車内談義

 泉と枯れ沼の石碑に塩をかけたことにより、それまで狂っていた神隠市カクリシの時間や時空が平素の通りに戻ろうとしていた。

 「工事現場を避けながら通るようなものですが」と前置きしたのは、例のお化けタクシーの運転手だ。どうやら今の神隠市カクリシは、普段よりもわずかに移動時間がかかるらしい。その合間を利用して椋伍は、枯れ沼での出来事と、ゆみの家――是山コレヤマ家での一件、そこで聞いた依代ツグヨという悪習諸々を待機組に話した。


「アメフラシかどうかも怪しいわね」


 それまで黙って聞いていた一同の中で、最初に口を開いたのは菖蒲アヤメだった。彼女の背後にある車窓からは、街灯りと車のテールランプの明かりがちらついており、暗闇によく映えている。


「泉ならば海が近いから、そちらから神様が迷い込んで居を構えたと考えられなくもないけれど、沼は違うでしょう? どちらかといえば近いのは川よ」

「それ今話すことかよ?」

「もちろん」


 眉を寄せた直弥へ、力を込めて菖蒲は返す。


「それだけ歴史がある神様かもしれないし、それをこの男が粗雑に扱ったことになるもの。古い神様は気難しい方が多いから、今後に関わるわ。それこそ時任が言ったように、落ち着いている内にお酒の一本や二本持参してお詫びに行かないと」

「面倒くさいなー」

「お前が枯れ沼の主様を南の果てまで吹き飛ばさなければ、こうはならなかったのよ」


 責められても何処吹く風。夢月ムツキは心底どうでも良さそうに、助手席で自身の爪の調子を眺めている。


「まあ、気が向いたらいくよ。気が向いたら」

「コイツ……!」

「菖蒲さん、クールダウン、クールダウン! 無理やりやらせても意味ないですから。こういうのは薄っぺらいと逆効果なんで!」

「……それもそうね」


 椋伍が取り無して、やっと菖蒲は夢月の後頭部を睨みつけるのを辞めた。なかなか落ち着かない二人の仲に、椋伍がやっとの思いで息をつくと、横目で見守っていた直弥が口を開く。


「で? 沼は様子見として、オメーのお母さん大丈夫かよ?」

「あー、どうだろ。どの神様降ろすと思う? オレ的には菖蒲さんと同意見なんだけど」

「いや、村の大怨霊なんか呼ばねェだろ。それより降ろしたい人が居るじゃねェか」

「え、だれ?」

「コヨリちゃん」

「え、ええー……?」

「ンだよ」


 座席に背を大きく預けながら、椋伍は否定的な声を上げた。直弥がムッとする。


「娘だろ。呼びてェだろ」

「いや、母さんは……多分呼ばない」

「アァ?」

「だって母さんは姉ちゃんのこと、ちゃんと諦めがついてるし。未練があって呼ぶってことはないと思う。あと」


 椋伍は龍のような姿に所々姉の面影を宿した井戸神の姿を思い出しつつ、


「オレ達の担保ってことで姉ちゃんが井戸神様に貰われたこと、母さんはちゃんと分かってる。そうじゃなきゃ、とっくにダイゴと一緒になって依代ツグヨの力使って姉ちゃんを呼んでる」

「ああ……」


 やっと納得がいったように、直弥は肩から力を抜き、声を漏らした。かたん、と車内が僅かに上下する。


「だからダイゴの野郎、こんな回りくどいマネしてやがんのか。まァ、計画が成功した後がイマイチ分かんねーけど」

「成功した後? なんかあったっけ?」

「はァ? 神隠市カクリシと村が混ざったところで、コヨリちゃんは神様の中だろ? オメーが神様キレーにしたから暴れもしねー上に、ダイゴの言う通りに動くわけもねェじゃねーか」

「あ。そっか。姉ちゃんを生きてる人みたいにしたくて、こんなことしてるわけだから……あんまり意味がない? いやでも釣られて穢れたりも、なくはなくない?」

「アァ? なんて?」

「そのことだけど」


 少しだけ振り返って、夢月が椋伍と視線を合わせて笑う。


「神隠市と村の生死の狭間を有耶無耶にして、その地にいる全てを混乱に叩き落としたら、今の井戸神は浄化に回ると思うよ。それこそ堕ちる寸前まで死力を尽くして。……俺ならその弱ったところを狙う」

「狙うって」

「井戸神の首、コヨリちゃんとすげ替わってるんだろう?」

「ああ、そうよ」


 動揺する直弥に被せ、さらに夢月が椋伍に向けてたたみかけたのに、菖蒲が目を見開く。


「元は別物だもの。もぎ取って分離できそうだわ」

「弟の前で首もぎ取るって言うのやめません?」

「今更げんなりしないでよ。ダイゴはきっとやるでしょう?」


 椋伍は呻き声をひとつ上げて黙りこんだ。何せダイゴには、井戸神を撃ち落とそうとした前科がある。何も言えなくなってしまった椋伍に代わり、腕組みをして直弥が前に出る。


「じゃあよォ。天龍センパイを起爆剤にして神隠市を堕として、ぐっちゃぐちゃになったトコを直して回る井戸神サマを取っ捕まえて、コヨリちゃんと分離っつーのがダイゴの大体のやりたい事として、コヨリちゃんはそれ許容できンのかよ?」

「そうじゃん。繰り返すばっかの世界に正気の姉ちゃん一人だけとか地獄じゃん」

「じゃあ狂わせてから手元に置けば、何ら問題はないよ」

「大アリだわバカタレ。あァー、マジで、そういうことか……! つーか何でこんな危ねェ野郎が仲間ヅラしてンのか、一番意味がわからねェ!」

「ごめん、オレが契約しちゃったから……」

「オメーは今後契約の場にひとりで立つな」


 ひとりじゃなかったんだよな、とは流石に言えずに椋伍は顔を背ける。夢月は思想が危ない相手であるため、ある程度契約で縛った方が動きやすいと椋伍も思ったのだが、少しばかり直弥の精神衛生上よろしくなかったかもしれない。


――でも敵に立たれた上でこんな事言われたら、そっちの方がゾッとするけどなぁ


 そうなればさぞ精神的に痛めつけられたことだろう。

 椋伍がひとりで薄ら寒くなっていると、菖蒲が思案顔を上げて「それにしても依代ツグヨが居ると厄介よね」と口にした。にこりと一つ笑み、夢月が応じる。


「殺しとく?」

「ちがう。息子の命を人質に取られたら、ダイゴの思惑通りに事が進むんじゃないかしら。なんなら手っ取り早く、奴は降ろさせ、堕ちた姉様と井戸神を争わせてしまうかも」

「……そこんトコどうなんだよ?」


 椋伍へ直弥が話を振る。一拍二拍置いて、椋伍は顎に手を当てて考えた後、


「母さんはダイゴの話には乗っかると思う」

「マジかよ」

「でもオレや人質のためじゃないかも」

「へえ。どうして?」


 面白そうに夢月がサングラスを少し下げて尋ねれば、椋伍も腕を組み、首を傾けながら


「オレの母さん、怨霊かもしれないひとと一緒にプリン食べたことあるんですよね」

「……んん?」

「アァ?」

「どういうこと?」


 突飛もない告白に、車内の空気が微かに揺れる。なんなら存在を消していた運転手ですら「えっ」と動揺の声を上げた。

 椋伍はなおも悩みながら言葉を紡ぐ。


「皆さんお馴染みの天龍ユリカさんのことなんですけど、あの時の母さんにとって、ユリカさんは得体の知れない存在に違いなかったんですよね。でもお見舞いのプリン貰って、食って、おしゃべりまでしてる。あれって腹の探り合いだったんじゃないかなって」

「天龍家名乗って来られただけでも、警戒するだろ。食ったンか」

「あとハジメちゃんも」


 あの馬鹿野郎が、と直弥はタクシーの天井を仰ぎ見た。


「それでさ、ツグヨって名前も継承してるし、母さんって良くも悪くも村の人間だからさ、こう、上手く言えないけど……肝の座り方がおかしい」

「お、おう」

「だから人質どうこうって言うよりも、一旦ダイゴの話に乗っかって、別の理由で神降ろししそうだなーって」

「……」

「井戸神様になった姉ちゃんのことも、受け入れてたくらいだし」

「プリンよりまずそっち出してくれた方が、早く納得いったわ」


 直弥からの苦情に「ちょっと強烈すぎて」と椋伍は言い訳した。


「着きましたよ」


 そこでタクシーの運転手の呼びかけが一区切りをつけ、空気が緩んだ。ピー、と電子音が響く。

 開いたドアの外には長く白い塀と門がある。恐らく天龍と彫られた木製の表札も、そこにあるのだろう。


「どうも」


 電子板にはゼロの文字が表示され、短い挨拶と共に夢月ムツキが車から出た。

 菖蒲も続き、椋伍は背中に回していた神隠市カクリシノートと、それに挟んだこっくりさんの紙を引き出し、座席を気にしてから「お世話様でした」と声をかけて車から出る。最後に直弥が小さく会釈をして出ると、すう、とタクシーの姿は薄らいで霞のように消えていった。

 

「おかえりなさいませ」

「うわびっくりした」


 ぼんやりとタクシーがあった場所を眺めていた椋伍は、唐突に女に後ろから呼ばれて飛び上がった。

 門の前には家教イエノリではなく、見知らぬ中年女が立っていた。うぐいす色の着物の女は、外灯ひとつにぼんやり浮かび、肩の辺りですっぱりと切りそろえられた黒髪を揺らして頭を下げる。


「宮司の家教イエノリはただ今外出中でございますので、わたくしがお世話係を務めさせていただきます」

「どこの家の人間か聞いてもいいかしら?」

「長年氏子うじこを務めている、内田でございます。爪丘ツマオカの塚の手前の一族です」

「ごめん、なんの確認?」


 椋伍が堪らず直弥へ尋ねて、首を横に振られる。「ただのいびりじゃねーの?」と添えられた所で、


「あの家ね。どちらかと言えば分家側の人間じゃないの。よく本家の邸宅を任せられたわね。どんな手を使ったの?」

「マジでいびりだった」


 ねちねちとしだした菖蒲に、椋伍は思いっきり顔をひきつらせた。なぜこんなことに。夢月はどうだ、と視線をやると、何故か少し離れたところで塀を撫で回している。


――あのひと心底メンドくさがってる!! チクショー!!


「菖蒲さん、菖蒲さん。寒いから早く入れてもらいましょうよ。大体神主さんが受け入れてないなら、この人だってとっくにユリカさんがどうこうしてますってば」

「それもそうね」


 わざとらしく腕を擦りながら椋伍がせっつくと、菖蒲はじろり、と内田という女をひと睨みし、やっと詰め寄るのをやめた。


「お着替えをご用意しておりますので、どうぞ」


 内田は気を悪くした様子もなく薄く笑うと、一同を中へ招き入れた。

 玄関から屋敷の奥の渡り廊下を渡って客間付近。着替えをそこに用意しているという彼女の後ろをついて歩きながら、椋伍は背後の菖蒲を僅かに振り返る。


――菖蒲さんって一族以外の村の人間、まだ憎いんだろうな。いやでも分家がどうって言ってたから、そっちの揉め事?


「何?」

「いや、まだ怒ってるかなって」

「……。前を向いて歩きなさい」


 菖蒲は答えなかった。これ以上探るのもおかしく思えて、椋伍は内田に続く直弥の背中を見る。

 程なくしてたどり着いた衣装部屋の前で、皆順番に着替えを手渡された。夢月も、菖蒲も、直弥も和装で椋伍は頭を抱えそうになる。甚平ならまだしも、着物は勝手が分からない。教わるとしたら直弥だが、面倒くさそうな顔をしていることから望みは薄そうだ。


「では時任様、こちらを」

「ハイ! あ、あの。ちょっとコレと交換して、オレが服貰ったらその上に乗っけてもらえますか?」


 こっくりさん用紙入りの神隠市ノートを指さす椋伍に、ふわりと内田が微笑む。


「ええ、もちろん」

「スミマセン」


 願い通りに服とノートは交換された。あとは服の上に返してもらうだけ。


「……ん? あ、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「……」

「内田さん?」


 だが内田は両手でノートを手にしたまま、動かなくなった。椋伍が呼びかけて、つい、と女の口角が引き上がる。


「時任!!」

「え」


 菖蒲が内田に掴みかかった瞬間、衣服が落ちる音に混ざり、バリッと何かが裂ける音がした。

 ぐわんと椋伍の頭が揺れる。視界が歪む。足元がおぼつかなくなり、全身が床に叩きつけられる。

 その痛みを最後に、椋伍は意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る