遺書、そのニページ

わたしはごく普通の家庭で生まれた。

いや、むしろ恵まれていた方であるかもしれない。

何せ、お二方は私が選ぶものに対していつも真摯になってくれたからだ。

否定されたとしても、それさえもいつの時だって私のためだった。


必要のない苦労をして、心を痛むような経験はしないで欲しい。

健康に育って欲しい。


ただ、振り返ってみるとその小さな、ちっぽけな願いに対してさえも愚かな私は一度たりとも応えてあげられなかったような気がする。

やはり罪の深い人生だ。

ただ…親より先に三途の川を渡ったのは正直に言って後悔でしかない。

やはり後悔しかない、不正解選びの人生だ。


念のためにいうが、それでもわたしは死を選んだ己の選択を否定しないだろう。

その時、きっとまた同じ選択をする。


そういう人生を生きて来た私はそして、家の近くの幼稚園に通いはじめた。

当時の住んでいた言えがどうであったかなんてほとんど覚えてない。

覚えているのはベッドとテレビの間の距離が、幼児だったわたしからしても大分狭いと感じていたことだけだ。

ただ、不思議にも思い返す度、それが一度も嫌だったと感じたことはなかった。

純粋で、何も知らなかった子どもにとってはきっと母上と一緒にいる時間だというだけで楽しいと思えていたからなのだろうか。

わたしは今もそうだが、幼い時はさらに消極的な恥ずかしがり屋の子どもだった。

たとえば…そう。

わたしの家は当時の幼稚園と少しばかり遠かったため、いつも通園のバスに乗らねばならなかった。

今は顔すら思い出せない、おじさんと呼んでいたことしか覚えていないそのバスの運転士の方とはだから少し距離が近かっただろうと思う。

もちろん、これは数十年も前の話だ。当時の自分の心境なんて正確に当てられるはずがない。間違っている方が可能性としてはまだ高い。

それでも特別な記憶が残ってないというのは、そのおじさんもまたひとりの子どもにとって決して嫌な人ではなかったに違いないともいえよう。

そういう何とも言い難い間柄の運転士さんと、幼稚園ではない、町のどこかで偶然出会ったことがある。

ビリヤードをしにいく父上が自分を連れていったと覚えているが、何のために父上が連れ出したのかは思い出せない。

とにかく、そこでわたしは見慣れた人の顔を見たのだ。多分父上は知らなかっただろう。

だが、その運転士さんに明るく挨拶をする代わりに自分は父上の裏に隠れる方を選んだ。

当然、父上もその運転士さんもすこし狼狽えただろうと思う。だが、そう気まずい雰囲気にはならなかった。

運転士さんは数多くの子たちを見てきている。きっとあの子は恥ずかしがり屋なんだろうと分かってくれたのだろう。

父上が何か言っていた気がするが、その内容も自分が何と言い返したかもいまとなっては分からない。

ただ、いつかの日の恥ずかしがりな子どもが身を隠すだけで精一杯だった、そのことを語るエピソードの一つに過ぎなくなっている。

知り合いと偶然遭遇した時、身を隠してしまう性格は長らく続いた。いつまでだろう。多分中学校のころまでもそのようだったと思う。

やっと逃げなくなったのは…高校からだろうか。


似たようなエピソードならもう一つある。

それは…そうだ。演劇をするようになった時があった。

訳あって他の幼稚園に通うことになった時のことだった、はず。

赤ずきんのお話のセリフを英語に書き写し、それを園児たちが覚えて必死に演じるようなことだったと思う。

当時の自分は数多くの狼の役のうちのひとりだった。

園児の記憶力にはとても狼の分をひとりで覚えることが大変だ。だから数人の子どもがいくつかのセリフを覚えることになっていたのだが…。

わたしの順番になった時だった。

頭が真っ白になってしまったのである。

多分恥ずかしがり屋の子にとっては多くの人に見られながらおどおどとセリフを口にするのが大変なことになっていたのだろう。

それで仕方なく、先生がわたしを列の一番後ろに誘導したと覚えている。

必要のない苦労だったかは知らない。当時の自分が心を痛めたかどうかも分からない。

ただ、それ程、人の視線が気になる、そういう子だったということだ。


幼稚園の時からそういう内向的な子どもだったわけだが…あいにく好奇心が旺盛だという点ではほかの子と同様どころか、少し強いくらいだった。

そのせいで、死にかけたことすらあるくらいだから。

そう…それは5歳くらいの時だろうか。親戚の家に遊びに行き、屋上で四輪の自転車を漕いでいた時だ。

ただ、当然屋上に登るための階段も近くに設けられてあったわけで、そこに万が一子供たちが自転車に乗ったままそこに向かって自転車を走らせて怪我をしないように大きな板がそのための安全装置となっていた。

しかし、当時の子どもにとってそういう深い事情が理解できるはずはない。

明らかに似合わないものがそこにあるという事実だけで興味が生まれる。

内側の好奇心がざわめく。

そうだ。当時のわたしはそれを抑えられなかった。

そしてそこを目指して、必死に自転車を走らせた。

その後、おばさんと病院に向かったこと自体は覚えていたが、その間のことはあまり知らない。

ただ、母上によると、空中に飛んでいたわたしをちょうど仕事から帰ってくるところだったお婆さんがキャッチしてくれたらしかった。

目立つ外傷はなかったものの、何かひとつでも間違っていればきっと助からなかったのだろう。

豪運だった。


また、罪が深いこと。

ただ、それでもその頃はまだ自分自身に堂々になれる時期の方が多かっただろうと思う。

何せ、子どもは純粋だ。生まれながらの性格ならともかく、内なる声から目を逸らさないのだから。


そういう内なる声に良い意味でも、悪い意味でも正直に従う子だったと思う。

少し社会に馴染むには時間が必要な子だった、ちょうどそのくらいだろう。

そういう子にとっても好きなことはいくつかあった。

それはアニメと特撮。ただ、その頃はまだ特撮、中でも戦隊シリーズと仮面ライダーに偏っていた。

かっこいいことには目がない。

ちょっとかっこよく見える場面に魅入られて、幼稚園の先生の前でそれを真似し、母上に電話が掛かってきたこともあるくらいだった。

静かなるかっこよさ、それが当時の自分は好きだったのだろうか。

パット見てかっこいいと思ってしまう、そういうオーラをまとっている人々が好きだったという方が正しいかもしれない。

周りの大人を真似ることもあったが、テレビに出るものさえ真似ることがあるくらい、またしても自分の心に正直だったのだ。


そういう親を喜ばせる日もあれば、悲しませる日もある、ある意味いかにも子供らしい日々が続いたとある日。

爺ちゃんに視力に問題があるのではないかと心配されたそうだ。

どうやらある時期からテレビを見る際、あまりにも近い距離から見るようになっていたということをお気づきになられたようで。

わたしは今となっては長男のだけだが、当時は一人息子だという肩書までもっていたのである。

さぞ怖い思いをしたであろう、母上は。

そして、神は残酷だ。そういう母上に医者の口をもってひとりだけの息子がこの先色とりどりの世界は視れないと語っただから。

当時に対する記憶が何ひとつ存在しないことから、その時のわたしは何も飲み込むことが出来なかっただろう。

いつもと同じく自分の心に従っただけの子どもだったのではないだろうか。

もしくは、見るに堪えない何かを見たかもしれない。

だが、母は強かった。

その言葉を聞いても、どうにかしようと当分の間足掻いたらしい。

悪戯心の溢れる神は、それに応えてくれた。眼鏡という現代の代物の力を借りることでまだ世の中と向き合えるようにしてくれたのである。

全くだ。


これだけ見れば、神もまた子どもなのかもしれないと思えてくる。

いい意味でも悪い意味でも、子どもは常に純粋だ。

その純粋さが時たま、ひとに暴力を振るうかのようになるだけだ。

ただ、人間であるわたしは…そうだな。この頃から親に心配をかけることがあった。

次第にはそれも減っていったが、今に思えば心配をかける方が良かったかもしれないとさえなる。

嫌な大人になったものだ。


だがしかし、どうやらこの子どもは神に愛され過ぎていたのかもしれない。

今回は癲癇である。理由は不明だ。父上は、自転車の件によるものではないかと踏んでいたらしい。

この時は、父上が凄く頑張っていたらしい。幸いにも知人にその辺に関して学界で名の知られた人がいたらしく、その人に診て貰えたとか。

お陰で薬三昧だった。

症状は酷くなかったものの、時々症状が出る度に両親は嫌な思いをしただろうと思う。

中学に入ってからは完全に治ったという点が救いだったとも父上は言っていたが…。


どちらにしろ、お二方の小さい願いのどちらにも中々応えてあげられない、罪の多い子どもだった。

子どもといわれる時期は人の生、その全体から見てごく短い時間に過ぎない。

その間、健康に生きることが思うままならずに無邪気な笑顔でたまに誰かを悲しませたかもしれないと思うと複雑な心境になる。

至らぬところの多いのが子供といえども、子どもの問題を自分の問題かのように受け止めてしまう時があるのがまたその親だ。

いくら想像してみようと頑張っても、どういう心境でわたしと向き合っていただろうかというのが中々思いつかない。


やや長くなってしまった。少し脱線してしまっていたかもしれない。

ちょうど、両親が抱いていた二つの願いのうち、その一面について語ることには出来ていると思う。

幼児の時に限ることにはなるが…

それから…そうだな。一人の人間を理解するためには幼いころにどういう人だったかを理解する必要がある。

そうすることで、その人が真に大人になったといえるものなのか、それとも幼児の時から何ひとつ成長していないままなのかが明らかになるからだ。

暫しの辛抱だ。

記憶に頼って語っていくゆえ、もう少し付き合ってくれたら嬉しい。


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わたしの魂は死の色 @asahi2763

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