第3話 鳴間綴の七月三日①

 昨日、皐月とそんな話をしてしまったからか、翌朝に葉子と会ったときにおかしな疑惑が湧いてしまっていた。


「綴……私のことを勘繰っているな?」


 綴は普通にしていたつもりだった。けれど、葉子にだけ察する機微があったのか、流し目で怪訝そうにしていた。


「昨日、学校で葉子の話題になった」


「その話、したくない」


「だよな。だから、ずっと避けてたんだけど、なんか白い兎にかけっこを仕掛けられて、負けたら足首が麻痺するって噂が流れてる。被害者は五人。全員、うちの中学出身の短距離をやってたやつ」


 そう説明すると、葉子は少し頬を膨らませた。


「綴も条件に当て嵌まっているな。気に入らない」


「俺も気に入らない。しかも、どうすればいいかわからん。保険を打っておきたい。やれることがあれば教えてほしい」


「こんな話がある。とあるやつが贔屓にしていた料理店があってな、足繫く通っていたんだ。どの料理も美味い美味いと舌鼓を打っていたんだがな、あるときにシェフが学生時代に自分へ嫌がらせをしたやつだと知ってしまった。そんなやつが手で触れたものを口にしていたのかと、嫌悪感に襲われて二度と店に行けなくなってしまった。この世には知らないほうが幸せなことというものが存在している。知ってしまうと、物の価値が変化してしまうからな」


 いい方向に変化することだってあったが、葉子の言いたいことはそういうことじゃないのだろう。


 濁して遠ざけたのは、ラインを越えてくるほどバカではないだろうという親切心からかもしれなかった。


「白い兎に絡まれた。これを確定させなきゃいいってことな。視認は絶対にダメだな。なかなかだるそうな条件だなぁ……」


 人は異変が訪れれば、不安を取り除こうとその場所を見てしまいがち。蓋をするのはそのあと。これはストレスの溜まる生活が始まりかねないと辟易としてしまった。


「見て見ぬふりをすれば、それは知らないことにしたということだからな。綴が私に続けてくれているのと同じだ。まぁ、中途半端ではなく、深淵の底を覗くほどに近づいてきたならば、相手をしてやってもいいけどな」


「遠慮しとく。片足以上は危なそうだし」


「そうしておけ。まだ引き返せる。確定したわけではないからな」


 綴は鳥居の奥を覗いた。蝉の声が全くしていなかった。葉子は箒を刀のように握ってから気取って舞った。


 いらぬことが気になったと、目を逸らしておいた。


「私は蝉殺しの巫女。駆逐しておいた」


「いや、教えるなよ。深淵に誘うなよ。というか、全部はやりすぎだろ……」


「それもまた蝉殺しの巫女の使命」


「その二つ名、どんだけ気に入ってんだよ……」


 葉子は手を振って中へ戻っていった。でもそれでよかった。わからないものはわからないでいい。


 確定させなければ、それは存在しないという意味から変わらない。


 この巫女は箒で蝉を打ち払って踏みつけて殺した。けれど、炎と毒で殺したのまでは見ていない。振った箒が偶然当たってそうしたとまだ言い訳くらいは可能。


 全ての蝉が消えたのだって、ホームセンターで蝉を駆除する薬品が売っていることにすればいい。そんなのあるかは知らなかったが、調べなければ有無だって曖昧なまま。


 邪推を事実と確定させているのは、どこかにいるかもしれない陰陽師だけでいい。

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