山野②

 ここか——。

 鳥居は迷ったものの、後藤に渡されたメモに記された住所にやってきた。そこに建つビルの二階に、目当ての労働組合の事務所はあるらしい。

 ビルは十五階ほどあって縦には長いが、各フロアは広くなさそうだ。まあ、そんなに大きい事務所を構えられる労働組合ならば自分はすでに知っているはずだ、と鳥居は納得した。

 エレベーターも当然設置してあるけれども、二階なので階段を上がっていくと、着いてすぐのところにドアがあった。

「え?」

 鳥居は意表をつかれたような表情になった。

 扉の、目の高さの位置に、「ワイワイ労働組合」という文字のプレートが貼られていたが、その名称もさることながら、プレートはカラフルで保育園や幼稚園を思わせるデザインだったのだ。

 鳥居は生真面目ゆえに、何をするにも前もって調べ過ぎたり考え過ぎたりしてしまう。長い付き合いになる後藤もそれを承知しているからこそ、この組合について何ら説明をしなかったことを鳥居はわかっていた。情報がまったくない状態で大丈夫なようになっていると言った後藤を信用してそのままやってきてしまったが、実は自分をびっくりさせて笑顔にするためといった冗談だったのか、であればまだいいけれども、単なるミスで間違った場所を教えられたのかもしれないと、鳥居は頭を抱えた。

「……すみません」

 せっかく来たのだし、ここで悩んでいてもしょうがない。インターホンの類は見当たらず、彼はドアを二、三回ノックしてから、そう呼びかけた。

「はい。どうぞお入りください」

 中から若そうな女性の声が返ってきた。

「失礼いたします」

 ドアを開けて、室内を見た鳥居は、また驚いて目を丸くした。

 そこに一人でいて、デスクに座った状態から腰を上げたのは、ちゃんとした女物のスーツを着用しているが、その色が蛍光に近い鮮やかな青で、まるでコスプレといった印象であり、二十代と思われ雰囲気は落ち着いているものの、少女っぽい可愛らしさも合わせ持った女性で、とても労働組合と関係があるようには考えられなかったのだ。

 鳥居の混乱と戸惑いはさらに増え、数秒間固まった。

「ええと、すみません。こちらは労働組合の事務所で間違いないでしょうか?」

 どうにか気を取り直し、女性に恐る恐る尋ねた。

「はい。どういったご用件でしょうか?」

「私、後藤という者にこちらを紹介いただいた、鳥居と申します。そのように話が行っていると思うのですが?」

「ああ、はい。うかがっておりますよ。どうぞおかけください」

 女性は部屋の中央にあるソファーに座るよう促した。

 大丈夫かな? と鳥居は心の中でつぶやいた。

「……では、失礼いたします」

 歩を進めながら、彼はさりげなく室内を見渡した。物がそれほどないなかで、値段は高くなさそうだけれどもおしゃれな時計やカレンダー、それにバスケットボールやアニメのポスターが壁に貼ってあったりして、清潔な大学のサークルの部屋とでもいった感じである。

 そうか。知識のない若者を違法に都合よく働かせるブラックバイトが過去に問題になったが、その対策を中心に活動している組合じゃないか?

 しかし、だとしたらなぜ後藤はここを紹介したんだ? 若者の相談に乗ってやることを励みにするといいという考えだろうか。

 鳥居がソファーに腰を下ろすと、女性は向かいに座って、話し始めた。

「当組合の活動の説明からお聞きになるということでよろしいでしょうか?」

「あ、はい。それで、すみません、後藤に勧められるまま、何の情報も入れずに来てしまったのですが、こちらは若者のための組合のように感じますけれども、私は場違いでしたでしょうか?」

「いえ、そんなことはございません。私と同年代の友人たちとで立ち上げたこともあり、確かに現在のところメンバーは若年層が多いですが、若者のためだとか年齢の制限などはまったくございません」

「そうですか。安心いたしました」

「では、当労働組合の『ワイワイ』の意味はご存じでしょうか?」

「すみません、それも存じ上げません」

「構いませんよ。『ホワイト企業を応援しよう。ワーイ、そうしよう。労働組合』の略なんです」

「……はあ」

 女性の口調は一貫して真面目だが、ここにきてまたしても鳥居は唖然とさせられた。

「加えて、私の名前が『山野ゆい加』でして、イニシャルがY・Yであることもかかっています」

 え? ということは、彼女がこの組織の代表? 友人たちと立ち上げたと口にしてはいたけれど、トップにあたる立場なのか。

「そして、我が労働組合では、通常行う賃上げ要求は一切やっておりません。その他の労働環境に関する団体交渉などもです。困っている労働者の相談に乗ったり、一般的な活動をしている労働組合を紹介したりはいたしますが、メインの活動ではございません」

 ……。

「そ、それは、失礼ですが、労働組合と言えるのでしょうか?」

「労働者による労働者のための団体ですので。ではどういった活動をしているのかと申しますと、基本的には当組合でホワイト企業と認定した会社の製品やサービスを皆で利用することになります。あくまで『基本的に』ですから、他の企業の製品やサービスを購入してはならないといったことはございません。できるだけ優先して利用しましょうという話です。そうして労働者に優しいホワイト企業が潤う結果、そこで働いている労働者がさらに良い条件で働けるようになったり、雇用する人を増やす確率が高くなりますので、そうなれば良い環境で働ける人数も増えるわけです。そもそもお金がない会社に賃上げ要求をして倒産でもしてしまったら労働者も困りますし、私どもは経営者に対して敵対的な行動はせず、好循環をつくりだす方法で、労働者の利益にもっていこうという方針なんです。とはいっても、一般的な労働組合を否定的に考えてはおりません。すでに申しましたように、相談を受けた労働者にそちらを薦める場合もございますし、必要なものであると思っております。簡潔に説明いたしますと以上のようになりますが、いかがでしょうか?」

 いいかもしれない。というより、気に入った。自他ともに認める穏健派の鳥居は、加入するほうに気持ちがだいぶ傾いた。

「加入させていただくことを前向きに考えたいのですが、年齢は先ほど問題ないとのことでしたけれども、他に何か条件などはございませんでしょうか?」

「当組合の趣旨に賛同してくださるかという点のみで、そうであれば、たとえ労働者でなくても準会員として参加できます。ノルマなどもなく、ただただでき得る限りうちで認定したホワイト企業の製品やサービスを利用していただくだけで結構です。そして、加入していただいた場合、こちらのバッジを差し上げます」

 彼女が差しだしたバッジは、労働者ということなのだろう、スーツ姿の男女一人ずつの漫画的なイラストと、ドアのプレートと同じ「ワイワイ労働組合」というロゴが、描かれていて、幼い子どもがつけそうなものだった。

「……」

 鳥居はそのバッジを褒めるなりしようかと思ったが、何も言葉が出てこなかった。また、加入するのをやめようかとも一瞬考えたのであった。

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