Day.6-5 勃発

 瑠奈るなは帰り道を歩く。

 場所を変えて考えると言う名のパチンコに行ったものの、全て吸い取られて一文無しになってしまった。

 それでも誠から酒を頼まれていたので、また闇金から金を借りてそれだけは買った。


 結局いい方法は思いつかないし、もう夜だしでこの数時間の間に瑠奈は多くのものを失ったのだ。それでももしかしたら誠が何か思いついているかもしれない。そう願った。

 だが帰宅をすると、その願いは無惨に崩れ去った。


愛慈いちかァ! 酒! 買ってこいッ!」


 誠が酒を切らして暴れていたのだ。

 こうなってしまっては一刻も早く酒を与えるか、疲れ果てて眠るのを待つしかない。いつもなら酒を与えて収まるのを待っている瑠奈だが、誠の前に愛慈がいるのを見た途端に二人の間に入った。


「なんだ? 文句あるのか? あァ!?」


 怒鳴り散らす誠に瑠奈は引かず、買ってきた酒を渡した。


「愛慈を大事にする。そうだったでしょ? じゃないと私達はまずいんだよ? 分かるでしょ?」

「大事、か……」


 次の瞬間、誠は瑠奈を殴って地面に膝を付かせた。


「いっちょ前に親を気取ってんじゃねぇよ! お前もパチンコで負けて生活を圧迫させてんじゃねぇか。大事にしたいなら勝ってから言えよ!」


 その言葉に瑠奈もキレた。

 それからは激しい音を立てた取っ組み合いだった。壁にぶつかり、テーブルの物が落ちては床に散乱した。


 きっと誠が酒で満たされるまで続くに違いない。

 男と女の喧嘩において瑠奈は力では誠に勝てない。となれば最悪凶器を使うかもしれない。そうなっては争いの末にどちらかがどちらかを殺してしまうかもしれないのだ。


 どちらにしろ平和に収まる事はないだろう。

 誠が瑠奈を激しく壁に突き飛ばした時、


「もうやめて!」


 と愛慈が大きな声を上げて瑠奈の前に立ちはだかった。


「なんだガキ。この俺に指図すんのか?」


 自分の娘すらも分からないのか、敵を見るような目で愛慈を睨む誠。


「……これ以上やったら駄目。大変な事になるよ?」


 父親とは思えない程の邪悪な圧をその身に感じつつも、誠の目から決して目を離さない愛慈。それが一層癪に障ったのか、誠は拳を振り上げた。それが愛慈の方へ飛んでいくも、それが愛慈を捉えることはなかった。


「ぐっ……」


 瑠奈が愛慈を庇って代わりに受けたのだ。


「邪魔すんなよ! ガキには教育。そうだろ?」

「もうやめようよ。私は生きたいの。だから…やめて……!」


 瑠奈はよろよろとする足で立ち、愛慈の前から決して動こうとしなかった。


「くそっ!」


 次の瞬間、誠は近くにあった食器を二人に目掛けて投げつけた。当たりはしなかったものの、ガラスのそれは壁に当たって派手に割れた。

 それから誠は瑠奈が買ってきた酒を持って奥の部屋へ行ってしまった。そして力が抜けた様子の瑠奈はその場にへたりこんだ。


「ごめんね。いつもこんなんで。大丈―…」


 瑠奈はそう言って自らの後ろにいる愛慈の顔を見た途端、その顔色が真っ青になった。

 さっきの食器の破片で切ったのだろう。愛慈の頬にはあの時と同じ切り傷が出来ていたのだ。それに対して愛慈は何かを言うでもなく、ただ冷たくじっと瑠奈を見ていた。

 溢れ出る血が頬を伝って床に落ちると、愛慈がやっと口を開いた。


「どうして助けたのよ……」

「どうしてって。愛慈が私達の娘だからよ。助けないわけがないじゃない」


 その言葉を聞いた途端、愛慈は瑠奈に怒りと悲しみの目を向けた。


「でもさっき、私達がまずいって。私のことが本当に大事ならそんな事を言わないでしょ? 結局はみんな自分が一番大事なのよ! こういう時だけ母親を気取んないでよ!」


 愛慈は怒鳴りつけると、立ち上がって驚いている瑠奈の横を通り過ぎた。


「ちょっと待って。愛慈!」

「気安く呼ばないで! 私はもうあなた達を親だなんて思ってない。親なら……前みたいに優しくしてよ…… もう嫌なの! ギャンブルにお酒。この家は最悪よ。異常なのよ!」


 愛慈は一度だけ立ち止まると、まるで敵を見るような目で瑠奈を一瞥し再び歩き始めた。

 瑠奈はその言葉に頭の中が真っ白になった。

 今までここまで取り乱した愛慈を見た事がなかったのだ。それに、何よりも親ではないと言われたのがショックだったのだ。


 それじゃもう何も出来ないじゃないか。

 役目の達成なんて無理じゃないか。

 瑠奈の中に様々な感情が渦巻いた。そして彼女の中の何かが弾けると、気が付けば愛慈を殴りつけていた。


「やめ……」


 自暴自棄。もう無理だと思ったが故にその手が止まる事はない。

 馬乗りで激しく続く暴力に対し、愛慈は頭だけは守ろうと両手で必死に覆った。その分腹や胸に何発も受け、その度に激しくせき込んだ。


「はぁ…はぁ……」


 瑠奈の息が切れてきた。ひたすらに殴り続けたことで疲れを見せ始めたのだ。そうしてその力は次第に弱まり、次への間隔も長くなっていった。

 愛慈はそのタイミングを見逃さずに瑠奈の顔を一発殴った。それは鼻を捉え、瑠奈は予想外の痛みによりそこを両手で覆った。

 その隙に愛慈は一気に体を起こしてバランスを崩した瑠奈を後ろに突き飛ばした。解放された愛慈は一目散に自分の部屋へ逃げていった。


「うっ……」


 瑠奈は血が滴る鼻を覆いながら壁にもたれかかった。


「何があったんだ?」


 そこに正気を取り戻した誠がやってくると、瑠奈と散らかった有様を見て驚きを隠せない様子を見せた。


「なんでもない……もういいのよ……」


 瑠奈の心にあった張りつめたものが切れた瞬間だった。


***


 どうにか自室に逃げた愛慈は扉を背中で押さえるようにして座り、痛む体を両腕で抱いていた。

 頬の傷は幸い深すぎなかったため血が固まり始めていた。

 愛慈も年頃の女の子だ。顔に傷が出来た事がショックだった。きっと周りからも変な目で見られてしまうだろう。


 自然に出たため息が憂鬱な気持ちに拍車をかける。

 部屋に戻ってからしばらく続いていた胸の激しい鼓動は次第に落ち着きつつあった。それでも心は今でも苛立っていた。


「今さら都合が良すぎるのよ……」


 自分の事を娘だと言われたのが気に食わないのだ。

 二人が喧嘩をする事は今さらどうとも思わない。むしろ日常茶飯事だと思うくらいである。でもそれらは二人による喧嘩なのだ。そこに娘への感情は一切無い。


 今回もそうだ。瑠奈が誠と愛慈の間に入った時だって娘を救うためではなく、結局は自分達の心配しかしていなかったのだ。

 それから愛慈が瑠奈の前に立ったのは、もし万一の事があれば愛慈自身がこの先迷惑を被ると思ったからにすぎなかった。それをあたかも助けてくれたと勘違いしている瑠奈にも、そんな瑠奈に変な勘違いをさせてしまった自分にも心底腹が立っていた。


 愛慈は傷の処置をしながらもいつか行った遊園地の写真を視界に入れていた。

 机に置かれているそれは綺麗な写真立てに飾られており、中の三人は幸せそうに笑っていた。

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