Day.5-5 崩壊

 まさるを轢いてしまいそうになったトラックはもうはるか彼方へ行ってしまった。


 全てを失い、今まさに満奈美に殺されかけ、罵倒の末に置き去りにされた優は去っていく満奈美の後ろ姿を呆然と見ていた。一歩、また一歩と離れていく満奈美の背中を見ていく内に、しだいに心の中には沸々となにかどろっとしたものがこみ上げてくるのを感じていた。


「満奈美……」


 今日の為に、生きる為に優は両親を殺した。そして手に入れた多額のお金。

 殺してしまった人はもう戻ってこない。今頃になってその行為が身勝手だったことに気が付いた。しかしあの時はその方法しか頭に浮かばなかったのだ。


 希望という名のお金を手にしても満奈美は今日も怒り狂った。

 怒られない、殺されないから大丈夫。と安心していたのについさっき殺されかけた。挙句の果てには全てを奪い取って行った。


 たった今、全てを失ってしまった。


 自分にはもう何も無い。

 咄嗟に隠した死体もいつかは見つかるに違いない。

 そうなれば、もうろくな人生は歩めないだろう。


 満奈美の姿がさらに遠くなる。


 ならば、いっそここで終わりにしよう。自分自身を終わりにしよう。

 でもまだやる事が、最期にやりたいことがあるじゃないか。


 優は今までの事を思い出しながら一度目を閉じ、そしてゆっくりと開けた。

 その目にはもう迷いや恐れは無かった。ただあるのは、自分の使命にも似た願望を成し遂げたいという強い思いだけだった。


 そして優は鞄から光る物を取り出した。

 万一何かあった時の為、それに凶器を隠す為に持ち歩いていたのだ。


 二人を殺した包丁の刃は付着した人の脂と血でくすんではいたが、あと数回使うには問題は無いようだった。

 この街中でそんなものを出せば通行人が気付いて大騒ぎになるに違いなかった。しかし、まさかそんな事は起こらないだろうと平和ボケした彼らはいつも通りだった。


 にぃ…と口だけ笑った優は、邪魔になるものは全てその場に捨てて一直線に満奈美の方へ走った。


「満奈美ィィッ!!」


 今までに出した事のない声だった。

 狂気に満ちた叫びが街に反響し、満奈美の耳にも入る。そして彼女が振り向いた時には、鬼の形相をした優が既に目と鼻の先の距離にいた。


「嘘…でしょ……?」


 と言ったのも束の間。包丁の刃がまもなく自分をとらえようとしているのを目視した。

 だがここで、満奈美が予想外の超反応を見せた。


「くぅぅっ……」


 それが腹を抉る直前、奇跡的に避けたのだ。


「はぁ…はぁ……」


 しかし完璧には避けきれていなかったようで、脇腹を少し切られ、服には血が染みていた。

 標的を外した優が息を荒らげながら、再び満奈美を狂気の瞳の中に捉える。


「だ、誰か! 誰か助けて!」


 満奈美は周囲に助けを求めるも、包丁を持った人に狙われている人を助ける者など誰もいなかった。


「は…はは……」


 優はたった今壊れた心で嗤った。


「待って。わ、私が悪かったわよ。お金は返すから、ね? 許して……?」


 その願いに対する答えはぼぅとした虚ろで狂気的な目による沈黙と、じりじりと近づく足音だった。


「ひっ……」


 そして満奈美は一目散にその場から逃げ出し、よろよろとしながらもひたすらに雑踏の中を走った。


「私はまだ死ぬわけにはいかない。今日が終われば生き返れるんだから……!」


 彼女の脳裏にある役目の存在と、レイカに言われた失敗の条件がひたすらに脚を動かしていた。


 役目の途中で死ねば―……

 これが終わるまでは死ぬわけにはいかない。

 優はもう笑った。だから実質達成したようなものだ。

 今ここで死んだら達成したのに失敗になる。そんなの冗談じゃない。


 優の足音と荒い息の音を少し離れた所に感じながらも必死に脚を前へ前へ動かした。


「満奈美。こっち」


 すると物陰というか、路地から一人の男が手を振っているのが目に入った。それに従い、わき目も振らずにそこへ駆けこんだ。


「あ、ありがとう……パパ……」


 彼は昨日の夜に食事を共にした年配の男だった。


「いいんだよ。大変そうだね」

「うん。助けてパパ。私殺されちゃうかもなの。私を守って?」


 満奈美は男に縋りついて上目遣いを向けると、男は一瞬影のある顔をしたが


「もちろんだよ」


 と優しく言った。

 だがその直後だった。

 満奈美は首に何かを打たれて気を失ってしまった。


「助ける、か……」


 少しして数人の男が彼の所にやってくると、倒れている満奈美を抱えて運び始めた。


「お疲れ様でした」

「ふむ。それじゃ私も行こうかね」


 そして彼と男達はこの場所を去った。


***


 街が大騒ぎとなり、その中で満奈美を探す優。

 人込みにより見失ってしまったが、通りかかった路地の地面にあるものを発見した。

 それは等間隔位で滴下した血痕だった。


「あっちか……」


 それが続く方へ進んでいくと、しだいに人気が無くなっていき工場地帯へ到着した。

 そこで目印が途切れた。


「満奈美……どこに行った……」


 包丁を握る手に力がこもり、優は周囲の捜索を始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る