千川①

 ディスカウントストアって、はっきりとした基準みたいなのはあるのかな? そう名乗っていいと定められた法律だとか。

 訳すと安売りの店ってことだけれど、たいして、ひどい場合は全然、安くない店もあるよな。俺が働いているところがまさにそうなんだけど、とアルバイトで店員をやっている大学生の綿貫は思った。

 でも客の誰も文句を言わない。それもそのはず、ディスカウントストアと呼ぶ人がけっこういるだけで、うちの店がそう標榜しているわけじゃない。

 要は、小さいホームセンターやスーパーみたいな店のことを言うんだよな、日本では。販売している商品の半分くらいは食料品だからホームセンターじゃないし、でも雑貨もかなりあるからスーパーって感じでもなくて、ディスカウントストアという名称が一番しっくりくるから、みんなそう呼ぶんだ。そういう、英語をはじめとする外国語が本来の意味通り使われてないものって、割とたくさんある気がする。といっても、他の具体例はすぐに思い浮かばないけど。

 そんなことを考えていた彼が現在最も気になっているのは、働いているその店の給料がとても高いことだ。客は安定して訪れるものの、繁盛していると自慢できるほどには多くない。なのに、レジや品出しなどを行う店員としては、驚くくらい良いのである。世間は人手不足だが関係はないようだし、それが理由だとしても、上げ過ぎじゃないかと思うレベルなのだ。

 綿貫がこのアルバイトにありつけたのは、大学のサークルの先輩が勤めていたのを辞めるにあたって、代わりの人員として紹介してくれたからである。それは当然支障なく働ける立場だったためで、つまりは運が良かったのだった。

 ただ、ラッキーな一方で問題もある。客がそこまで多くないのにそんなに給料を従業員に払って、経営的に大丈夫なのかという点だ。もちろん給料が良いのは嬉しいけれども、だからこそつぶれたりしたら困る。

 店で取り扱っている商品は、他のところにはあまり置かれていない国内産のものが多いのだけれど、それは店長の千川が日本中を探して、守りたいと感じた生産者の商品をチョイスしているからで、その考えに共鳴して、わざわざ遠方から車でやってくる客もいる。そして、綿貫たちの給料を高くしているのも、どうやら生産者に対しての考え方同様、純粋に店員たちのためを思ってのようである。

 しかし世の中はそんな理想通りにうまくいくものじゃないだろう、と綿貫は考えている。食品を販売する別の店でアルバイトをしていた彼の友人が、店員にも客にも素晴らしい店長だったのに、立地が良くなかったりして売上は低迷し、急に閉店することを告げられて大変だったという話を聞いていた影響がかなりあるのだ。

 ゆえに、明日は我が身との不安が頭をよぎる。給料のみならず、通勤する場所の面でも都合はすごく良く、他の店員や常連の客に嫌な人はいないし、当分はそこで働きたいと願っている。

 とはいえ、心配ばかりしているわけではない。商品は生産者を助ける意図だけでなく、ちゃんと売れるものを選んでいると感じるし、店員はパートとアルバイトに限られ、給料が高いのも、店の儲けに連動したボーナスが毎月含まれていて、それは基本給は一度上げるとよほどの場合しか下げられないようになっているからであろう。しかし店の売上は月ごとそれほど差はないので安定して良い金額をもらえているし、ボーナスをやめようといった展開になったことが一度もないなか、友人のように突如の閉店に見舞われる可能性は、現時点ではほぼ皆無と判断して間違いなさそうだからである。

 が、それはそれでつまり、いざとなったら給料が大幅に少なくなったり、クビもあるということだろう。四十くらいの歳の千川は、基本ムスッとした無愛想な男で、躊躇せずそうした大なたを振るいそうな雰囲気がある。

 要するに、千川の実際の行動と見た目のイメージのギャップが大きいことが、経営が悪化した場合にどう動くか予測しきれないし、不安をかきたててしまうのだ。

 けれども綿貫は、それだけ高い給料をくれることに恩を強く感じてもいる。綿貫も千川同様あまり素直に気持ちを表に出せるタイプではないのだが、長く付き合えば義理堅くて善い奴と気づかれる人間なのだ。通うのに都合がいいこともあったものの、だからこそ彼のサークルの先輩も後釜としてそのバイト先を紹介してあげたのである。

 ともかく、そういったいろいろな思いや考えから、綿貫は千川に対して、店がもっと繁盛するよう提案を試みることにした。

 手始めとして数日前に、たまには特売日を設けて、新聞の折り込みチラシでも出したらどうかと言ってみた。これまでは、安売りも、ホームページくらいはあるものの積極的な宣伝も、行ったことがないからだ。

 しかし、また一段と冷めた表情で、「安売りというのは売る側の誰かが損をすることで成り立つものだ。きみの給料を減らしていいなら考えるけど」と返されてしまった。「いやいや、そのぶんたくさん売れりゃいいんじゃねえか。商売ってのは、リターンを得られようにリスクを負うものなんじゃないのかよ」と綿貫は思ったけれども、そんなことを口にしておいて失敗して、本当に減給されたら嫌だから、引き下がった。

 だが、まだまだその程度で諦めてはいない。

「店長」

 店の控え室にいるときの千川は、リーズナブルな価格であろう自分専用のシンプルな椅子に座って、考え事でもしている様子で腕を組んでじっとしているか、もしくは好物らしい麦チョコを映画館でのポップコーンのようにムシャムシャほおばっているかの、どちらかが多い。ここでは前者だった。

「ん?」

「ポイントカードをつくるなんてどうですか? 今、どこの店でもやってますよ。お客さんはお得なうえにポイントを貯めるのが楽しく、喜んでもらえて、そのポイントを使わないともったいないためにまた来店してくれる確率が高まるから、うちの店も喜ばしい。カードを用意するのにお金がかかるのが問題なら、入会費を取って回収すればいいですし、お客さんは入会費のぶんをポイントで取り戻せばいいですし、うちがポイントで損するぶんはポイントカードがあるお得な店ということでお客さんが増えれば補えますし。もしくは、カードではなく携帯のアプリでポイントを付与するって手もあります」

 気づいているのかいないのか、とにかく意図的ではなく素なのだろう、千川はやっぱりムスーっとした気持ちの良くない表情になって、返答をした。

「きみさ、その程度のことを僕が考えつかないと思ってんの? それに、あんまり買い物をしないのかい? 今やどこもかしこもやるからポイントカードだらけで財布がパンパンになったり、アプリだと年配の人のなかには扱いがわからなかったりして、困るし、勘弁してほしい。でも無いと買いにいくたび損した気分になるし、わずかでも家計を楽にするために、やっぱり持つかって、お客さんの弱みにつけ込むような感じで渋々つくらせて、張りきってんのは店側だけって状態になってると思うね。それでいて、どこでもやってるから囲い込みの効果は薄くて、店は単に揃ってポイントぶん損をしているんで意味がないし、だいいちポイントカードはたくさん出費できる金持ちのお客さんほどサービスしますって仕組みのもので、好きじゃない。だからやらないよ」

「……そうですか。わかりました」

 チェッ、と綿貫は落胆した。

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