第6話 ドミノピザ

僕は、羞恥の域をはるかに超えた感情とただただ絶望で、目を開けられなかった。僕は言葉を発することもできず、ただ目を瞑って前を向いていた。


「うちの子がすみません。ほら、湊斗くん帰るよ」


そう言って声の主は、僕の腕を掴んで無機質な灰色の部屋を出たと思われる。

たぶんエレベーターに乗った。何も言われない方が辛い。早くバカだねと言って笑ってほしい。

安易に言ってはいけないと分かっているけど言わせてほしい。消えたい。今の僕はこんな風に思っても仕方のない状況だろう。消えたい。消えてなくなりたい。

風を感じたので雑居ビルの外に出たと思われる。


「ねえいつまで目瞑ってんの」


「...今の僕がそんな簡単に目を開けれるとお思いですか?」


「でも俺のおかげで20万払わずに済んだじゃん」


「20万払った方がマシでしたよ」


「なんであんな事したの?」


「あの、万引きした人に事情聴取する時のトーンやめてもらっていいですか」


「なんであんなことしたの?」


本当に消えたい。それが無理なら時間を戻したい。


「なんか、大声で泣いて駄々こねてる成人って怖いかなと思って...」


「ハハハ!湊斗くんやっぱおもしろいね〜俺もピンチになったら泣いて駄々こねよっと」


僕は気づいたら目を開けてしまっていた。


「あの、なんで北野さんもあそこにいたんですか」


「話しかけられて〜キャッチセールスだな〜って思って〜どんな手口なのかな〜と思って着いてってみた」


「え、分かってて行ったんですか?」


「え、湊斗くん分かんないで行ったの?」


「だって占いって言われましたよ」


「も〜危なっかしいな〜俺いなかったらどうしてたの〜」


そう言って北野さんが歩き出したのでついて行った。


「そういやバイト辞めれた?」


そうだった。走馬灯シネマに行く途中なんだった。


「辞めました。それで今日から出勤しようと思ったのにたどり着けなかったんです」


「あ〜そうだったの。この辺ややこしいよね〜」


1人でも来れるように道を覚えないといけなかったのに、結局ただ北野さんの後ろをついていってしまった。


あの日ぶりに"OHOHシネマズ"の看板を見て、今ならまだ引き返せるなあと思ったけど、結局何も見なかったことにしてくれている北野さんを裏切りたくなくて、心を無にして入った。


円周率室の前で北野さんが振り返った。


「暗証番号覚えてる?」


「円周率なのは覚えてますけど円周率を覚えてないです」


北野さんは「俺がいなくても入れるように覚えなね」と言って暗証番号を入力したけど、途中で間違えて入力し直すというのを2回繰り返していた。初めて円周率室に来た時もこんな光景を見た気がする。この部屋に1回で入れることってあるのかな。


中に入ってソファに座ると、北野さんは「ピザ食べよ」と言って携帯を渡してきた。一通り見て、1番高いピザを選んだけど何も言われなかった。


「湊斗くん編集の仕方とか覚えてる?」


「はい、なんとなく」


「よかった〜まあ湊斗くん素質あったから大丈夫だと思ってたけどね」


「北野さんはいつ辞めるんですか?」


「え〜なに早く辞めてほしいの?」


やっぱり笑顔が胡散臭い。


「いや、そういうわけじゃないですけど、支配人辞めるから僕に引き継いだんですよね?」


「うん、俺芸人になるの」


予想もしなかった答えに驚いた。


「芸人だったんだろうなって人の走馬灯見てさ、人を笑顔にする仕事っていいな〜俺も人を笑わせたいな〜と思って、芸人になるって決めた」


「めちゃめちゃ影響されてるじゃないですか」


「今養成所通ってて、もうちょっとで卒業。だから卒業したら支配人辞めるよ」


「けどいきなり芸人で食べていけないですよね?支配人と掛け持ちじゃダメなんですか?」


「走馬灯シネマの支配人はそこらの売れっ子芸人より忙しいんだから。掛け持ちは無理だよ」


29歳で芸人になるのって遅くない?と思ったけど、支配人を辞める理由が思ってたよりちゃんとしてたので言わないでおいた。

1人でやっていけるか不安だけど、北野さんが養成所を卒業するまで1ヶ月ちょっとあるので、それまでにできるだけ慣れようと思った。





あの日ぶりに走馬灯の編集をしたけど、やっぱり素質があるのか難なくこなせた。横で北野さんが、届いたピザを先に食べてるのにはイラついたけど。

まだ温かいけどチーズはあまり伸びなくなったピザを食べながら、ずっと気になっていたことを聞いてみた。


「そもそも走馬灯ってどうやって入手してるんですか?」


「それは俺も知らないんだよね。俺に支配人引き継いできた地元の先輩も知らなかったし。そもそも走馬灯シネマを作った人が誰かも分かんないしね」


なんか今さらだけど、すごいところに来てしまったという実感が湧いてきた。


「あ、そういえば警察が来た時どうするか言ってなかったね」


北野さんは、警察が来たら瞬時に上映スケジュールを普通の映画の名前に変えることを説明した。それから、なんかレバーみたいなので瞬時に上映スケジュールを変える練習をさせられた。めっちゃ手動じゃんと思っていたら、避難訓練みたいなもんだから本番だと思って真剣にやって、と注意された。避難訓練っていいように言い過ぎだろ。


「そもそも走馬灯シネマって何が非合法なんですか?」


「営業するって届け出してないんじゃない?確定申告してないし。ていうかそもそも走馬灯を上映してることがバレたら終わり」


「罪名は脱税ですか?」


「そうなんじゃない?知らんけど」


本当に犯罪なんだ。僕は、走馬灯を上映している奇妙な映画館の支配人になってしまっただけではなく、犯罪者に自らなってしまったのだ。もう取り返しがつかない。


「あ、そういえば湊斗くん1000円払ってよ」


「え、なんのお金ですか?」


「湊斗くんが一見さんだった時、俺がご意見箱出してるのにお金入れなかったじゃん」


「あれお金入れるとこなんですか?」


「うん。湊斗くんあの日のチケット代払ってないでしょ」


「確かに。でもこれから支配人になるのに払わないといけないんですか?」


「当たり前じゃん〜無銭鑑賞は犯罪だよ〜」


脱税してる人に言われたくなさすぎる。僕は渋々1000円を払った。上映時間20分で1000円はぼったくりだなと思った。




初出勤を終えて、北野さんは駅まで送ってくれた。


「次は占い師に捕まんないように来るんだよ」


すっかり忘れていた。僕の人生最大の失態を。てっきり北野さんは見なかったことにしてくれていると思ってたから、完全に油断していた。

自分からこの話題について触れたくないし口にも出したくない。でも無視するわけにもいかない。


「ピザご馳走様でした」


「全然いいよ〜」


そう言って北野さんは、満面の胡散臭い笑みにウインクまでしてきたので、無視して帰った。

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