35.桜の主が思うこと(sideサクラ・アオイ)
隊長室の扉を、三度ノックする。それから一呼吸置いて、私は己の名を口にした。
「サクラ・アオイ、ただいま戻りました」
「入れ」
返事を待って、扉を開けた。執務机に手をついて、我が主たるカイル様が落ち着いた笑みを浮かべて迎えてくれた。
「お帰り。返信はノゾムから受け取ったよ」
「は」
カイル様のお話を聞くまでもない。机の上には私が王都から預かってきた文が、蝋封を外された状態で置いてある。当然、カイル様はその中身に既に目を通されているはずだろう。
蝋に記された印章は、王都に住まいコーリマ王国を統べておられるオウイン王家、その第一王女セージュ様のものだ。現王ゴート様の右腕として、既に実権を握っておられる勇ましき姫君。
カイル様とその部下である我々は、そもそもコーリマの人間であった。王国を離れるというカイル様に付き従い、今はここユウゼの街を守る戦に従事している。
のだが。
「セージュ殿下も相変わらずだな、まったく」
「やはりですか……もともとああいった性格でございます故、致し方ないものかと」
はあ、と大きくため息をつかれたカイル様のご心境、察するに余りある。
王都でのしがらみを嫌い、中立たるこの地で傭兵部隊の長として日々忙しく働いておられるカイル様だが、その能力には眼を見張るものがある。王都を離れるときも、あちこちの領主や貴族から是非我が地へとという要望が後を断たなかったものだ。
そういった面倒を嫌ってカイル様は、全てを知りながら何もおっしゃられぬユウゼの領主の元で働いておられるのだが……セージュ様はしつこくしつこく、王都へ戻れと要請の文を寄越してこられるのだ。
私が王都に赴きセージュ様にお渡しした文は、これまでになく強い文章でその要請を断るものであった。だが、カイル様のお顔から察するにその返答は、相変わらずというところか。
要するに相手の身分などを外して見てみれば、ただのワガママ女なのである。何故太陽神様はあのような女に王家の地位を与えたのかとも思うが、王国の為を思えばそれは必要だったのかもしれない、な。……おっと、これはあくまでも心の中で思ったことで、口になど出しはしないが。
「殿下とミラノ殿下がいれば何の問題もないというのに、どうして俺を呼び戻したがるんだか」
「何事も己の支配下になければいけないのでしょう、セージュ様のお考えとしては」
カイル様のうんざりしたお顔もなかなか見目麗しい表情ではあるのだが、私は笑顔の方が彼にはふさわしいと思う。故に、セージュ様やその弟君であらせられるミラノ王太子殿下にはよい印象などまるでない。これは私だけでなく、傭兵部隊の皆が同じ意見であろう。
皆……か。
「そういえば、カイル様」
ふと思い出したので、話題をそちらに振ることにしよう。オウイン王家の話よりはまだ、カイル様のお心が楽になる話題だろうから。
「ジョウ、という少女と会いました」
「会ったのか」
「はい。『異邦人』でラセンの弟子、と伺いました」
ハナビに引きずり込まれた『ユズ湯』で出会った、黒髪の少女。彼女が『異邦人』ということは、黒の手から救い出して保護したのであろう。後で、報告書を読んでおこうとは思う。
「ああ。かなりの素質を持っているとラセンからも、『子猫の道具箱』の店主からも聞いている」
「ネコタ殿ですか……」
ネコタ・アキラ。カサイ一族も一目置く、魔力と知恵の持ち主である。専属魔術師としての雇い先など引く手あまただろうに、何故に中立の街で魔術道具屋などを営んでいるのだろうか。……まあ、カイル様とおなじような考えなのかもしれないな。
その彼女が素質を認めたのであれば、まず間違いないだろう。そこは、私も認めなければならない。
だが。
「何が不満だ? アオイ」
「カイル様の呼称が」
「ああ、彼女はさん付けだからなあ」
途端、カイル様の表情がやわらかな笑顔になる。いや、それはいいんだ。問題は、カイル様がその呼称を受け入れているということだ。おのれ、『異邦人』め。
正直に言うが、私だってカイルさん、とか呼んでみたい。だが、それは許されないことだ。私はカイル様の副官であり、そんなに気安く呼んではならんのだ。うん。
「もともとは全く別の社会から来たんだ、呼び方にもあまりこだわることじゃないさ」
「そうですが……」
「不満なら、アオイは俺のことを昔みたいに呼び捨てにしてくれてもいいんだが。お前のほうが年上なんだぞ」
うぐ。
た、確かに昔、というか年齢が2桁にならぬ頃の私はカイル様を様もさんも付けずにお呼びしていた。無知な幼子だったとはいえ、何という無礼か。だから今は、さん付けすらとてもとてもできるものではないのだ。
自分の無礼はともかく、ちょっと引っかかることがあったのでそこは注意をしておこう。カイル様の欠点の1つは、こういうところに鈍いという点である。
「………………女性に年齢のことを言うものではありません、カイル様」
「そうか? それは済まなかった」
済まなかった、と謝罪はしてくださったのだけれど、恐らくカイル様はその意味を理解してはおられまい。女は年齢のことを気にするものなのだ、特に嫁入りに適した時期の女は。
まあ、お母上以外に身近にいた女が私かセージュ様では、そういったことなど理解できまいだろうが。
ふと、カイル様が何かを思いつかれたように目を見開かれた。そのまま、私に視線を移す。
「アオイ。ジョウのことで、頼みがあるんだが」
「頼み、でございますか? 命令ではなく」
「そうだ。俺と、俺の母を知っているお前だからこそ、頼みたい」
カイル様のそのお言葉には、私にとって有無を言わせぬ強制力がある。カイル様とそのお母上を身近で見守ってきた、このサクラ・アオイには。
「『異邦人』には、太陽神の守りがない。この世界に、先祖はいないからな」
「あのジョウという少女を守ってほしいと、そういうことでございますね」
今は年末で、黒の神が世界に及ぼす力が一番強い時期だ。『異邦人』であるあの少女がこの世界に現れたのも、黒の信者どもがその力を利用して呼び寄せたということだろう。
そうして黒の神には、人間の心を黒の側へと引き寄せる力がある。普段は敬虔なる太陽神の信者であろうとも、心の隙をつかれ闇へと引きずり込まれる者もいる。その心を守るために、太陽神の使いとして先祖の霊が幼い子孫を守りぬき、そして新しい年を迎えた暁には心の守りを与えることができる。
もともとこの世界の存在ではない『異邦人』には、先祖の守りが届かない。存在しないからだ。故に『異邦人』は、黒の手から逃れ得る可能性がとてつもなく低い。強力な魔術師のもとで守りを構築し、その心を守り切ってやらねばその者は、心を染められておぞましい黒の信者と化す。
カイル様にとって、それだけはなんとしても阻止したい事態に違いあるまい。ならば。
「頼めるか? ラセンにも言ってあるが、せめて年が明けるまでは無事に過ごさせてやりたい。そうすれば、神殿で守りをいただくこともできよう」
「カイル様の願いとあらば、否やもございません」
この際、ジョウという少女に対する私の感情は年が明け、彼女が無事であった場合に考え直せばいい。まずは、我が主の望みを叶えなければならない。
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