Day.2-8 サチの異変
タクシーで病院に向かう由里子。
『大丈夫』と自分を落ち着かせ、それでも祖母の容態を心配せずにはいられなかった。
隣に寄り添うサチは、自分の体に異変が起きている事に気が付いた。
さっきまで由里子を守ったり自由に動かせていた腕が徐々に動かしにくくなってきており、さらには自分でも分かるくらいに体が透け始めていたのだ。
「おばあちゃん!」
病院に到着した由里子は病室に入るなり眠っているサチに駆け寄った。
そこには既に由里子の両親が到着していて祈るようにサチの手を握っていた。
間隔が広くなった心電計の音が三人の耳に入り、一度鳴っては次の心音まで不安が襲い、再び鳴った時にやっと安心する。そんな心境を繰り返す。
「お母さん。おばあちゃんは大丈夫だよね?」
母は何も答えずにただ祈っていた。
そこへ医師がやってきて全員が揃ったのを見ると話を始めた。
「落ち着いてお聞きください。おばあ様には持病は無いものの、ご高齢ゆえこのまま明後日までに目を覚まさなければ延命は難しいかもしれません」
それを聞いた途端、三人の目からは涙がこぼれ落ちた。
医師は他にも何か言っていたようだが由里子の耳には全く入らず、医師はいつの間にか病室を去っていた。
この知らせにはサチ本人も驚いた。しかしやはり年齢の事もあって、仮に役目を達成出来ても生還出来るかどうか分からないという事は薄々気が付いていた。
それでも現実を突きつけられてしまうと、やはり受け入れたくないという思いで言葉を失ってしまった。
ベッドの隣の椅子で泣きながら肩を抱かれている由里子の母とその肩を抱いている父。ベッドに顔を埋めて泣く由里子もそんな現実を受け入れる事に必死に抵抗していた。
でもいくら認めたくなくてもこれが現実なんだという事に打ちひしがれてしまう。
「おばあちゃん……おばあちゃん……」
由里子のしゃくり声が、母のすすり泣く声が病室に積もっていく。
そんな時、突如由里子のスマホがバイブした。
しかしそれには出なかった。しばらく放置していても一向に止まないので画面を確認すると、そこには内田課長と表示されていた。
出る気がしなかったのでそのままにしていたらまもなくして切れた。だが再びかかってきたので渋々出ることにしたのだった。
「相良さん。そろそろ終業の時間だけど、いつになったら戻ってくるの?」
「内田課長…… 祖母が、祖母の命がもう……」
「泣き言言ってんじゃないよ! そんな事どうでもいいから、さっさと戻ってきなさい。戻ってこなかったら、藤沼君にも酷いことするから。あなたのせいでみんなが酷い目に遭うのよ? それが嫌なら、分かってるわね?」
由里子がそれに答える猶予も無く通話が終了した。
「……お父さん、お母さん。ごめんなさい。会社に戻らなきゃ……」
「由里子……っ」
泣きながら病室を出る娘を見る両親の顔はとても寂しそうだった。
由里子は自分が家族よりも仕事の方を選んでしまった事を後悔し、内田課長の言葉に背くことが出来なかった自分に対して情けない奴だと心底落胆した。
会社へと戻る道中、悔しさと悲しさで目の前が見えなくなるくらいに涙で顔をぐしゃぐしゃにした。
サチはその横で歯がゆくもそんな由里子を見ている事しか出来なかった。
「ごめんなさい…おばあちゃん……お父さん、お母さん。ごめんなさい……」
***
由里子が会社に到着した時には既に終業時間が過ぎていた。
オフィスでは待ち構えていたかのように内田課長がいた。
「やっと戻ってきたのね。デスクにあなたの分の仕事を置いておいたから、絶対に今日中に終わらせなさいよ。分かったわね?」
その量は以前の倍以上あった。
「こんなの…無理です……」
「無理じゃないでしょ? やるのよ。しょうもない事で仕事を抜けたんだから、その分しっかりとやりなさい。まさか私の命令が聞けないなんて事はないわよね?」
「……」
「家族の一大事をそんなふうに言うなんて、どこまでも性根が腐っているね……」
サチは自分の状況も相まって激しく感情を揺らした。
しかしあの時みたいにボールペンが弾けとんだり、内田課長の身に何かが起きたりという事は起こりえなかった。
サチはもう両腕を動かすことが出来なくなっていた。だから出来ることといったら、誰にも聞こえない言葉を発したり由里子について移動することくらいになっていた。
「私は……」
「内田課長」
「あ、戻ってきたわね」
すると藤沼がハンカチで手を拭きながら入口の方から二人の所へ歩いてきた。
「これから私と藤沼君はディナーに行くから、一人でしっかりとやるのよ?」
遠回しに、『助け船は絶対に無い』と言っていた。
由里子は藤沼を見ると、彼は何を考えているのか読めない顔をしていたが、一度だけ軽く頷いた。
きっと何か考えがある。
普段の由里子であればそう感じとることが出来るのだろうが、今の由里子にはそんな余裕は無かった。
「相良さん。もし途中で帰ったりしたらすぐに分かるんだから」
まるで脅すように耳元でそう言うと、内田課長は藤沼を連れて嬉しそうにオフィスの外へ向けて歩いていった。
「待て! 由里子ちゃんを置いていくな! 藤沼さん、あなたは由里子ちゃんの味方なんだろう? 頼むからこっちに来ておくれよ!」
叫びにも似たサチの訴えも空しく、二人の足音が完全に消えた。
しんと静まったオフィスにたった一人になった由里子は、しばらくその場に立ち尽くしデスクに積まれた大量の仕事を呆然と見つめる。
そして祖母の状況も相まって目を開いたまま言葉を発することもなく涙を流した。
その後、もしかしたら藤沼が抜け出して助けに来てくれるかもしれないという期待をしていたが、最後までそんな事は無く結局一人で全てを終わらせたのだった。
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