紙面の想い

 白とライトブラウンを基調とした少女の部屋に、とある日の椋伍は居た。

 新聞の折り込みに入っているようなチラシの裏を何枚も折りたたんで冊子にしており、白も黄色も入り交じっていることには気にもとめず、そのザラついた紙面へ一心不乱にか何やら書き続けている。


「りょうちゃん、ここにいたのね」


 様子を伺うように開いたドアからは、安堵の表情の姉がそう言って姿を見せた。

  耳のあたりに二つ結びにした黒髪に、椋伍よりはいくらか優しく垂れた目。アイボリー色をした半そでのツーピース姿の彼女は、おやつのドーナツとオレンジジュースが乗ったおぼんを手に、腹ばいになっている幼い弟の傍らに膝をつく。


「あら、お勉強?」

「とらのまき作ってるの」

「ふうん。この前までお姉ちゃんの絵本読んでたのにすごいねえ」

「おれ、もうそつえんしたもん」

「あらま、おれなんて言っちゃって。お姉ちゃんの本はお役に立ててる?」


 虎の巻のそばに広げられている馴染みのある手記数冊を一瞥し、姉が微笑まし気に問いかけると、椋伍はふんふん、と鼻で息を強く吹き威張った様子で、


「大だすかり。おばちゃんと学校できいたはなし、書き方が分からなかったから」

「そっか。……ねえ、りょうちゃん。それを作ってどうするの? 何か困ったことがあった?」

「えっ……と。お手伝いするから」

「お手伝い?」


  言い淀んだのは、照れくささからか。小さな口をもごつかせ、上目遣いで視線を寄越しつつ椋伍は「おねえちゃんのお手伝い」と告げた。


「わたしの? お手伝いしてくれるの?」

「うん。世の中ぶっそうだから、おれがおねえちゃんをたすけてあげる。おばけでこまったら、たよっていいよ」

「りょうちゃん」


 なんと愛らしい事か。じんとした顔で姉が「ありがとう」と零せば、小さくまろい顔はふいっと紙面へ向いた。


「だからおれも、いっぱい書かないといけないの。おねえちゃんみたいに」

「おやつも食べずに?」

「え……?  おやつは食べるよ……?」

「ふふっ。ごめんごめん、そんなに悲しいお顔しないで。お姉ちゃんと一緒に頂こうね」


  焦った様子で体を起こし、姉から受け取ったおしぼりで手を拭くと、椋伍はようやくドーナツにありついた。 時々口や頬についた欠片を姉に取ってもらいながら、ふと大きな目が姉の手記の山へと向く。


「どうしたの?」

「うん……おねえちゃんは、なんでこんなにいっぱい本かいたの? おしごと?」

「おうちのことも関係があるけど、そうだね……夢が……」

「ゆめ?」


  椋伍が見上げた姉の横顔が、僅かに翳る。 わずかにぼんやりとなった口調と、止まった言葉に「おねえちゃん?」と声がかかる。


「同じ夢が何度も繰り返されるの。大事な何かがあったことだけ覚えていて、どうして助けられなかったんだろうって悲しくなるの。あの頃よりも村は悪くなってるから、なんとかしたくて」

「だいじな何かって?」

「……」


 姉が答えなくなった。部屋のカーペットの端を見ているようで、目はうつろだった。椋伍はわずかに考えて、手記の一冊を手にして指し示す。


「このひと?」


  とある曰くのある地の話が、姉の字でつづられているそのページ。見やすいように傾けて、姉の顔色を椋伍がうかがうと、つっと姉が手記に顔を近づけてわずかに疲れをにじませた。


「ああ、そこも綺麗にしないと。沼は命が始まる場所だから、そこの神様にも戻ってきていただかないと」

「おねえちゃんのだいじななにかも、ここにある?」

「ううん、いないよ。もう名前も呼んでもらえないひとなの」

「ゆくえふめい?」

「そう、行方不明」

「じゃあいっしょにさがすよ」

「……。え?」


 姉の目に光が差した。

 椋伍はうんうん頷き、手記を左右に揺らしながら安心させるかのようにきりっとして見せると、


「おれもいっしょならぜったいみつかるよ。わるいことがおきても、おれがしおでジュッてしてあげる」

「……」

「ぜったいだいじょうぶだよ」

「……。そっか」


 ようやく姉に芯が戻る。いつもの調子で「ふふ」と笑うと、まぶしそうに目を細めて弟を見て笑いかけた。


「そうだね。りょうちゃんが大丈夫って言うならお姉ちゃん、もう怖いものなんてないよ」


――ピピピピピ!


  くん、と引っ張り起こされるかのような浮遊感と共に、椋伍は目覚めた。

  懐かしい記憶の余韻をかき消すように、枕もとの携帯電話のアラームがけたたましく鳴り響いている。 仰向けから一転、唸りながらそれを止めると、椋伍は誰ともなしに「もう、何?」と文句を言い、布団にしがみついたまま周囲を見回した。


「朝」


 ばたり、と枕に顔を埋めた衝撃的で、ガサッと乾いた音が鳴った。枕下をまさぐれば、忌まわしい記憶を呼び起こさせる紙切れがあり、陰鬱としたため息が椋伍の口から深く漏れる。

 こっくりさんの用紙。直弥に手渡されたその数枚は、それぞれ年月が違うのだろう。一番古いものから徐々に、年齢を上げた文字格好になっていた。


「これのおかげで、見れたのかな」


――姉ちゃんのあんな様子、オレは知らない


 胸の内に広がった言葉に眉を寄せ、またため息を漏らす。

 ダイゴが知っていて、椋伍が知らない自分自身とその周囲の記憶。甘ったれた自身を嫌ったダイゴならば、姉の苦悩も不穏な気配も察せられなかった当時の自分を恨まなかったはずはない。

 大口を叩いてあの悲劇が起きたのだ。死んで欲しい自分に違いなかった。


「だからって何でもかんでもポイポイ捨ててんじゃねーよ、バカ」


 届くはずもない悪態をつくと、ゆっくりと椋伍は身を起こした。


「あー……肩痛ァ……。ユリカさんと菖蒲さんのこと考えてたらついつい塩作りが捗っちゃったんだよな」


――あの二人のことも、なんとかいい方向にいかないかな


 見慣れない和室に椋伍の声がひやりと溶ける。

 結局あの姉妹は、互いの意見を尊重し合って最期を迎えようとするのだろう。

 椋伍の塩に託すか、ユリカが手ずから死を与えるかはさておき。

 ただ彼女たちが主張する幕引きにどうにもすっきりとしない気持ちを、椋伍は抱えていた。もっと悲愴にならない最期はないものか。どうにも悩ましく、やはり結論は出ない。またため息をついて、椋伍は厚みのある羽毛布団から抜け出した。

 天龍邸の客室は旅館さながらの風体だった。小綺麗で、物がいちいち良い。置かれている壺の値段など彼は知りもしないが、ここにある全てがそれらしく見えるのだ。高いのだろう。

 椋伍は布団の頭側にある広縁ひろえんへの障子を一息に開いた。

 テーブルには大量の小瓶に入った塩と、神隠市ノートが置かれている。

 

「これ片付けなきゃ」


 何もかもにうんざりしそうな一日である。ひとまず朝日を求めた彼がカーテンに手をかけた時だ。


「椋伍!!」

「ウオァ?!」


 ガチャンッバンッスパンッと外扉と襖が勢いよく開けられ、直弥が叫びと共に押し入った。物々しさに悲鳴をあげた椋伍は、飛び上がって固まったまま情けなく喚く。


「何!?」

「アァ!? テメェぼんやりし腐って……まだ見てねーのか!?」

「な、何を?」


 椋伍の反応にズンズンと歩を進め、布団を踏み、広縁のカーテンをジャッと開くと、直弥は空を指さして言う。


「太陽が西から昇った」



「東と西と市街地には異常なし。主に南と北に異常がみられています」


 所変わって応接室。ホワイトボードに四方の山と名前を描いた家教イエノリは、目の前の座布団に座る椋伍、直弥、菖蒲に淡々と状況を語った。

 夢月は日が昇るより早くに異常を察知したそうで、彼らが家教の元に行くより先に話をすると「じゃあ、俺は朝餉を頂いてこようかな」とゆったり言って食堂へと向かったらしい。

 椋伍は寝癖を整え、これから持たされる握り飯に期待をしつつ家教の話の続きを待った。


「特に枯れ沼一帯が激しく、人であったことを忘れて彷徨う方々が水子に誘い込まれひしめいている状況です」

「ダイゴの奴、泉と同じ式を使って箱を置いたのでしょうね。本当に小癪な真似をしてくれるわ」

「そうでしょうね。これほどの規模の騒ぎは、箱でなければまず無理でしょう。神をおとすのも手ですが、ようはそれだけ多くの穢れを呼び込めさえすれば神隠市カクリシのバランスは崩せます」

「……姉様は、やっぱりまだ居ないわよね」

「はい」

「そうよね。来ていたならとっくにどうにかなっているものね。――ごめんなさい、続けて」

「はい。現在枯れ沼の対応には、我々の式があたっていますが、歴史が古いこともあり数が多く浄化が間に合いません。外へ漏れ出さないようにするのに精一杯です」

「はい、神主さん」

「なんでしょう、椋伍さん」

「じゃあ外からも増えるし、中でも出入口にびっしり?」

「ええ」

「ヤダな」

「式を通して塩をかけようにも、核に近づけません。椋伍さんの塩とセンスがあれば、あるいは」

「オレのセンス?」


 口の中で繰り返す椋伍を、左右から直弥と菖蒲が見つめる。家教は困ったように、だが答えが決まっているかのように淡々と続ける。


「ただのご利益ですから、椋伍さんの言霊であったり想いがなければ強い効果は見込めません。聞けば菖蒲様と対峙された際に、同時期に暴れていた別の核を赤子とみなし、産湯とみたてた塩水で清めたとか」

「あー……あの時はあれしかないかなって」

「同じ手を真似ようとしても、我々には出来ませんでした。何かが欠けています。その何かは貴方が持っています」

「神隠市ノート」

「ただのノートではありません。貴方の言霊がのせられたノートです。貴方が真摯に向き合って紡いだ言葉であればあるほど、それは曰くに打撃を与えます。塩をかける時も同じです。我々はただ、その力の僅かなお零れに預かることしかできない。願いは貴方ほどは届きません」

「……大丈夫か?」


 椋伍が俯くと、左から直弥が覗き込む。

 

「マジで明らかにアブネーの、どうにかできンのか?」


 期待ではなく純粋に心配しているのだ。椋伍はゆっくりと考えを巡らせ、やがて右を見てからこくりと頷いた。


「できる。菖蒲さんもどうにかなったから」

「ああ……居たな、実例が」

「ね?」

「何よその目は。祟るわよ」

「では決まりですね」


 安堵の笑みで家教は手を擦り合わせる。


「枯れ沼の周辺の異変は、市街地に流れ込まないよう我々が堰き止めます。椋伍さんにはダイゴさんが設置した箱――恐らくそれが核ですので、それを探し、塩で清めて頂きたいと思います。ただ難しい土地です。土地の穢れごと落とす心積りで向かわれてください。ご無理はなさらず。残穢であれば従来通り、時間をかけて我々が対処いたします」

「あの、ちょっといいですか」

「はい」


 椋伍が控えめに挙げた手に、家教が首を傾げつつ促す。


「その前にやりたいことがあります」

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