4 むじな、逃げる
ラフカディオ・ハーン。日本名は小泉八雲。
高校生の時の国語便覧に載っていた気がする。近々朝ドラのモデルになるらしい。
その八雲が著したのが、『怪談』。雪女、ろくろ首、一番有名なのは耳なし芳一だろうか。日本で聞き取った怪談を英語で発表し、それを日本語に訳したものが広く日本人に読まれることになった。
その中の一篇に、『むじな』という話がある。
むじなとは書いてあるが、むじなかアナグマか、はたまたタヌキかハクビシンか――などといった話ではなく、かなりシンプルな怪談だ。
紀国坂を通っていく商人が、道ばたで泣いている女に出会う。商人は女に声をかけ、なぜ泣いているのか、自分が力になれることがあれば聞いてやると女に話しかけ続ける。一向に泣き止まない女は商人に背を向け、振り返るとその顔がのっぺらぼうになっていた。商人は仰天して逃げだし、提灯の灯りを点けていた蕎麦売りのところへ駆け込む。商人は息も絶え絶えに先ほど見た女のことを蕎麦売りに話すと、蕎麦売りは「お前さんが見たのは、こんな顔じゃなかったかね?」と顔を撫で、のっぺらぼうになる。
「再度の怪」という呼び名がつくくらい、メジャーな類型らしい。実際に登場するのはむじなではなくのっぺらぼうだが、タイトルが『むじな』なのは、紀国坂にはよくむじなが出てひとを化かすと言われていたから――と最初に書かれている。
四ツ谷駅を出た私たちはみずきによる解説を聞きながら徒歩で紀国坂を目指す。八雲はなぜ紀伊の国の坂といわれるのかは知らないと書いているが、赤坂の現在東宮御所があるところは江戸時代に紀州候の藩邸があったので紀国坂と呼ばれている、という解説までプラスされている。
で、亜流途戸路仁から抜け出た妖怪のうちの一体が、現在紀国坂に潜んでいる――ということらしい。
妖怪優生思想の夢によると、この三日間でのっぺらぼうを見たという報告がSNSにぽつぽつ増えだしているという。場所もおおよそ紀国坂――赤坂周辺に集中しており、そこで妖怪優生思想はこれを亜流途戸路仁妖怪の一体の仕業だと断定した。
西側に赤坂離宮を見ながら、私たちは紀国坂を下り始める。赤坂離宮と弁慶堀に挟まれているせいか、静かな雰囲気で人通りもあまりない。
「さて、それじゃあ早速、しぐれちゃん!」
夢がしぐれを指さし、坂の真ん中あたりにしぐれをひとり突っ立たせる。私たちは離れたところから、しぐれの様子を窺う。
思ってた以上に、釣りに近い。
みずきが目を凝らし、なにかを指さす。
「あっ、あれってハクビシン?」
「タヌキなのでは」
「アライグマでしょ」
「むじなですよォ!」
しぐれのほうにやってきた仮称むじなは、ふんふんと鼻を鳴らしてしぐれの足下にまで迫ってくる。
「しぐれちゃん! 捕まえて!」
「いやいや! 素人が野生動物に手ぇ出したら危ないでしょ!」
私の至極真っ当な意見は無視された。本来なら区役所かJAに連絡しなければならない案件だが、妖怪だとすれば通報しても無駄ではある。
「あかん、すばしっこい! こんなん無理やんか!」
「クソぉ、せめてのっぺらぼうだったらなァ!」
まあ、小さめの動物相手よりは、人間の背格好ののっぺらぼうのほうが相手取りやすいのは間違いない。
というか、亜流途戸路仁妖怪を捕まえるためにしぐれを使うというなら、しぐれのほうからぶつかりにいけばいいのではないか。
「しぐれ! なんでもいいから触って! 蹴っ飛ばしてもいいから!」
「おお、ナイス判断! しぐれちゃん、殺すつもりでいけェ!」
しぐれが足を後ろに引くと、仮称むじなが動きを止める。しぐれを見上げ、両手を合わせて目を潤ませる。
「いや、こんなん無理やって! 蹴れるわけないやん!」
「やれ打つなの精神かァ。アナログハック一茶マインド」
などと言っているうちに、仮称むじなは御所の茂みの中に入っていってしまった。
「惜しかったね。まあそう気を落とさず。暗くなったらもう一度トライしてみよう」
のっぺらぼうに遭遇した報告の投稿時間も夜間が多いらしい。夜なら動物形態ではなくのっぺらぼうスタイルで出てきてくれるかもしれない。
「あのさ」
沈黙を続けていたみずきが声を発する。
「私があのむじなをハクビシンじゃないかって思ったのは、鼻から額のラインが白かったからなんだよね」
ハクビシンは漢字で白鼻心とも書く通り、鼻から額にかけて白いラインが入っている。
「で、夢はタヌキだって言ったでしょ」
「言ったね。タヌキだと思ったから」
「どこを見て?」
「目の周りの模様」
「それでうららはアライグマじゃないかって」
「うん。尻尾がしましまだったから」
タヌキとアライグマを見分ける最も簡単な手がかりは尻尾にある。アライグマの尻尾にはしましまの模様が入っていて、長い。タヌキなのに尻尾がしましま模様のイラストは多いが、それだけ混同されやすいのだ。
「で、最終的にむじなに決定して、まんまと逃げられてしまった。でも実際は、全部の特徴を有していたから同定ができなかったんじゃない?」
ハクビシンの鼻ライン。タヌキの模様。アライグマのしましま尻尾。それらすべてを有したむじならしき動物。
「まるで逆むじなだなぁ」
「どういうこと?」
「小泉八雲のむじなが、特徴の違うふたりがむじなの化けたのっぺらぼうだったというのに対して、のっぺらぼうを探している私たちの前に出てきたむじなが、むじなに類する動物の特徴を持っていることで己の存在を曖昧にしているってこと」
私たちは最初から化かされていたということなのか。
「さすがに亜流途戸路仁の妖怪。一筋縄ではないかないかぁ」
ひとまず撤退して、むじなの警戒心が解けるのと夜になるのを待つことにした。
夢はひとり映画館で時間を潰すと離脱し、私としぐれとみずきはチャレンジメニューのある中華料理屋に行って、私は半チャーハンを、みずきはチャレンジメニューの巨大ラーメンを制限時間に余裕を持たせて食べた。しぐれはそれを呆然と見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます