田中伊知子⑦

「競争できる領域を広げ、裕福な者がさらに儲けられるようにすれば、しずくが落ちてくるみたいにその恩恵が貧しい者まで行き渡り、すべてが潤って良くなる、トリクルダウンという考え方があり、それに対して、そんなものはでたらめで実現したことなどないとの意見も多いわけだが、貧しい側への恩恵もあるにはあるのだろう。ただ、裕福な者が得る利益に比べて遥かに少ないために、両者の差は開くから、貧しい者たちは相対的にさらに貧しくなり、生活の苦しさは増すのだ。競争の状態がまったくないのは問題だけれども、競い合いを激しくすれば物事がうまく運ぶほど世の中は単純ではない。例えば、財政が厳しいことで減らしている大学への予算を研究の成果で競わせているが、日本のレベルが低下しているという話しか聞かないし、コメディアンの人数は昔より格段に増えて競争は激化しているはずなのに、面白くなったという意見よりもつまらなくなったとの意見のほうが圧倒的に多いようであるし。スポーツでも、たくさん優秀な選手を獲得して自軍の競争を活発にしているお金のあるチームが、不甲斐ない成績で終わるケースが数知れないではないか。とにかく競争させれば問題が解決するかのような発想は、競争に勝って良い思いしか経験したことのないエリートの誤った考え方なのだ」

 ……。

 あの人、どういうつもりかしら。幼稚園に通っているくらいの幼い男の子にそんな話をして。男の子は当然だけれど目が点になっているし、何より、誘拐しようとしているなどと誰かに思われたらどうするのよ。

 今日は他の相手を見つけられなかったけど、どうしてもしゃべりたかったから? いきなりボケが来ちゃったの? それとも……私への当てつけみたいな感じ?

 私たち夫婦には子どもがいない。結婚後まもなく私が子宮に病気をして、産めない体になったからだ。

 その当時の落ち込んでたときに、私が悪いわけじゃないんだからとは言ってくれたものの、内心はそういう女を妻にしてしまったことを後悔する気持ちがあって、今も続いていて、無意識に私に嫌がらせをする格好になってるんじゃないの? もしそういったわざとやってるんじゃなくても、気をつけなさいよ。私はずっと引け目のような感情を抱いてきたんだからね!

 だいたい、子どもができてたら、経済的にちゃんと養えていけてたの?

 結果的に助かったんじゃないのかよ、バカ。

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