田中伊知子③

 やだっ、なに?

「例えるなら、冷え性で手や足の先に血液が行ってないのは不健康だから、人為的に体の隅々まで平等に血を送ろう、というのが社会主義の考え方だ。体が人々がいる社会、血液がお金にあたるわけだね。ただ、血液は自然に循環する仕組みが備わっているのに、社会主義は人の手で強引に平等にしようとするために、血をうまく巡らなくさせてしまう。確かに平等に近くはなるけれど、どこもかしこも血液量は不足し、以前よりもっと不健康な状態に陥ってしまうんだ。ゆえに、血液がほとんど行き渡らないところが生じるものの大まかな流れはスムーズにいく、資本主義のほうがましということになる。しかし、これもずっと続けていけば行き詰まってくるのだよ。経済を自然に任せていると、お金はどんどん裕福な人のほうへ行く。すると、金持ちたちがどれほど浪費家だったり、どんなに世の中のことを思って消費するとしても、使いきれずにお金は貯まる一方になるレベルに達する。要は血液量が過剰になって順調に流れない箇所がいくつも出てきて、放っておけばよかった循環のシステムは十分に働かなくなる。体で言うなら不健康、経済なら不況になるわけで、社会主義と資本主義、どちらか片方に身を委ねればうまくいくということはない。もし血液が循環する仕組みを上手に利用した方法を見つけられたならば、成功しないやり方と見なされて現在瀕死状態の社会主義が、今度こそ現実に通用する、それも資本主義より好ましい体制になることだって、絶対にない話ではないのだよ。それは高負担で高福祉を行う北欧スタイルのことなのではないかと言われたら、そうかもしれない。ただし、社会主義は国民の金銭に対する関与が大きいために、ただでさえ巨大な行政府の力が強くなり過ぎるという問題があるが、そういった点を解消できているのかなど、慎重に見ていく必要があるだろう」

 夫が、毎回だいたいこの辺りという自宅近くのお決まりの地点で、二十代前半だろう、若くて可愛らしい女性に講釈を垂れている。見知らぬ相手に話をするのは日常茶飯事だけれど、今回に限っては下心があってやってるんじゃないかしら?

 あの人は私に「あなたは美しい」と言って告白をし、結婚まで至った。その美しいという言葉を真に受けたわけではない。夫以外に口説かれたことなんてないし、自分がいかに男性にとって魅力がないかくらいわかっている。夫も同じで女にモテなどしないから、余り者同士で付き合えたり結婚できるかもしれないとの考えで私に甘い言葉をかけたに決まっているのだ。おそらく本当の好みは他の多くの男の人と一緒で、あの美人でおしとやかそうな女性みたいなタイプなんだろう。

 あー、やだやだ。もしかして、ああやって綺麗な女性とさりげなく会話をしたいがために、しょっちゅう知らない相手にしゃべっているのかしら。そんな人間じゃないと思ってたけど、だったら、もう完全に見損なうわ。

 どっかへ行って、そのままいなくなっちゃえばいいのに。


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