第4話 また逢う日まで
バイトに行くのは今日で最後だ。
人生の中ではたった4年だけど、ここでの毎日がフリーターの僕には全てで日常だった。
今日は僕にとってはちょっと特別な日だけど、他の人たちにとっては今日も日常なのだと思うと、寂しさと開放感が混ざった不思議な気分になった。
休憩の時、高島さんはいつも通り観た映画の話をまるで僕以外にも聞いている人がいるかのように話していた。だから僕もいつも通り適当に相槌を打った。
最後の勤務を終えた僕は、社員さんやパートさんに挨拶をしたあと、休憩室へ行った。
「お疲れ!」
やっぱり高島さんは待ってくれていた。そんな気がして焦りもしなかった。
「お疲れ様です。すみません、待ってくれてたんですね」
「うん!渡したいものあってさ〜!」
そう言って高島さんは、両手に収まるぐらいの大きさの小包を渡してきた。
「ありがとうございます。開けていいですか」
「いや家帰ってから開けて!」
絵に描いたような小包は、なんとなく傾けない方がいい気がしてリュックには入れずに手で持って帰ることにした。
「あの、2年間仲良くしてくれてありがとうございました。体には気をつけてください」
「こちらこそありがとう。石田くんがいたから楽しかったよ。元気でね」
僕は高島さんと初めて話した時から、この人の語尾にはいつも何か付いてるなと思っていた。基本はビックリマークで、音符が付いてる感じがする時もあった。でも、今のは何も付いていなかった。気のせいかもしれないけど僕はそう感じたし、高島さんも寂しいと思ってくれていたら嬉しいなと思った。僕も高島さんのおかげで楽しかったって伝えたかったけど、ちょっと泣きそうで言えなくて「はい」とだけ言って休憩室を出た。
早く小包を開けたくて走って帰りたかったけど、小包が傾かないように気にしながら早歩きで帰った。
家に着くなり自分の部屋に駆け込んで、リュックも下ろさず小包を開けた。
中にはカセットテープが入っていた。小包の見た目に騙されたなと拍子抜けした。
ラベルには"また逢う日まで"と書いてある。すぐに尾崎紀世彦の『また逢う日まで』が思い浮かんだ。僕もカセットテープに馴染みがないけど、高島さんもカセットテープ世代ではないはずだ。わざわざカセットテープに入れてくれたのかな。「なんかこれは趣がある!」とか言いそうだなと思いながら、カセットテープの聴き方を調べた。
ラジカセが必要なことが分かり、おばあちゃんちにあったのを思い出してすぐに自転車に飛び乗った。曲自体は携帯でも聴けるのに何をこんなに必死になってるんだと我に返りそうになったけど、一刻でも早く聴かないと今しかないこの感情が蒸発してしまいそうで、自転車のギアを重くした。
おばあちゃんちに着くなり「ラジカセどこ!」と騒ぐ僕に、おばあちゃんは驚きながらもすぐにラジカセを出してくれた。「使い方分かるの?」と言われたが、全部自分でやりたくて「分かる分かる」と言って2階に上がった。
携帯で調べたやり方を見ながら、カセットテープをラジカセに入れた。ちょっとだけ緊張しながらもすぐに再生ボタンを押した。
あの印象的なイントロが始まることはなく、聞き覚えのあるピアノのイントロが流れ始めた。『旅立ちの日に』だ。なんだ。"また逢う日まで"は、ただの高島さんからのメッセージで、曲は『旅立ちの日に』を入れてくれたんだ。
歌が始まり歌声を聴いて、僕の心から徐々に感傷的な気持ちが引いていくのを感じた。
合唱ではなくたぶん4人で歌っている。ソプラノ・アルト・テノール・バスの混成四部合唱だ。いや4人ではなく1人で混成四部をしている。
高島さんが。
言いたいことはたくさんあるが、音域がとても広いんだなと思った。終盤のソプラノ・アルトとテノール・バスの掛け合いの部分を、1人で少なくとも4回は録音したであろう高島さんの姿を想像すると、感傷的な気持ちは完全に消えた。
曲が終わったあとに、ボイスメッセージでも入っているんじゃないかと最後まで聴いてみたけど、ただ高島さんの『旅立ちの日に』をフルで聴いただけになってしまった。
絵に描いたような小包にワクワクして、わざわざカセットテープに曲を入れてくれたんだと思ってうれしくなって、おばあちゃんちまで行って、ラジカセの使い方を調べて、聴いてみたら『旅立ちの日に』の高島さんカバーで、こんな感情の裏切りがあるんだ。僕は今名前の知らない感情でいっぱいいっぱいだ。高島さんは僕がこうなることまで想定してこれを準備したのだろうか。
高島さんが、最後にビックリマークも音符も語尾に付けずに話したのは、このためのフリだったのならなんて抜かりのない人なんだろう。
だけど僕と高島さんの関係って最初からいつもこうだ。こうあるべきなのだ。
高島さんはきっと僕に対しての有終の美を飾って勝手に満足気だろう。
高島さんに言いたいことはいっぱいあるけど、ここで高島さんに連絡をするのは野暮極まりないと思う。
僕は、高島さんにまた逢う日まで、なんて言おうか考えておこうと思う。
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