁ、周りが見えぬほど必死になれば、恐怖心は失せる。だから、自分がその状態だと自覚に欠ける。誰のことを言っているかわかるか?」
「その無断で走っていた子供のことでしょう?」
「そうだな。まぁ遊んでいるわけでもない。居場所を持たない憐れなやつだと、特別に許可をしてやったんだ」
「あなたが折れるなど、随分と変わった人間なのでしょうね」
「色々話してみたが、感想はあいつは壊れているだったからな。あまりにも穢れを抱えすぎていた。三年かけて、自分で多くの穢れを祓ったがな。けれど、穢れは消えては生まれるもの。余白を新たな穢れが埋めてしまった。というか、よく溢れて怪異とならなかったと安心しているくらいだ。あいつが妖怪変化していれば、多くの人間や妖怪が消えているぞ」
さっき、本能的に背を向けてしまった男子高生がいた。彼がそうなのかはわからなかったが、まともではなさそうだった。恣意的に人を遠ざけているような、そんな雰囲気さえあった。
「そのこと、環様はご存じなのですか?」
「私たちが祓わせたい穢れはそれだからな。あいつよりもずっと不幸な人間はいるが、それでも下から数えたほうが早い。あいつは、与えられたものの中から少しだけ守れているだけで、欲しいものが何も手に入っていないんだ。そんな大きな穢れは、一つでも多く祓わせておくに限る」
「妖狐でも人を憐れむことがあるんですね」
「お前、さっきあいつと会ったとき。背を向けただろ」
「やっぱり彼ですか……よくご存じで。別に怯えたわけではありませんけどね」
この先は言いたくなかった。それはおそらく環と妖狐の考えていることで、玲がもっとも避けたい事実だったからだった。
けれど、妖狐は見透かしたように上機嫌に顎をしゃくっていた。
「玲の心を一つ折っておく。あいつはすでに、お前以上に陰陽師として形になっている。暴き欺くことに関して特化しすぎているからな。人を根本的に信用していない、歪な性格によって形成されるた才能。物事に優先順位をつけ、一位を守る為なら平然と二位を殺せるはずだ」
「それ、頭の中身が環様ですよ。さすがに買い被りすぎかと」
「もちろん環ほどではないが、才能があるのは確か。私と環のお墨付きだからな」
やっぱり理由は穢れうんぬんではなく、環に似ていて嫌いだったのほうだった。だから、こうなってしまう。
人生を懸けた試験中に知らぬ天才の話など聞きたくなかった。
「本人には伝えたんですか?」
「いいや。これは、あいつがもっとも欲しくない才能だからな。穢れの原因にも付随している」
「才能とは、つくづく欲しい者には巡ってくれないものですね」
「憎まれっ子世に憚る。という言葉があるくらいだ。この世は、なかなかに理不尽で地獄だぞ」
「まったくその通りですよ……さっき知らされた憎まれっ子に憚れそうですからね……」
憚らせたくなければ、玲が妖狐をその気にさせて峠兎を祓わせればいいだけだった。そうすれば、男子高生が陰陽師にならずに済んでライバルも減ってくれる。
けれど、それはこの世にとっては良くないことだった。
期待していないんだから、さっさと諦めてよ。そう、遠くから環に叱られているような気分になってしまった。
「あいつは私が妖怪で玲が陰陽師だということに気付いている。だから、あいつは私たちを利用しようとする。もう、あいつは峠兎に絡まれてしまっているからな。気休めの対策は伝えておいたが、我慢にも限界がある。あいつの性格的に日曜の夕方くらいに訪れそうだ」
「二日を切っていますね……」
「そう気を落とすな。お前の料理は私を動かすほどではないが、少し味方をしてやる程度には美味だった。もしあいつに鳥居を抜けさせなければ、お前の勝ち。そのときは私が祓ってやる。ただ、勝負は口だけで行うこと。一般人を相手に力任せは無粋だからな」
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