第4話 蘆屋玲の七月三日①

 蘆屋玲は制服姿で玄関で靴を履こうとしていた。片足を靴に滑り込ませると、ジジジジジジジジと聞き慣れない大きな音が響いた。


 自宅は五十年以上前に建てられた日本家屋。廊下には昭和中期のトレンドっぽい古びた引き出し棚が置かれている。音はその上の黒電話からだった。


 令和に固定電話が鳴ることなど滅多にない。むしろ、設置されされていない家庭のがずっと多い。


 年配向けのセールスかと無視しようともしたが、陰陽師と死は一般人よりもずっと近い。もしかすると訃報かもと振り返って手を伸ばしてみた。


 身体二つ足らなかった。あーもう……。と、玲は靴を脱いでから玄関を上がって受話器を手にした。


「はい! 蘆屋ですけど!」


 まだ登校までは時間があったが余裕までは無かった。つい口調が強くなってしまった。


「『峠兎』が現れた。三叉路神社に顔を出せ。くそほど面倒だが説明してやる」


 若い女性の声だった。どこか見下したような偉そうな口調だったからだろう、時間が無いのもあって苛立ちに拍車をかけてきた。


「命令しないでください」


「お前にやれと言ったわけではない。やるのは他の奴でもいい。報告だけはしておけよ」


「名も名乗らぬ者の通報など受けるつもりはありません」


「私が誰かもわからぬ程度の陰陽師だということだろう? 己の無才の八つ当たりを私でしてくれるな」


「……あのですね。私は由緒正しき蘆屋の家に生まれた天才。無礼な態度は如何なものかと」


 返事は人生で初めて耳にしたほどの大きな溜息だった。


「……私が誰か言ってみろ。あと、峠兎についても詳細に頼む」


「……一般人へは守秘義務があります。お伝えすることはできません」


 どちらも心当たりが無かった。けれどここで言い負けるのは腹が立つ。陰陽師らしい理由を述べて躱すことにした。


「そこそこ守秘義務を破っているがな……まぁいい。私は人ではないし、お前の叔母である環とも顔を合わせている。体のいい言い訳で逃げ切れる相手ではないのだ。さっさと環に連絡しておけ。お前では絶対に手に余るからな」


「手に余るって……やってみなければわかりませんが?」


「数代前から陰陽頭は蘆屋家の者が選ばれている。だからお前が先祖に泥を塗るまいと必死になるのもわからんではないが、才能とは必ずしも欲しい場所に巡るとは限らない。お前には才能が無い。話しているだけでもわかるほどにな。すぐに死ぬだけ。諦めて他の道を選んでおけ」


 朝から最悪な電話だった。出なければよかった。どうやら電話の主は人ではなく妖怪のようだが、だからこそ余計に気に入らなかった。妖怪ごときが陰陽師を評するなと。

「い、言いたい放題言ってくれますね……」


「あのなぁ、別に峠兎など殺してしまえるのだ。けれど、まだ七十五日経っていない。あれはまだ人に戻れる。だから、お前らの使命としてはそちらのが都合いいだろうと連絡してやった。それをぐちぐちぐちぐちと……朝から気分が悪いな……」


「それはこっちの台詞ですよ……まぁ、連絡には感謝しておきますけど」


「あー、感謝しろ、感謝しろ。ちゃーんと、環に連絡しておくようにな」


「しませんよ」


 受話口からは舌打ちが返ってきた。


「だから……」


「あなたは妖怪のようですが陰陽師について詳しすぎます。怪しいです。環様を危険に晒すわけにはいきません」


「お前が訪れるほうがずっと危険だがな……どうして環はスマホに出ないのだ……そのせいで変なのに絡まれたではないか……」


「だ、誰が変なのですか……失礼ですね!」


「それはお前だろうが……もう我慢の限界だ……殺してやるからさっさ来い!」


「祓われてやるから来てくだ……さ……は、話している途中で切るとはどこまでも失礼な……」


 ツーツーと、ずっと鳴っていた。通話が切れた合図だろう、始めて耳にしたが、ものすごく不快な音だと脳は記憶した。


 腹の虫が治まってくれない。玲は受話器を置いてから玄関へ背を向けた。


 三叉路神社という名に覚えはなかった。スマホで検索すると、東京都の外れにあると教えてくれた。


 準備を済ませて京都駅から新幹線で向かおうと、襖とすれ違いながら自室に向かう足音は終わらない苛立ちのせいでドンドンと響いてしまっていた。

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