成る者

「何人もいる?」


 広い和室。思いもしないゆみの発言に、椋伍が身動ぎし、足元の畳をきしませた音がやけに大きく響いた。


「どういうこと? オレのおばあちゃんミキヨだし、ひいばあちゃんはもっとこう……違ってたと思うんだけど」

「ツグヨは代がわりするの」


 ゆみは写真を見つめ直しながら続ける。


時任トキトウ家の男の子はお嫁さんをむかえて、女の子はえらばれたら嫁巫女よめみこ様になる。えらばれなかったらツグヨになる。ツグヨちゃんも、えらばれなかったからツグヨになったんだよ」

「なんでそんな役割みたいに……ツグヨってただの名前じゃないの?」

「ツグヨはね、依代よりしろって書くの。死んだ人や神様を降ろすための人間だから依代よりしろ。だから何代もかわりばんこにするんだよ。それで、次のツグヨが生まれたり、今のツグヨが死んだらやっとツグヨじゃなくなるの」


 とうとう椋伍は言葉に詰まった。信じたくない。だが聞かなければならない。薄気味の悪い冷えを振り払い、椋伍は問いを押し出した。


嫁巫女よめみこ様にも、ツグヨにもなれない人はどうすんの?」

「その時は早くにお嫁に行くか、むことりをするってツグヨちゃんが言ってたよ。ツグヨちゃんのお姉ちゃんも、そうだったって」

「……知らなかった」


 深く息が吐き出される。

 まさか、と椋伍は首を横に振る。

 まさか、村のように息の詰まる風習が自分の家系にもあるとは思ってもみなかったからだ。

 もう諦めるしかない。再び神隠市カクリシへ戻ってからというもの、あらゆる者に度々ちらつかされた「池内の血」などというセリフに、ただの家系ではない予感はしていた。


――生まれた時から見てきた母さんの名前が、そんな意味と読み方するなんて思わねーよ!!


 考えれば考えるほど嫌なぞわつきがおさまらない椋伍も「ねえ」というゆみの縋るような細い声に、項垂れていた顔を上げざるを得ない。


「ん? どしたの」


 心細そうに口を尖らせるゆみは、写真を大事に抱えたまま、


「お兄ちゃんは、ツグヨをやめさせられる?」


 と問いかけた。


「やめさせる? なんで?」

「ツグヨは仕事をするとボロボロになっちゃうの。降ろすのが神様だと、もう人に戻れないって。だからツグヨちゃん、どうせなら嫁巫女よめみこ様になりたかったってずっと言ってたの」

「はぁ……!?」


 驚愕に椋伍の声が上がり、口が大きく開く。


「そんなことになンの? え、人に戻れないって……死んじゃうとか?」

「心も体も壊れちゃうの。その後は遠くに行くってお母さんは言ってた」

「ゆ、ゆみちゃんが知ってるツグヨちゃんは?」

「村に何も起こらなかったから、普通の人間になってからいっちゃった」


 ゆみも一緒にいきたかったな。

 せつない響きに、途端にゆみが命を刈り取る悪霊であったことを思い出させる。

 ぐっしょりと濡れた衣服も髪の毛も、もうすっかりそういうものとして馴染んでしまっていたが、彼女も神隠市かくりよを彷徨う魂のひとつだ。

 椋伍はいたたまれない顔になりながら「どうだろう」と自信なさげにぽつりと呟く。


「今知った制度だから、やめられるものかどうかも分かんないし……。そんなにヤバいなら、オレもやめさせたいんだけどさ」


 言葉を切り、椋伍はもう一度ゆみと目を合わせた。彼女の大きな瞳が、不思議そうに見つめ返す。


「ゆみちゃん。それが心残りだったりする?」


 返事には間があった。心に問いかけているようにも見える彼女の揺れる瞳は、ややあって瞬きと首振りによって霞んだ。


「わかんない。でももう、ツグヨちゃんのお家の女の子が、ツグヨちゃんにならないといいなって思う」

「……。そっか」


 もう答えは決まったようなものだ。だがそこから椋伍は、はた、ととある話に思考が戻った。

 直弥が神隠市カクリシで椋伍と合流した時。ユリカからの伝言で、とんでもない事を言っていたはずだ。たしか、


――まず、生贄として集められてんのが、前田商店の前田ばあちゃん、俺の親父、ハジメ、是山さんちの小坊のガキと、椋伍のお父さん


 脳裏によみがえったセリフに、ぎくりとする。

 道具としては、神主さんとユリカの遺骨が揃えられていると続けられたが、肝心の人物の名前が挙がっていない。


「母さんはどうなった?」


 一緒に捕らわれたはずの、ツグヨの名前がなかった。


菖蒲アヤメさんは、ユリカさんを堕とすための儀式だって言ってたけど、もしかして……母さんは神降ろしをさせられそうになってる?」


 だとすれば、椋伍もやっと菖蒲の怒りように納得がいった。口を押さえて仮説を立てていく。


「ダイゴは自分の指……血肉を無理やり食わせて井戸神様を堕とした。また同じ手を使うとしたら? 母さんを利用するとしたら?」


――愛する愚妹の尻拭いなど、昔はできなかった。これが最後だろうからこのまま任されたい


 別れるまでのほんのひと時。ユリカが椋伍へ向けて言った言葉が、ドク、ドク、と椋伍の心音を荒くする。


「菖蒲さんを母さんが降ろして、母さんごと菖蒲さんが殺されたら? 生贄にされた関係ない人達まで殺されたら? それで自分の分身ほねを汚されたら? ユリカさんはそれでも、オレが知ってる神様ユリカさんでいてくれる……?」


 椋伍の塩の力がユリカの知るところになるまで、ずっと彼女は村人の魂を壊し続けていた。それもやむにやまれず、といった様子で。

 だって出会ったばかりの椋伍に言ったのだ。「私の今後が劇的に変わる」と。

 そこまで心を砕いて守ってきた村人に、一度ならず二度までも妹に手をかけられたらどうなるか。しかも今の菖蒲は正気だ。現代人に手をかけたことを悔やんでいる言動も、ややあった。今ならば、ほぼ無抵抗で村人に嬲り殺されるかもしれない。

 ユリカはそんな時でも「愚妹」の最期を、心穏やかに見届けることができるだろうか。

 それに――と、次々湧き上がる仮説の果て、椋伍はある結論に思わず口から手を離してボソリ、


「そっちが大本命で、ダイゴは泉や沼なんて、どう転んでも良かった……?」


 そうこぼすまでに、長く沈黙してしまっていたのだろう。


「お兄ちゃん?」


 知らず冷や汗を流していた椋伍を案じるように、ゆみが小首を傾げて見上げる。

 椋伍はカラカラになった喉で「ごめん」と絞り出した。


「さっきの、ツグヨのこと。なんとかしてみる。どうなるかわかんないから、あんまり期待しないで待ってて。オレ、行かないと」

「うん」


 まとまりがないセリフにも、律儀にゆみは頷いてみせた。その目はまるっきり椋伍を信じており、自分の分身が諸悪の根源になっている今の椋伍には、痛みを伴うほどの真っ直ぐさだった。


「一応聞くけど」


 部屋から離れようと背を向けた椋伍は、振り返る体勢でゆみへ声を投げる。


「塩、浴びとく?」


 ゆみは目を瞬かせて、にこり、と大人びた微笑みを返した。


「ううん、まだいい。気がすんだら会いにいくね」

「わかった」


 ゆみはここに留まるのだろう。庭から布団を叩くような音が響いている。

 椋伍は優しい思い出が残る家屋から出て、玄関から門まで伸びるツツジの並木を通ると、とうとう誰ともすれ違うことなく、その敷地から出た。


「アァ!? マジで居やがった!!」

「んえ? 痛ァ!?」


 セピアの景色がスっと引き、瞬きを一度しただけで椋伍の視界へ彩は戻った。

 同時に飛び込む馴染みの荒々しい声と、バシン! という肩への打撃に悲鳴をあげる。


「え、直弥!? と、菖蒲アヤメさん、夢月ムツキさんまで。何してんですか、こんなとこで」

「それは、こっちの、セリフだわバカタレが!!」


 木々に囲まれた廃屋前。やあ、と手を挙げて挨拶する夢月と、すまし顔で迎えた菖蒲、そしてヅン、ヅン、と椋伍の右肩へ指を差し込み攻撃する直弥に驚きながら椋伍が問いかけると、


「枯れ沼の様子が落ち着いたようだったから、入ってみたの」


 菖蒲が袖に手を隠しながらそう応えた。


「いつまでも戻ってこねェから来たっつーのに、脳天気な顔晒しやがって」

「ゴメンって。とりあえず核になってた箱四つ、全部塩かけたから大丈夫。あとは神様が戻ってきてくれたら一発で穢れとはオサラバ……と思いたいんだけど」

「ア? よく分かんねえ上に、歯切れ悪ィ。何か問題あンのか?」

「問題っていうか、夢月ムツキさんにちょっと文句言いたいって言うか」

「ん? 俺?」


 遠くから聞こえるカラスの声に耳を傾けていた夢月が、ついっと椋伍を見て首を傾げるのに、椋伍は目をじとりとさせ、


「そもそもの原因、夢月さんですからね? 神様にお酒の一本でもそなえてくださいよ」

「えー?」

「えー、じゃないです。夢月さん、ホントは泉の神様のことも、沼の神様のこともんじゃないですか?」

「んー……」

「待って。ねえ、どういうこと?」


 含み笑いを始めた夢月に、椋伍のただの憶測が核心へと変わる。話が読めない菖蒲も不穏な気配を察知して、夢月を問い詰める姿勢になる。直弥も分からないなりに、敵意を隠さない目付きをしていた。

 椋伍はもう一度、今度は諦めたようにため息をついた。


「石碑にも塩、かけときました。どう転ぶか分かんないですけど、オレ自身は一旦は終わりだと思ってます。かどうかもわからないです。オレとしては、夢月さんの方からも何かしらお詫びでもしてもらえたら、すごく助かります」

「それ、俺に利点があるかな?」

「ユリカさんと一緒にこの先も永くあの村に残りたいなら、やってて損はないんじゃないですか? 夢月さんも一度神様になった事があるなら、ご近所付き合いは大事でしょうし。ま、それもあっちの神様次第ですけど」

「ふぅん」


 オーロラ色のサングラス越しに、群青の目がついっと細められる。椋伍はそれを嫌そうに見つめ返すと、


「菖蒲さんも、それでいいですね?」


 と険しい表情を夢月に向けていた菖蒲へ向き直った。一瞬、彼女は目を見開き、


「何故私に言うのよ」

「許す許さないを決めるのは、向こうの神様だからです。大体は察してくれてると思うんですけど、これからオレは、さっきあった事全部、順番に話していきます。けど菖蒲さん、絶対怒るでしょ? 夢月さんはそういうのメンドくさがるタイプだと思うから、今のうちに喧嘩しないってオレと約束してください」

「……」

「そうじゃないと、鎮まるものも鎮まらないです」

「……。わかったわ」


 忌々しげに夢月を睨みつけてから、ため息混じりに菖蒲は頷いた。


「その代わり、事細かに話しなさい。お前が何故そうまで言うのか、何故そう気が立っているのかも知りたいわ」


 ただ事では無いんでしょう?

 菖蒲の言葉に、椋伍はゆみから聞いた「ツグヨ」の一件がずっしりと背中の辺りで重さを増すのを感じていた。

 ざあざあと風が木々を揺らしてうるさい。


「日が落ちる前に移動もしておくといいよ」


 夢月がにこやかに促すのに、椋伍は短く応えながら視線を上げる。

 まだ正午にもなっていなかったというのに、気づけば風は冷え、空はまるで夕方のように赤く染まっていた。

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