Day.2-7 執着の女
「相良。目腫れてんぞ。どうした?」
昼休み。藤沼は屋上の隅で一人ひっそりと食事をしている由里子に声をかけた。
「ううん。なんでもないよ。大丈夫」
元気のない様子の由里子の隣に座った藤沼はサンドイッチを食べ始めた。
「私と一緒にいない方がいいよ。嫌な思いするよ?」
「嫌かどうかは俺が決める。それに、内田課長は今は取り込み中でしばらく手が離せない。だからいびられる事はない」
そんな二人に対し、少し離れたところにいる数人の同僚の女性はちらちらと見てはひそひそと何かを話していた。
しかし藤沼は周囲に無関心というか、全く気にせずにそのまま食事を続けた。
「内田課長に何か言われたんだろ?」
「……」
「見りゃ分かるよ。周りも気付いてる。でもあの人の職位の前では誰も何も言えないんだ。女性社員なんていつも機嫌取り。不満をかえば次は自分になるかも。そんな恐怖みたいなのがあるんだよ」
この会社で起きていることは、まさに小学校や中学校でもあるスケープゴート理論そのものである。
誰かが優位の下、大多数が安定して平和に過ごす為には誰か個人に非や不利を押し付けてしまえばいい。
それはどんなコミュニティでもあっても、傍から見れば理想的で安寧に見える集団でも必ずそれは存在し、人々は皆一様にその犠牲者にならないよう力のある者に媚び諂うと共に不利を恐れているのだ。
「藤沼君も内田課長のご機嫌取りをしてるの? 昔ブローチをあげたって聞いたけど」
「あぁ、あれか。当時はどうしても通したい案件があって、あの人の助けが必要だったから言う事を聞かせる為にあげただけだよ。あの人は単純だからおかげで案件は通ったよ。それから俺に対しては何かやらかしても大目に見てくれるようになったし。百円で買ったあれで自分が利用されたとも知らずにそんな事を言ってたのか」
内田課長はきっと自分の魅力を理解してくれたと思ったのだろう。
藤沼にとってはその気持ちを利用出来れば自分は安定する。それだけを思っての行為にすぎなかったのだ。
「だとしても、私に関わることで流石の藤沼君も内田課長の標的になるかもしれないって思わなかったの?」
「いや別に。俺は平和な職場がいいんだ。でも昨日の事と朝の事があってから、やっぱり間違っている事は間違っているって思ったよ。だから俺は、平和の為に俺が正しいと思った事をやる。そう決めたんだ。それこそ相良の言った、ありのままの自分でってやつ。それに、あの人は男には甘いから大丈夫だろ」
そう言う藤沼の後ろに由里子の目が捉えたのは、こちらを怪訝な目で見て何やら話している人達だった。
もしかしたらあの事を話しているのかもしれないと思った。
「藤沼君はその…私が本当にレズだったら……どう思う?」
「今朝の記事のことか? 別にいいんじゃないか? 恋愛対象が異性じゃなきゃいけないなんて古臭い考え方を俺は持ってないし、誰が誰を、女が女を好きでもそれも一つの恋愛の形だからいいんじゃねぇの? それに、昨日のあれは俺が自分から進んでやった事だし、相良に翻弄されたなんて思ってない。誰に何を言われても、何も気にしないよ」
どうやら藤沼は本当にどうとも思っていないようで、それにより由里子の彼に対する罪悪感は霧散した。
「ん? そろそろ昼休みが終わるな。戻ろうぜ」
***
オフィスに戻った由里子は机の上に、第二会議室へ来なさい。と書かれたメモを見つけた。差出人の名前はないが、どうせ内田課長だろうと思いそこへ向かった。
第二会議室ではやはり内田課長が待っていた。
「お呼びでしょうか」
「お呼びでしょうか?じゃないわよ。あなた、自分が何をしたか分かってる?」
朝にも見た、あの鬼のような形相がその顔には現れていた。
しかし、由里子は自分は何もしていないので、その質問には
「すいません。何の事だか分かりかねます」
と答えるしかなかった。
「誰が座っていいなんて言ったのかしら?」
椅子に座ろうとした由里子はその声により静止し、内田課長の前で立ったまま話をすることとなった。
「お昼、あなたはどこで何をしてた?」
「屋上で昼食を食べてました」
「誰と?」
「藤沼さんとです」
その時だった。内田課長は座ったままデスクの裏を思い切り蹴って破裂音のような音を鳴らした。
「あなたがそこまで鈍い人だとは思わなかったわ。もはや馬鹿ね。朝言ったわよね? ここの男達はみんな私のもの。このブローチは藤沼君から貰ったものだって。数ある男の中からたった一人勇気を出して私にプレゼントしてくれたの。彼は私に気があるの。だから関わるな。こうもはっきりと言わないと分からないのかしらねぇ!」
由里子はその言葉に対して、彼女は今でも利用された事に気が付いていないのだと可哀そうに思うと同時に狂気すら思える程に男への執着を感じた。
立ち上がった内田課長は由里子へ迫り壁際まで追い詰めた。
「まさかとは思うけどレズビアンってのは本当は嘘? そんな嘘で周りにはあたかも自分は男を食い散らかしたりしませんよっていう、自分清楚系ですアピール? 心底腹黒い。見ていて本当に気分が悪い」
その憎悪と執着と怒りの権幕が迫る。
また、由里子がひた隠しにしていた事を広めておきながらそれすらも嘘とし、挙句の果てには周りをかき乱していると言われた事によるショックで目には涙が溜まっていく。
「そんな事…ない……です。私は……」
由里子が口答えをした事で頭に血が上った内田課長は平手打ちをしようと手を上に上げた。
「―っ!」
しかし、痛みの声を上げたのは内田課長だった。
その手が由里子の頬に当たる直前、何かによって弾かれたのだ。
「えっ?」
直撃を覚悟した由里子ですらも何が起きたのか理解出来ていなかった。
この部屋にいるのは内田課長と由里子だけ。
でも実際は、見えていないだけでずっとサチがいた。
サチは、絶対に由里子を守る、という強い意志の下その手を弾いたのだ。
「やりやがったな。私に手を上げておいてただで済むと思うなよ! ビッチがッ!」
まさに怒髪天を迎えた内田課長は殺意のこもった手を由里子の首目掛けて伸ばした。
「内田課長」
その時、怒りのあまり完全に周りが見えなくなっている内田課長の背後から声がした。その声の主は藤沼で、彼は扉の前に立っていた。
「ふ、藤沼君。いつからそこに?」
「ついさっきですが? 何かありましたか?」
「う、ううん。なんでもないわよ。で、私に何か用かしら?」
内田課長はその暴力的な手を体の後ろに隠し、乱れた髪を直しながら必死に平然を装っていた。
「いえ、用があるのは相良にで、内田課長にはそれに関しての報告をと」
自分ではなく由里子にということで、彼女への怒りがふつふつと煮えたぎっていく。
「入院中の相良のご家族の容態が急変したとのことで、至急病院に来て欲しいと電話がありました。なので内田課長。相良は今から仕事を抜けてもいいですよね?」
その言葉に由里子の頭は真っ白になり、内田課長は藤沼の手前許可を出した。
直後藤沼は由里子にアイコンタクトを送り、病院に向かわせた。
「ねぇ。藤沼君。要件はそれだけ? 私には何かないの?」
「いえ、特には」
「そう。じゃ私から藤沼君に。今日仕事が終わったらご飯行かない? 私のおごりで」
由里子を相手にする時とは全く違った穏やかで落ち着いた様子で彼を誘った。
「すいません。今日は用事がありますので」
「私の誘いを断るの? 今後の評価に関わるわよ? 今日は二人で飲み明かしたいな」
若い藤沼は由里子ばかり。そろそろ本気で自分の魅力を分からせて由里子との関係を切ってやる。
そう思っている内田課長の目はまるで獲物を狙う獅子のようだった。
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