第6話 蘆屋玲の七月三日➂

 数奇な目と戦いながら三叉路神社の前に到着したのは午後五時前だった。東京駅からは一時間と少しで到着できるはずだったが、三時間も遅れてしまっていた。


 理由は、迷宮化していた駅で人の少ないルートを通過しようとしたせいで迷子になったからだった。


 結果、余計に人目に留まってそのたびに睨み返してしまった。そして、それだけ疲れた。鳥居の前に立つ頃には、はぁはぁ……、と、キャリーバッグを支えにしてしまうほどだった。


 そして、ここにも数奇な目を向けてくる相手がいた。ショートカットに眼鏡をかけた女子高生だった。全身を舐めるように、上下へ頭を揺らしている。


「見ないでください」


 そう睨むと、女子高生は動きを止めてから柔らかい表情をした。


「あぁ、ごめんなさい。上等なお召し物だなって。普段着にするのは勿体ないなーって思っただけだよ」


 この女子高生はこれまでの誰よりも年下だったが、誰よりも審美眼が備わっていた。先ほどまでの態度による印象は一気に反転してくれた。


「しっかりと価値がわかるようですね。ということは……あなたは! 呉服屋の娘ですね!」


 そう犯人を言い当てるように指を差してからドヤ顔で言い当ててみたが、首を横へ振られてしまった。


「いや、違うよ」


「そ、そうでしたか……」


 イキったせいか、恥ずかしさがそれだけ増してきた。伸ばしていた腕はだらんと揺れた。女子高生は失笑してしまっていた。


「こんな街に観光なんて珍しいね。田舎でも都会でもないどこにでもある下町なのに。山が近いから田舎寄りではあるか。でも駅前は開けててモールがある。やっぱ中間って感じかな」


 そう近いような遠いような微妙な遠近感にある奥多摩の山脈を覗いた。事情を話すわけにはいかない。ちょうどいいと玲もそうしてみた。


「こう見えて、登山の心得がありまして、明日は登頂してみようかと」


「ふーん。宿は?」


「あ、忘れていました……」


「えぇ……」


「あーでも! ここに用事があるので、家は奪ってしまえばいいかと!」


「う、奪う? ど、どういうこと……?」


 女子高生は怪訝そうにすると、左側から同世代の男子高生が現れた。シャツにジーパンの凡個性という格好だった。


 ただ、人を食ったような顔をしていて、掴みどころのない扱いの難しそう雰囲気だった。男子高生は足止めると、玲を隔てて女子高生を見ていた。


「綴、どこ行くの?」


「スーパー。毬奈が冷凍のチキンライスに焼いた卵を足したいとか。じゃないと食べたくないってさ。説得よりも買うほうが早いと思った」


「妹の言いなりだね」


「可愛いからな」


「きも」


「人間、好きなもんを語ってるときは大体きもいんだぜ」


 めんどくさそうなやつ。関わらないほうがいい。苦手なタイプ。本能的にそちらへ背を向けてしまっていた。


 一般人と会話すると用事が漏れかねない。玲は、女子高生へ頭を下げて去ることにした。


「では、失礼します」


 そう鳥居を抜けようとしたが、あー、と、女子高生は後ろ髪を引いてきた。


「ここ、いい噂が流れてないんだよね。参拝なら他がいいかも」


「ご忠告感謝します。ですが、私はここへ用事があって訪れました。ご心配は無用です」


「ん? 用事は登山じゃなかったの?」


「……し、失礼します」


 逃げるように神社へ入った。左右に木が石畳と近いせいで圧迫感があった。振り返ると、二人は身を寄せ合うように会話を交わしていた。玲のことを話していそうだった。


 なんか悪口を言ってそうですね……むかつきます。と、気分が落ちきる前に頭の位置を戻しておいた。


 境内へ到着した。金髪の美しい女性が賽銭箱の上で足を組んでいた。巫女のやることではなかったが、こいつはそうじゃない。妖怪に人の倫理観を求めるのは違っていた。


「お前が来るまでの間に、環がわざわざ会いにきた。瓶に入ったプリンの手土産まで持参していた。関西地方の定番やつだ。美味かったから話を聞いてやった」


「私を殺すと脅したくせに、随分とおしゃべりな妖怪ですね」


「そのつもりなら鳥居を抜けた瞬間に消している。しばらく玲の面倒を見てくれと環が頭を下げたのだ。無下にしすぎると、お前ら全員と殺し合いになる。別にやっても構わないが、疲れるからやりたいわけではない」


「それ、私があなたを祓う意味も無くなっていそうなのですが」


「お前の本来の目的は峠兎を祓うことだろうが……」


「あぁ、失礼……」


 妖怪は、まったく、と、顔には疲れが浮かんでいた。


「お前は、九尾の妖狐という妖怪についてどこまで知っている? 私はそれだ」


「大昔に数百の陰陽師を相手に那須高原で大暴れし、追い詰められて殺生石とのちに呼ばれる岩へと姿を変えた。数百年後に力試しに割られてしまい、全国に八つが飛散。それから、発見されてはそのたびに一匹ずつ封じられていると」


「私はその最後の一体。八体目を封じたのは誰か知っているな?」


「環様です。時期は令和になってすぐだったかと」


「そう、あいつは自分の名を上げる為に私を利用した。当時のあいつは出世欲に囚われていた。私は妖物の中でも大妖。誰よりも偉くなるには手っ取り早かったというわけだ。実際、今の陰陽寮はあいつを中心に回っているしな」


 その環がわざわざ妖狐に頭を下げた。弱いならばまだしも、封じたという実績があるのに。なにか特別な理由でもありそうだった。


「環様とはどういうご関係なのですか?」


「あいつは、選ばれたわけではなく、力で偉くなった。身内に敵が多い。定期的に現れては愚痴の相手をさせられているのだ……」


「気に入らないなら殺してでも奪い取れと仰られていますからね……」


「あいつは、性格が終わっている。だから、敵が多いのだ……」


「封じられたのに恨んでいないのですか?」


「あいつはなぁ、用事を済ます為ならば敵将の靴の裏すら平気で舐める。八体目の私を封じてすぐに菓子折りを持って謝りにきた。そのとき、自分が死ぬまで大人しくしていてくれ。こっちもこっちで封じるのに疲れるからと懇願された。環が死んだときにあいつの封じた私が自由になるように儀式は組み換えさせたがな」


 嫌な予感がした。そして、おそらくそれは勘の悪い玲でもわかるほど予感というよりも正解だった。


「それ、他の陰陽師は知らなそうなんですが……」


 ふふん。と、妖狐は楽しそうに顎をしゃくった。


「陰陽師にとって全ての私を封じることは宿願の一つ。それを自分が死ねば解けるように変えてしまうなど、あいつは今のことしか考えていない人の上に立つ資格の無い人間ということだ」


 やっぱりそうだった。自分が正しいと思えば、他人の意見を無下にする。環に敵の多い理由の一つだった。


「環様のお考えがわかりません……」


「人も怪異もあいつの腹の底など探れるやつはいない。ただまぁ、それでもわかることはある。環が指揮を執っていなければ、怪異の数はもっと増えていた。無機質で合理的と前時代の陰陽師とぶつかってでも環は行動で示した。だから、人も怪異も環を天才と認めざるを得ない。不服でもな」


「私が陰陽師として認められていない理由もそれですよ。弱者は不要。合理的ですよね。あ、いえ、環様の主観なので勘違いではあるのですが」


 心の弱さは成功率を下げる。危ない。と、訂正しておいた。きっと妖狐は返す刀を用意してくるのだろうと構えていたが、特に変わった様子はなかった。


「それはどうでもいいのだが……偶然、環のスマホに繋がらなかったせいで鳴った黒電話はお前をここへ誘った。ついでに、環は使えるかどうかの試験をしてくれるらしい。峠兎を祓えなければ、軟禁生活の開始だとか。お前も苦労人だなぁ」


 最後に足された台詞は粘り気のある口調だった。ディレイでやってくるな。ファストでやれ。


「合格すればいいだけです。期限を教えてください」


「次の被害者が現れるか、お前以外の人間が鳥居を通り抜けるまでらしい」


「前者は理解できますが、後者は理解できません」


「私たちは私たちで祓わせたい別の穢れがあるということだ。というか、そちらのが重要。繰り返すが、お前の試験はついで。期待などしていない。私も環もな」


 そんなことは言われずともわかっていた。あとで吠え面を書きながらコンと鳴かせてしまえばいいだけだった。


「使えるものはなんでも使え。方法手段は問わない。これは環様が定めた令和の陰陽師の心構えのようなもの。舐めないでください。その通りに祓ってみせますよ」


「そうかっかするな。勢い任せに飛び出たせいで、道具の類も持たされていないのだろう? 峠兎を祓うには私を動かす必要がある。ご機嫌取りはしておくべきだと思うぞ」


「最初から方法は一つしかないということですか……。わかりました。どうやらあなたは食事が趣味なご様子。ご用意させてください。リクエストもどうぞ」


「では、親子丼にするか。冷蔵庫に材料もあるしな。ほら、行くぞ」


 そう賽銭箱からぴょんと飛び降りると、左の伸びていた道へ入っていった。少し先に家があった。昭和初期から中期に建てられたような古びた平屋だった。


 平屋の前に立つと、妖狐はガラガラと引き戸をスライドさせた。見た目に反して中は近代的な作りになっていた。ここだけ切り取れば数年前に新築されたものと遜色がなかった。


「リフォームしたのですか?」


「あぁ、戸の開け閉めが煩わしくてな、ついでにぶち抜いておいた」


 この空間には間仕切りというものがまったくと言っていいほど存在していない。だだっ広いワンルーム。まるで有名インフルエンサーの豪邸公開動画に登場するリビングのようだった。


 妖狐は先に上がってソファーに座ってから、壁掛けのテレビを点けてだらーっとした。テレビのすぐの棚には大量のゲームソフトが詰まっていて、棚の上にはその時代時代で覇権を取ったゲーム機が飾られていた。いや、覇権を取っていないものもあった。


 他には、パソコンの置かれた机。本のぎっしり詰まった本棚。ベッド。掃除機。風呂とトイレ続いてそうな二枚の壁際のドア。クローゼット。大きな石碑を横に倒したようなダイニングキッチンと冷蔵庫と食器棚。という感じだった。


 しかし、部屋が広いせいで、配置というよりは、とりあえずここに置いておいたという感じだった。点在しているというほうが正しいかもしれない。


「あの……どれもこれも離れて置かれていて、逆に使い勝手が悪くないですか?」


「道楽ついでの失敗作だからな。次があれば、そのときは今回の反省点を活かせばいい」


「じ、自分でやったんですか……」


 妖狐は、すごいだろうと言いたげにドヤ顔をしたが、すぐに右のドアを覗くたびに暗くなっていった。


「風呂がカビ臭くて耐えられなくなったのだ。……それに、あの昭和のタイルはメンタルによくない……」


「よ、妖狐が集合体恐怖症とは意外ですね……」


「誰にでも苦手なものはある。それは大妖も変わらないということだな」


「左様ですか」


 キャリバッグを玄関に置くと、妖狐は右のドアへ顎をやった。


「風呂に入れ。汚れた身体で飯を作られると、なんか気持ち悪いからな」

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