終わらせるために
一息で血の気が引き、椋伍は石碑から飛びず去った。焦りを抑えて周囲へ塩を撒く。
足場は出来た。だが急ごしらえだ。その証拠に椋伍が辿った道には既に腕の花が咲き乱れ、椋伍へ手招きをしている。
一面の腕、腕、腕。椋伍と石碑の周りだけ何もなかった。
「違う、関係ないはずない」
椋伍は狼狽えながらもはっきりと口にする。いつの間にか石碑に浮いていた顔面も蘇り、けたたましい笑い声を響かせ始めていた。
「石碑そのものが化け物みたいになってる。いや、発信源? 電波塔みたいなッアアーッちょっとこれヤバいって!!」
塩で確保した足場がじわりじわりと狭まっている。化け物の笑い声と同調している。椋伍を嬲るつもりであることがありありと分かる速度で、額にびっしりと脂汗が滲んだ。
「塩でやらないと。みんなダメになる……!!」
今の椋伍にはユリカの加護がある。その威力を
ここは神の土地なのだから、破壊をもって
それをしてきたが為に古の
「姉ちゃん……! オレに知恵をちょうだい、姉ちゃん!」
陣地を広げ直し、食卓塩の小瓶を両手で握り込む。塩の残りが少ない。そろそろ次を手にしなければ、咄嗟に身動きが取れないだろう。
椋伍がバッグから塩を二瓶取り出し残数を確認していると、突如。肩紐を引っ張られ、がくん、と膝を折った。
息が詰まるほどの重量感。
「何!?」
椋伍が悲鳴をあげて視線を走らせれば、水子が塩の円にじゅうじゅうと溶かされながらも手を伸ばし、バッグごと椋伍を沼へ引きずり込もうとしていた。
「うっぐぁあッああああ!!」
咄嗟に中身を掴んでひっくりかえす。死に物狂いで体をひねって肩紐をくぐり抜け、椋伍は九死に一生を得た。
どぷん、とショルダーバッグは枯れ沼に呑まれて消えてしまい、わさわさと腕の花畑が揺らめいている。まるで椋伍を嘲笑っているかのようだった。
「どうしよ……塩取られた……」
散乱する神隠市ノートと、自身の元となる紙切れ全五枚、僅かばかりの塩入りの小瓶。
泉に塩を振りかけた時よりも真っ青になりながら、椋伍は気泡を吐く地面を凝視し、呆然と呟いた。
ヤンキーのような見てくれはともかく、椋伍の中身は平凡な中学生男子である。
あの世のものと渡り合うには、塩がなけれれば始まらない。
「残りが二個半。これで地面清めて箱を探して振りかけなきゃいけない」
荷物をかき集め、崩れた体勢のまま椋伍はぐるりと見回す。取り囲む橋に異常はないが、枯れ沼から橋へと上がったところで、水子はどこからともなく椋伍へ飛びかかるだろう。塩を交えて去なすにしても、相手は無限に湧き出てくる。この残数では心もとない。
箱への道を最短で行かなければ、枯れ沼の亡霊はユリカの加護により、永遠に死ぬだろう。
「そうだ……ゆみちゃんは? まさか取り込まれて……!?」
「こっち」
どこからか小さくゆみの声がした。
「ゆみちゃん!? どこ!?」
叫び、周囲を隈なく見ていた椋伍の動きが止まる。
枯れ沼は窪地だ。中央へ向かうほど傾らかに深くなり、その深さは最大で五十センチほどになる。椋伍が立てば頭いくつ分も飛び抜かして橋脚とその向こうの景色――平地と広場の出入口がかすかに見えて、その出入口にゆみの姿はあった。
腕の群れにさえぎられ、その小さな体はよく見えないが合間から表情を読む。遠くから椋伍の様子を伺うように、だが楽観的な顔つきでじっと見つめていた。
「階段の下」
およそ聞こえるはずのない声量。だが椋伍の目と耳はしっかりとその言葉を拾い、導かれるままに橋の階段へずれる。
靴で土をえぐりながら駆け、塩で道を作り、腕を散らしてたどり着いた階段下。黒塗りの重箱のような箱が、上から覗き見ると八芒星の如く見えるように蓋がずらされ、安置されていた。中には粗く手縫いで繕われた人の形をしたぬいぐるみが入っている。
「……。あった。え、ウソあった!」
「まだあるよ」
「まだあンの!? 最悪じゃん!!」
チャチャッと塩を振ると、周辺の腕畑が瞬く間に剥げた。心做しか残りの腕も勢いが衰えて見え、椋伍は喜ぶやらうんざりするやらで声が跳ね上がる。
「ありがとう!! あと何個ありそう!?」
「三つ。ぜんぶ他の階段の下にあるよ」
「うそぉー遠いーッ!! くじけそう!! ゆみちゃんちょっと歌ってくれる!?」
「えっ……」
「ごめんね困らせて!! 冗談だから!! オレが歌いますから!!」
塩による浄化は、楽しい気持ちが肝になる。
ユリカの助言がこんな時に思い出され、そしてイマイチ活かせずに終わり、椋伍は石碑への斜面を滑り落ちるようにしながら駆け下りる。
「ようは気合い……気合いでなんとかなる……!!」
椋伍が先程塩をかけた箱の設置区域は、石碑のある極わずかな島と塩の道で繋がり続けている。今ならば急げば塩の節約をしつつ、他の箇所も回れそうだった。
「二個目見っけ!!」
甚平の裾を赤子の手に引っ張られそうになりつつ、椋伍は順調に時計回りに階段下へ行き、箱へ塩を振っていく。半分入っていた方の小瓶はとっくに空になり、今使っているものも、半分に届きそうだ。
「やっぱり中にひとりかくれんぼの人形が入ってる……? でも」
八芒星を崩すため、蓋を完全に閉じてからその場を離れて次へ向かいつつ、椋伍は思案する。
「ダイゴの奴、わざわざ水子がいる枯れ沼に来て、何を喚んだ箱置いてったんだろう」
この枯れ沼に神様はいない。他に曰くもない。
――たすけて たすけて
答えは三つ目への通りすがりに見つかった。数多の水子にしがみつかれ、沼へと引き込まれて苦しげな声を上げる女の亡霊がいた。それも一体だけではない。所々にもがくような大人の女の腕がちらついたり、石碑から悲鳴があがったりしている。
――お母さんじゃない わたしは お母さんじゃない !
「あの野郎」
三つ目の箱に荒々しく塩をかけ、バン、と蓋を閉めると、椋伍は歯を剥き出しにして怒った。
「無関係な浮遊霊宛てがいやがったな。水子の餌にするために……!」
この地に縛られた水子に、本当の安寧は与えられない。途方もなく永い間、寂しさ無念さを、誰かに埋めてもらいたがっている。
その穴を埋めるために見当違いのものを無理やり当てはめたところで、不幸なもの達はどうしたって幸せにはなれない。こうして悲しい化け物が生まれるだけだ。
「ダイゴ」
湧き上がる怒りのまま、椋伍は最後の階段下へ向かう。
「ダイゴ……ダイゴ、ダイゴ……!!」
こんな事までして、コヨリを呼び戻したいのだろうか。こんな事までして、あの頃を取り戻したいのだろうか。
胸を掻きむしりたくなるような憤怒の感情に、椋伍は歯茎から血が出そうだった。
「テメーの好きにはさせねーぞ。時任コヨリはあの日、あの場所で、死んだンだろうが!!」
四つ目の箱は手早く蓋を外し、塩を振り、壊れんばかりに蓋を叩きつけた刹那、波が引くように腕の群れが光を帯びて消し飛んだ。
塩の残りは一本。
肩をいからせ、息を乱して走る椋伍の行く手を阻むものは、もういない。
腕が消え失せた窪地を、砂をまきあげながらずんずんと進み、泣き声と悲鳴、哂い声で混沌とした
「豊かで、悲しくて、残酷な場所に縛られてるひとたちが、これからは」
塩が落ちる間、目の縁から怒りを鎮めて椋伍は言葉を紡ぐ。
「安らかに過ごせますように」
不条理に晒され、呑まれ、自身も不条理の源となってしまった亡霊への鎮魂の祈りだ。届かない可能性など考えない。ただ祈りたいから紡ぐだけ。椋伍はさらにひとつ言い添える。
「虐げられた神様も、ゆっくり休めますように」
――ここに居たのは多分、泉の神様だ
椋伍は数々の事柄からそう結論づけた。
元は沼にいた神様は、
もしもその神様が今、安らぎを求めているのならば。本来の土地である、枯れ沼へ帰りたがっているのならば。椋伍にできることはひとつだけ。
最後の一粒が落ちる頃には、石碑は元の物言わぬ石に戻っていた。重苦しい空気は軽くなったが、僅かに忌み地の残り香を滲ませている。
心情からくるものかどうかは、今の椋伍には分からない。再びダイゴへの怒りで吊り上がりそうになる目尻と、迫り上がる臓腑を強い吐息として吐き出して抑えると、彼はニッと笑ってゆみのいる方へ振り返った。
「お待たせ、ゆみちゃん。終わったよ」
終わりと言ったら終わり。
椋伍が大丈夫と言えば、大丈夫。
なにせ慕ってやまない彼の姉が、生前そう言っていたのだから。
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