31.結局は大変だった

 部屋に戻る途中でお湯をもらい、湯器……要するに湯たんぽに入れて部屋まで持ち込んだ。そこからちょっとだけタオルを濡らして、手足を拭く。

 この世界では毎日風呂に入る習慣はあまりなくて、普通はこうやって軽く汚れを落とすだけ。だから、金持ちでもなければ家には風呂はない。入りたければ、ユズ湯のような風呂屋さんに入りに行く。

 ま、割とからっとした気候だしこれで十分なんだろうけどな。そもそも、俺は今巡りの物の最中なんでさすがになあ。終わったらざっと綺麗にして、それからユズ湯でじっくり風呂に浸かってやるつもりだ。


「……何か無性に疲れた……」


 薬の効果が切れたのか何か分からないけれど、でろんとした疲労に襲われてベッドに倒れ込む。あー、冬の布団って楽園だなあ。


『まま、だいじょぶ?』


 肩の上に乗ったままだったタケダくんが、するりと目の前に降りてきた。じーとこっちを見つめる丸い瞳は、もう見慣れた可愛いうちの子だ。あ、認識としてはペット、みたいな感じかね。飼ったことないから、よく分からんが。


「おう、平気平気。明日には多分、もうちょっとマシになると思う」


『ほんと?』


「ああ」


 ただ、あっちでいうペットと違ってこいつはこうやって俺のことを気にかけてくれて、話しかけてくれる。だから俺もちゃんと言葉で答えて、それからまだまだ小さな頭を指先で撫でてやった。しっかし、だるいなあ。


「だから、タケダくんももう寝ろ。お前、まだまだ子供なんだから」


『はーい。まま、おやすみなさい』


「おやすみ」


 それはそれとして、まだまだお子様なこの子蛇はさっさと寝かせることにする。もし何かあったら俺より敏感に目を覚ますだろうから、早めに寝かせても大丈夫とは魔術の師匠たるラセンさん談。

 小さな翼を広げ、身体をぎゅっと曲げてからぴょんと跳ねてタケダくんは、愛用の寝床に飛び移る。そのまま布団にもそもそと潜り込むと、本当に小さいのですぐ姿は見えなくなった。

 それを確認して、俺はばったりと布団に顔を埋める。いや、うつ伏せにぶっ倒れてるから自然とそうなるだけだけどな。


「……武田、か」


 何となく付けてしまったけど、伝書蛇の名前に使ったのはあっちの世界で最後に一緒にいた、友人の名前だ。あれから二週間、今のところあいつの行方は判明していないらしい。こちらに来ているのかどうか、さえも。

 タンスの奥に仕舞いこんであるものを思い出す。ズタボロのマフラー、結局汚れの取れなかったコートとジーパン。サイズは大きくなっていて、とてもじゃないが着れるもんじゃなかった。

 俺が俺だった、こっちの世界では多分唯一の証拠の品。

 あの建物……黒の神の神殿だったらしいあそこからは、他にこっちの世界であるはずのないものは見つからなかったらしい。つまり、武田のもんはなかったということだ。


「こっちに来てなきゃ、それはそれでいいのかね」


 何となく、そう考えてみる。そうすると、向こうではどうなってんだろうな。

 俺が下になって落ちたんだから、俺をクッションにして無事な可能性はあるんだよな。その後……俺が死んでるのかいなくなってるのか、それは分からない。

 どっちにしろ、駅はえらい騒ぎになっただろうな。武田が無事なら親に連絡が行って……どうなんだろう。

 うちはひとりっ子で、その割に親はあんまり俺に構うことはなかった。例外が学校の成績で、これだけはとにかくうるさかった。遺伝子がどうこうとは言わないけど、そんなに良い頭じゃねえんだからあまり無理は言ってほしくなかったな。

 ……親もひとりっ子同士で共働きで、仕事であの街に移り住んだから、育て方とか分からなかったのかもしれない。聞く相手も近所にはいなかっただろうし。

 双方のじいちゃんとばあちゃんはどっちも割と遠くに住んでいて、小さい頃は夏休みとか冬休みとかに遊びに行くこともあった。高校に入るくらいから、それもなくなったけど。


「……何してんだろうな」


 こればっかりは、確認できそうもない。一人息子が死んで、それなりに悲しんではくれてるんだろうか。まさか別の世界で女として生きてまーす、なんて伝わったとしても理解できそうもないけれど。

 で、今になって親のこと思い出して気がついた。そうか、もう会えないのか。


「いや、俺、もう少し早く気づけよ」


 てか俺、結構薄情だな。一応産んでくれて育ててくれた親だろ。

 案外ここは死後の世界で、だから生前のことぽーんと吹き飛んでるとか言われれば結構分かる気がするんだけど。


「こんな死後の世界あるかー」


 ぼふん、と枕殴ってみる。いやだってさ、目が覚めたらいきなり女になってて邪神の信者のせいでエロピンチだったなんて死後の世界、ほんとにないわー。冗談じゃねえ。

 大体、何がどうなってこんな連想になったんだ。あれか、巡りの物のせいか。確かあっちだとホルモンがどーとかこーとか、授業で言ってた気がするけどそのせいか。そういうことにしよう、何か考えててもしょうがねえし。


「寝よう」


 寝て起きて、落ち着けばきっとこんな変な考えは出てこなくなる。そう思って、むくりと起き上がった。電灯ならぬ魔術灯のスイッチを切って、布団に潜り込む。

 テレビもスマホもない世界は、あまり遅くまで起きてても仕方がない。本は、やっと絵本を読めるようになったくらいだし。でもまあ、飯うまいし傭兵のみんなと話するの楽しいし、魔術の勉強も意外と楽しいし。


「……勉強が楽しいって思ったの、そういや初めてかあ」


 そんなことを口の中でつぶやきつつ俺は、目を閉じた。明日はもう少し、楽になってるかな。

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