相馬③
「俺、いろんな仕事をしてきたんですよ。バイトとか派遣とか、いわゆる非正規労働ってやつでね」
相馬は注文したコーヒーに、砂糖は入れなかった一方で、ミルクはたっぷり注ぎながら語った。
「非正規って、ひどいと思いません? 例えば野球選手の場合、プロは結果を出せばたくさんお金をもらえる反面、駄目なら簡単にクビにされてしまう。それが嫌だったら、収入は少ない代わりに安定した正社員でいられる社会人野球でプレーするという選択肢もある。それぞれ得なところと損なところがあって、多くの人が納得できるシステムじゃないっすか? だけど一般的に非正規労働者は、勤務時間が短かったり軽い責任で済むケースも多いとはいえ、正社員とまったく変わらない働き方をしていても、給料は少ないわ、福利厚生とか受けれる恩恵も少ないわ、さらに解雇をされやすいわ。なんで責任の重さの違いってことで給料だけくらいならまだしも、なんでもかんでも差をつけるんですかね? それが法律で認められているっつうのは、まるで黒人が昔されてたような堂々とした差別じゃないですか? ほんと、やってられないですよ」
「で?」
チェーン店ではなく、昔ながらという雰囲気の、広々とした喫茶店で、服部は相馬のグチのような話にとりあえず耳を傾けていたが、ようやく声を出した。
「それが、俺と何か関係あんの?」
「ああ、すいません。服部さん、あなた、競馬の予想の的中率が異様に高くて、一部の競馬ファンの間じゃ神と呼ばれるくらいの存在だそうですね。いるんですね、世の中には嘘みたいなそういう人が現実に。ちなみに、それって超能力とは違うんですかね?」
相馬は調べでもしたのであろう、自分のことをおおかた知っているようだから、今言われた事実をまた否定しても意味がないだろう、服部はそう考え、気乗りしたわけではなかったけれども質問に答えてやった。
「そいつは俺自身も気になって考えたことがあるんだ。結論から言えば、超能力ともいえるし、超能力じゃないともいえる。要はそもそも超能力とは何なのかという話になる。例えば、この世には信じられないほどうまく絵を描くことができる人間がいる。プロに習ったわけでも、ものすごく努力したわけでもなく、勉強や運動などの他の能力はすべて平凡なのに、なぜだか本人にもわからないが、絵を描く能力だけは生まれつきあったんだという奴は、探せばけっこういるだろう。それだって超能力だと言えば、完全に否定はできないんじゃないか? それと同じ話だ。俺は競馬に関して、レース展開なんかをちゃんと考えたうえで予想してはいるものの、にしても自分でもおかしいんじゃないかと思えるくらい高い確率で的中する。そういうことだ」
「なるほど。すごくわかりやすかったです」
相馬は微笑んだ。
「じゃあ本題に入りますけど、そんなすごい能力に恵まれて、その気になればすぐに大金を手に入れられるんでしょう服部さんに、ぜひ悲しき非正規労働者のために稼いでいただきたいんです」
「あ?」
「ちょっと待って!」
「え?」
服部が相馬の口にしたことに軽く驚いた直後、突然そばからかけられた言葉に、びっくりした服部と相馬はほぼ同時に声を漏らした。
言葉がやってきたほうにこれまた一緒に顔を向けると、隣のテーブルの席に座っていた、二人と近い年齢で三十過ぎと思しき、真面目そうで綺麗な顔立ちの女性が、立ち上がって間近にやってきた。そして、怒りが感じられる表情で相馬にしゃべった。
「非正規でつらい思いをしてきたのには同情するけれど、彼にたかるようなまねをしたってしょうがないでしょう。探せばちゃんと助けになってくれる人はいるから、そっちに行きなさい」
女性は続けて、ぽかんとした顔の二人ともに向かって話した。
「私はギャンブル依存症の方たちがその状態から抜けだせるよう手助けをする団体の、野崎という者です。服部さん、あなたのご家族から相談を受けたんですよ。別にお二人の会話を盗み聞きするつもりはなくて、偶然この店に入っていく服部さんを目にしたので、お話が終わったら声をかけようと思っていたんですが、内容が内容だったもので」
すると、改めて相馬一人に視線を注いだ。
「そういうことなので、あなたはもういいですよね? 帰ってくれと申し上げるのは失礼ですから、服部さん、どこか別の場所に移動しましょう。詳しく話しますから」
野崎は服部の腕を取って、連れていこうとした。
「いやいや、待ってくださいよ。こっちの話がまだ終わってないんだから」
相馬はそれを阻む態度をとった。
「駄目ですって。あなたはあなた、服部さんは服部さんで、各々苦労しても真面目に生きていくしかないんだから」
「人のことを不真面目って決めつけないでくださいよ。そう見えるかも知れないですけど」
「見える見えないじゃなくて、そういう話をしてたじゃない」
そこへ、店の高齢の男性がやってきた。
「すみません。他のお客さまもいらっしゃいますので」
静かにするよう頼む身振りをした。
「あ、すみません」
相馬と野崎がそう言って頭を下げている隙に、服部は素早い動きで近い場所にあったドアから店を出ていった。
「あっ、ちょっと!」
相馬が先に気づいて呼びかけたが、支払いをしなければならず、財布から千円を出して押しつけるように店員に渡した野崎が一足早く服部を追って外へ行った。
「くそ……」
「つりはいらないぜ」と格好よい台詞でも口にして、相馬も同じように颯爽と追いかけたかったけれども、彼のふところがそれを許さなかった。
「待って!」
服部は本気で逃げるというのではなく、道を普通に歩いて離れていっていたが、声をかけてやってきた野崎を無視するような態度である。
「ご存じかもしれませんが、あなたのご家族皆さん、すごく心配してらっしゃるんですよ。頑張って立ち直りましょう。私たち、しっかり支えますから」
「その必要はない」
服部がそう答えてまもなく、急いで走ってきた相馬も追いついた。
「俺はギャンブル中毒なんかじゃない。今後一切競馬をやらないことだってたやすくできる。あんたに依頼した連中は、俺が奴らの理想とする息子やきょうだいじゃないのが我慢できなくて、ギャンブル中毒がその原因だって思いたいだけなんだよ。俺もな、その相馬って奴と一緒で、非正規でしばらく働いてたんだ。そんなに必死じゃないけど、正社員にはなれなかったこともあってさ。でもそいつの言う通りで、真面目に働いても、給料は少ないわ、いつクビを切られるかわからないわで、腹は立つし、先が見えない生活しかできない。だから、どうせ褒められない人生を歩むなら、収入は確実に増えるんだし、得意な競馬で食っていくほうがましだって結論に達したんだよ」
「……それは本当の話?」
野崎は尋ねた。
「ああ」
「なら、もう一度、いえ、何度でも、正社員になれるように努力すればいいじゃない。今からだと年齢的に大変でしょうけど、世の中人手不足なんだし、無理なことでもないはずですよ」
「あんたはそこまで口を出す立場じゃないんでしょ? 余計なお世話ですよ。だいたい正社員になったらなったで、今度は死ぬほど働かされるかもしれないし、若い奴は特に、正社員でも十分な給料をもらえないことが多いらしいじゃないですか。仮に俺は良い働き口にありつけたとしても、そいつみたいに浮かばれない人間がたくさんいる事実に変わりはない。そんな理不尽な状況を許しているこの国に、真面目に働いたカネを税金で取られたくもないんですよ」
すると、もう話したくなくなったのか、服部は走りだして自宅の方向へ去っていった。
「ああ……」
野崎はさらに追いかける気力はないようでそう声を漏らすと、相馬に対して、しかし顔は向けず独り言のように、言葉を発した。
「半分本心、半分は働きたくない言い訳ってところじゃないかと思うけど、あの人がまともに仕事をするのは難しいとも思うよ。なにせ働いて得られる以上のお金を簡単に手に入れられるんだもん。それに家族の人の話だと、あなたみたいにお金目当てで近づいてくる人が絶えなかったっていうし、人間不信が職に就くことに限らず社会に溶け込めない原因かもね。誰もがうらやむような才能に恵まれても幸せになれるわけじゃないんだ。かわいそうな人」
これまで流れじょう気が強い印象だった野崎だが、本来のと言うべきか、彼女の性格である慈悲深い面が表に現れたのだった。
「一人で納得されてもねえ。こっちは邪魔されたんすから」
相馬は口を尖らせて言った。
「でも収穫もあったな」
「え?」
野崎が相馬に視線を向けた。
「いえ、こっちの話です。それにしても、よかったじゃないですか、ギャンブル中毒じゃなくて。俺はそうじゃないかと思ってましたよ。だって、ギャンブルって普通、うまくいくかいかないかっていうスリルが快感でハマっていくもんでしょ? あの人の場合、ほとんどが成功するんだから、楽しい感覚すらそんなにないんじゃないですか? まあ、推測ですけど」
野崎はほんの一瞬考える表情になってから、つぶやいた。
「なるほど。そうかもね」
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