菊池③
菊池は用瀬を引き連れ、表札に「花岡」と書かれた二階建ての家にやってきて、その玄関のベルを押した。
少ししてドアが開くと、六十過ぎとみられる真面目そうな男性が出てきた。
「お久しぶりです、菊池さん」
男性は微笑んで言った。
「どうも、ご無沙汰しております」
菊池は礼儀正しく頭を下げた。
「さ、さ、お上がりください」
「あ、すみません、その前に、一緒にもう一人お邪魔させていただきたいと申しました、こちら、僕の友人の用瀬くんというのですが、改めてよろしいでしょうか?」
「用瀬です。初めまして」
菊池と打ち合わせており、用瀬もきちんとおじぎをした。
「構いませんよ。さあ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。失礼します」
しかし用瀬は、菊池がその一家とは以前に仕事で知り合ったという程度の説明しかしてくれなかったために、どういった人たちかさっぱりわからず、緊張して声が上ずってしまったのだった。
「菊池さん、久しぶり。変わってないね」
二人が通された、整理整頓された居間で、あぐらをかいている二十代の半ばくらいと見える男性が言った。
どうやら彼は玄関に現れた男性の息子で、少々偉そうな言葉遣いに反するように、ニコニコと幼い子どものような愛嬌たっぷりの笑顔をずっとしており、知的に障害があることに用瀬はすぐに気がついた。
「そうかな? けっこう歳を取っちゃったと思うけど」
菊池も笑って、その彼に答えた。
「それで、お話というのは?」
二人を出迎えた男性が尋ねた。
「はい。唐突で驚かれるでしょうけれども、聖也くんに、僕がつくろうと考えている政党に参加していただけないかと思いまして」
え? 聖也って、多分この知的障害の人だよな。
表情には出さないようにしたが、用瀬は驚いた。
「ええっと、せいとうとは何でしょうか?」
俺と同じ台詞だ、けど、そりゃそう言うわな。
「政治団体の政党ですよ」
「……ああ」
ようやく理解できたという表情の年配の男性は、隣で同様に菊池たちの正面に座っている、近い年齢と思われる女性と顔を見合わせた。二人は夫婦であろう。
「それは何かのご冗談ですか?」
夫だろう男性が訊いた。
「冗談なんかじゃありません。障害者をはじめとする弱い立場の方たちの暮らしを本気で十分なレベルまで押し上げるには、当事者が政治に直接関わるしかないと思うんです。現代はこれといった大きな問題を抱えていない普通の人ですら、毎日生きるだけで大変な世の中ですし、頼んだり待っているばかりでは、『配慮する』みたいなそれらしい法律をちょこっとつくって、『はい、あなたたちのためになることをやってあげましたよ』なんてことが延々と続くのみになってしまう可能性が高いのではないでしょうか? 聖也くんに選挙に立候補してほしいとは申しません。意見を聞かせていただいたり、できる範囲で手伝ってくださるだけでもいいんです。ただ、その気がおありなら、議員に立候補したっていいと僕は思っています」
菊池の真剣な語りを聞き、再び夫婦は顔を見合わせた。二人は話し合わずとも同じ意見といった様子で、またも夫のほうが口を開いた。
「申し訳ありませんが、お断りします。なるほど、おっしゃりたいことはわかります。ですが、市民団体をつくられるのならまだしも、政党というのはちょっと……。政治はドロドロとした汚い部分も多いですし、そんなものに聖也を巻き込みたくない。私たちはただただ穏やかに日々を過ごしたいのです」
そして申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうですか……。わかりました」
残念な表情ながらも、菊池はそれ以上は説得しなかった。
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