3 みずき、バラす

 刺身の盛り合わせのマグロとサーモン、イカをそれぞれ二切れずつ、ふぐ刺しの贅沢食いでもするように箸でかき集めると、わさびを溶いた醤油にたっぷりつけて口に放り込む。

 そこに複数人向けのサラダを皿ごと抱えて、葉もの野菜を大量に飲み込んでいく。口の中で簡易カルパッチョをやっているのだろう。

「なるほどね。そんな大事になったとはなぁ。勝手におじさんに連絡したのは悪かった。謝っとくよ」

 武良みずきはいつもの居酒屋のテーブル席で私と向き合い、相変わらずの底なしの食欲で料理を平らげていた。私が弾丸帰郷した間に起きたことを話している間にフライドポテトから始まり、巾着納豆、唐揚げ、冷や奴、焼き鳥十数本、宇和島鯛めし、きつねそばを矢継ぎ早に注文してすべてを腹に収め、今は野菜不足だと思ったのか前菜ゾーンに戻ってきている。

「いや、みずきが心配してくれてたからだっていうのはわかってるから、大丈夫」

 私は五杯目のビールの小グラスを飲み干すと、同じものを注文する。やってきた店員はテーブルに並んだグラスと皿を器用に持ってこちらを化け物でも見るように数度視線を向けてから下がっていく。新人アルバイトだろうか。

「で、あなたがそのしぐれちゃん?」

「えっ」

 みずきの目が、私の隣に向く。

 おしぼりもお冷やもお通しも、テーブルにはふたり分しか出ていない。ほかのひとからは、私たちはふたり連れの客にしか見えていないのだ。

 だが、私の隣には、もうひとり、普通には見ることのできない存在がいる。

 江馬しぐれ。なんの災難か、亜流途戸路仁という妖怪画集から飛び出した九十九体の妖怪に肉体を奪われ、生きたまま幽霊になってしまったギャル。

 しぐれは生きているが、存在は幽霊に等しい。だから普通の人間には見えないし、話すこともできない。

 だがみずきは、私の隣で先ほどの店員と同じような目で私たちを見ているしぐれの存在を言い当てている。みずきにはしぐれのことも包み隠さず話したが、東京まで一緒に連れてきて行動しているとは言っていない。当てずっぽうで言い放っただけにしては、みずきの視線はしぐれのものと真っ正面からぶつかっている。

「ちょっと待って、みずき、見える、の……?」

「あー、そういえば言ってなかったか。昔からね。けっこう苦労してきた」

「は――はああああ!? 私たち、幼稚園からずっと一緒だよね? それで、そんな大事なことを今日まで黙ってたの!?」

「怒るな怒るな。いろいろ面倒事も多いんだよ。うららを巻き込みたくなかったっていうか、誰でもひとに言えない秘密のひとつやふたつあるでしょうに」

 運ばれてきた天ぷら盛り合わせに箸を向けて、逡巡するように宙を彷徨わせる。みずきが迷い箸をするなんて珍しい。マナー云々の話ではなく、食欲と直結したみずきの箸は本来一切の迷いがない。

「話ができる人間が多いほうがなにかと気楽でしょ。遠慮なく言ってね、しぐれちゃん」

「ちょっとみずき、まだ話は――」

「逃げた妖怪、捕まえるんでしょ。私も協力するよ。さすがに何度も遠征するような予算はないけど、都合が合ったらついてくって感じでさ」

 私が東京に戻ってきたのは、逃げた妖怪探しの第一歩がまず都内からという方向でまとまったからだった。明日にはもう伊勢屋秋葉原店に出向いて協力者と合流、妖怪探しが始まる。

 たしかに今は妖怪探しに集中すべきだとはわかっている。それでも長い時間をともに過ごしたみずきが急に私の知らない秘密を明かしたことに、まだ動揺が残っている。

「あの、まだ食べるん?」

 しぐれはぼそりと、サンマの塩焼きを綺麗にほぐしていくみずきを牽制する。

「みずきの食べっぷりに関しては諦めて……。わかった。明日の朝十時に秋葉原の伊勢屋に集合ね」

「了解ー。あーすみませーん、鮭茶漬けと焼きおにぎり追加で」

 翌日。山登りに相当する服装と装備で、私は秋葉原駅を降りた。電車の乗客からは変な目で見られたが、隣に立っているしぐれに気づいた者はひとりもいないようだった。

「おはよううらら。うわ、すげえ格好」

 伊勢屋秋葉原店の前に先に来ていたみずきが私を見て笑う。対するみずきは一応スニーカーにズボン姿で動きやすそうだが、私と比べると軽装にもほどがあった。しぐれは最初に出会った時から同じ格好で、幽霊になってしまっている都合で着替えられないらしい。

 十時。伊勢屋の開店時間になるのと同時に中に乗り込む。今回は本店の時とは違い、丁寧に挨拶とアポイントメントの確認を行い、穏便にバックヤードへと案内してもらった。

「やあやあおはよう皆の衆ぅ。私は今回の助っ人、妖怪優生思想のゆめだよっ」

 バックヤードで待っていたのは、セーラー服姿の女子高校生と思わしき少女だった。制服の生地の質感や作りを見て、すぐにわかる。こいつはコスプレではない。正式な学校制服を身に着けている。

 では女子高校生かというと、それを断定するにはまだ早い。なぜなら制服のある学校に通っていた者なら、本物の制服を正当な手順で手に入れることができるからだ。卒業したからといって制服を二度と着られなくなるわけではない。若くは見えるが、夢というこの少女が制服という妄執に囚われている狂人である可能性が残っているのが恐ろしいところだ。

「速水うららです。こっちは友人の武良みずきで、今回のことを話したら協力したいと」

「うんうん。全然オッケーだよ。人手は多いに越したことはないからねっ。で、そっちが問題のナマ幽霊ちゃん?」

 当然のようにしぐれを指さす夢。しぐれはびくりと身を竦めて、おずおずと口を開く。

「江馬しぐれ……やけど」

「よし、しぐれちゃん。わかってるとは思うけど亜流途戸路仁回収ミッションで一番肝心なのはキミだからね」

「どういうことですか?」

 私がたずねると夢は目をくりんと丸めて首を傾げる。

「ありゃ、聞いてない感じ? 私に説明役を押しつけるかぁー」

 夢はとそのまま息を漏らし、すぐさま背筋を伸ばして切り替える。

「亜流途戸路仁から逃げだした妖怪たちは、しぐれちゃんの肉体を奪っていった。でもしぐれちゃんは、普通の人間には見えないけどたしかにここにいる。生きた幽霊と、そのもとの肉体が同じ場所にあれば、両方が引っ張り合ってもとに戻ろうとする。子ども用のお魚釣りみたいな感じでね」

 海を模した床に金属をつけた魚型に切った紙を散りばめ、針の代わりに磁石をつけた釣り竿で紙の魚を釣る遊びのことを言っているのだろう。しぐれが釣り竿兼レーダーで、それを使って妖怪のほうを引っ張り上げるということらしい。

「あとは釣り上げた妖怪を亜流途戸路仁の中に封じ込めればミッションコンプリート。しぐれちゃんの肉体も部分部分戻ってくる」

 私はリュックサックの中から白紙になった亜流途戸路仁を取り出す。

「おお! おうおうおう! それが『亜流途戸路仁』! いやぁ、全部の妖怪を回収して復活した暁には是非とも読ませてほしいなっ」

 身を乗り出して本を覗き込んでくる夢。私はそれを避けるかたちで身を引くと、咳払いをして口を開く。

「それで、今回のターゲットは?」

「うんうん。初回だということで、簡単なところからいこうって話になったから、ある程度推定が可能な妖怪を対象に指定してるよ」

 そもそも、亜流途戸路仁の内容は誰も知らない。どんな妖怪が描かれていたのか、どんな説明書きが添えられていたのか。伊勢屋は中身を絶対に公開しなかった。だから亜流途戸路仁の内容は憶測でしか語られず、それゆえにひとを惹きつけた(たとえばあの泥棒――宴などを)。

「向かうのは赤坂への坂道。紀伊の国の坂と書いて紀国坂! 中央・総武線で四ツ谷、そこから歩きだよっ」

 ぽかんとする私としぐれをよそに、みずきはぼそりと、

「『むじな』か――」

 とつぶやいた。

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