Day.2-5 苦悩

 次の日由里子が出勤すると、オフィスがざわついていた。

 そして人々の視線がちらほらと彼女へ向けられていた。


 数人の会話の中にLINEという言葉が聞こえた由里子は社内のグループLINEを見てみると、知らない名前の人がグループに加わっていた。

 その人は一つのURLを投稿後、即グループを抜けていてとても不可解だった。

 その事かと思った由里子だが、そのURLを開いて真実を知る事となった。

 そこには画像と共にこんな文章が入っていたのだ。

 

**

 深夜のオフィス。

 誰もいないそこで二人の男女が密会。

 女に好意を向ける男に対し、女はレズビアンという事を隠して男を翻弄。

**


「何よ……これ……」


 まるで週刊誌の一ページのような内容だった。

 しかもその画像には、昨日オフィスで必死に仕事をしていた由里子の横顔がはっきりと映っており、隣の藤沼にはモザイクがかけられていた。

 写真が撮られた角度からして、後ろの扉からに違いなかった。


「相良さん。ちょっといいかしら?」


 由里子の頭を真っ白になっていると、内田課長からお呼びがかかり別室で話をする事になった。


「呼ばれた理由は分かっているわね?」


 机と椅子しかないミーティングルームに向かい合って座り、内田課長は例の記事をスマホに表示して由里子の前に出した。


「昨日私が頼んだ仕事、彼にやらせてたの?」

「違います。ただ彼はたまたま忘れ物を取りに来て、少し喋って帰っていきました」

「とぼけるんじゃないわよ! あなたが彼に仕事をやらせたんじゃないの!?」


 内田課長はもはや由里子を貶める事しか頭に無いのか、その目は悪意に満ちていた。


「どうしてそんなことを知ってるんですか? もしかして私を嵌めようとずっと見ていたんですか? あんな量の仕事、どうせ今日中に終わるわけがない、それなら誰かに頼るはず。そうなれば自分の言葉に背いた名目で貶められる。そう思っていたんでしょう?」

「何を根拠にそんなことを?」


 内田課長は、自分は何もやっていない、この事は今初めて知った。そんな素振りを見せている。


「私がレズビアンだってこと、内田課長しか知らないんですよ。他の誰にも話した事がないのに。両親にだって打ち明けていないんですよ。なのにこんなふうに書いて、私の写真まで載せて。これじゃ完全に晒しものじゃないですか。彼にだって申し訳ないし、ここにだって居づらくなる……どうしてそんなに私を虐めるんですか?」


 内田課長は苛立ちの様子で机を叩き、立ち上がると鬼の形相で由里子へ迫った。


「あなたがいけないのよ。何もかも。全部! あなたが来てからこの部署で私に向けられる目が冷たくなった。ある日突然今年の新人は可愛いって噂がたって、いざ来てみれば男達はみんなあなたが可愛いって言い始めた。それまでは私が一番だったのに! 私が一番可愛いくて美しい。そんな存在だったのに!」


 激昂する内田課長が由里子の髪を引っ張りあげる。


「やっ…離し……っ」

「私の事を好きだった木村君も私から離れて、ある日突然会社を辞めた。あなたさえいなければ私は今頃木村君と一緒になれたのに!」


 木村君。

 彼は部署内でも仕事が出来て人当たりも良く、若くて紳士的な人気者だった。

 しかもイケメンだった彼に内田課長は好意を寄せており、時々二人で食事に行くなどの交流があった。

 そんな中由里子が来てから彼は彼女へ接近するようになり、ある日彼が由里子へ交際を申し込んだのだ。

 しかし由里子は断った。

 それを知った内田課長は怒りと悲しみに震え、彼が退社するとその恨みの矛先を由里子へ向けた。

 弱みを握ろうと、由里子の学生時代の友人を探し出し、彼女がレズビアンだという情報を掴んだのだ。

 それをネタに今後会社では目立たず、男達に色目を使わないようにと脅した。


 その後も事ある毎に由里子を目の仇にし、自分の立場が危うくなった時の隠れ蓑にしたり、昨日みたいに仕事を押し付けたりし続けた。

 それでも由里子がもつ若さという魅力は、中年の域に入っている内田課長を圧倒的に凌駕し、男性社員の目線は変わらずそこへ注がれ続けた。


「ここの男達はみんな私のもの。みんな私の魅力におちるべきなのよ! あなたみたいなアバズ-」


 その時だった。

 内田課長がテーブルに置いていたボールペンが激しい音を立てて弾けた。

 その音はまるで一発の銃声のようにけたたましく、一瞬で周囲を支配した。


「課長! 今の音は一体!」


 一人の社員が扉を開けて室内に入ってきた。

 彼は音もそうだが、由里子が髪を掴まれている状況に驚くと、その口が開く前に内田課長が話し始めた。


「急にボールペンが壊れたみたいなの。不吉よね。私達は大丈夫よ。ね。相良さん」


 由里子が怯えた目で何も言わないでいると


「課長、その手は……?」

「あ、これ? 違うのよ? 相良さんの髪にゴミが付いてたから取ってあげてたのよ。何か変かしら?」

「い、いえ。何も無いのでしたら良かったです。そろそろ会議が始まりますのでお戻りください」


 いつの間にか時計の針は始業の時間を迎えようとしていた。


「ありがとう。すぐ行くから先に行っててね」


 分かりましたと彼が扉を閉めると


「この事、誰にも言うんじゃないわよ? 言ったらこんなものじゃ済まないから。あ、そうそう。いい事教えてあげる。このブローチ、あなたが昨日仲良くしていた藤沼君から貰ったの。綺麗でしょう? 彼も私のもの。あなたの味方なんてここには誰もいないんだから」


 内田課長はまるで殺人鬼のような凶悪な目で由里子を睨みつけると、ヒールを鳴らして部屋から出て行った。

 誰もいなくなった部屋で由里子は壁を背にしたまま崩れるようにして座ってしまった。


「由里子ちゃん……」 

「!」


 由里子は自分を呼ぶ祖母、サチの声が聞こえた気がして周囲を見渡す。

 もちろんそこには誰もいなかった。いや、やはり見えていなかった。

 それから頭に浮かんだ祖母を思い、涙を流した。


「おばあちゃん。これから私、どうしたらいいの……?」


 ふと子供の時に言われていた言葉を思い出した。


―由里子ちゃんは、ありのままの自分でいいんだよ―


「でも私……」


 ありのままの自分でいる事は罪なのかもしれない。

 そう思い、由里子は外に声が漏れないように一人すすり泣いた。

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