縁あるもの

 椋伍の手で広げられた紙は、ざらざらとした質感のチラシのようだった。

 その五枚ある内の一枚に、彼の視線は釘付けになる。

 電気屋の宣伝が書かれた黄色い紙の裏に、幼い頃の椋伍が黒いマーカーで書き連ねた文字。

 「はい」と「いいえ」、それに挟まれている鳥居のマーク。その下には五十音が拙い文字で書き連ねられており、嫌でも掠める光景に椋伍は苦悶の表情を浮かべた。


「こっくりさんをしたんですよ」


 不思議そうな顔で向かいの席から紙を眺めていた菖蒲に、椋伍はぽつぽつと告げる。


「井戸神様が穢れたままだと、悪いことが起きるから。あと、井戸神様を怒らせた代償を姉ちゃんが魂の一部で払ったから。……一緒に駄目になるのが怖かった」

「……。そう」

「それでこっくりさんに、井戸神様を綺麗にする方法を聞こうとしたら、なんか悪いの喚んじゃったみたいで。アヤメサマを呼ぶ方法をさせられて、その後も悪いのに付きまとわれて、最後には姉ちゃんは……」

「……私が、吹き飛ばしてしまえたら良かったのにね」


 菖蒲が伏せたまつ毛が僅かに影を差すのを、椋伍は見つめ返して首を横に振った。


「菖蒲さんはダメでしょ。ユリカさんの事があるんだから、他所のことに構っちゃダメです。それに、姉ちゃんとのことは終わったから。あとはもう、オレとダイゴが受け入れるだけなんですよ。――ね? 直弥」


 ビク、と直弥の肩が跳ねた。椋伍は笑って見せ、彼の背中をバシッと叩くと、


「しみったれた顔すんなってば! 姉ちゃん悲しむじゃん!」

「……。俺が井戸壊して汚ねーこと言ったから、お前もコヨリちゃんも巻き込んじまったんじゃねーか」

「ダイゴが何言っても耳なんか貸すな」

「ダイゴの言葉はお前の言葉でもあるだろ」

「いや、でもさあ」

「椋伍」


 改まった声に、椋伍は背が僅かに伸びた。

 直弥は椋伍から目を逸らさず、硬い表情で言い募る。


「もう一人のお前は、全部忘れたお前のことも、安らいでたお前のことも許せなくて、わざわざ体から切り離してんだよ。結果的に神隠市カクリシなんてとこに迷い込んじまってるけど、そんなお前のことも許してねェ。今度こそお前を殺そうとしてるし、今じゃ村の連中と徒党組んで生贄まで選んでる。……なあ、自分すら許せねェ程の罪悪感で狂った奴が、何で赤の他人を許せるんだよ?」


 言い終えて、深く直弥はため息をついた。そのまま目頭を抑え、俯いて項垂れてしまう。


「切り離しちゃいけなかったんだよ」


 椋伍は直弥のつむじを見つめながら、静かな声で告げた。


「姉ちゃんが死んだのは辛かった、苦しかった。井戸なんか行かなきゃ良かったって、多分ダイゴは何度も思ってる。オレがこっくりさんなんかしなきゃ良かったって、何度も思ったみたいに」

「……」

「受け入れられなくてどうしようもなくなって、周りの手を借りて――本当は忘れちゃいけなかったけど、周りがきっと辛かったからオレから記憶を一部切り離して変えた。見てられなかったんだ。だから思い出した時こそオレは、今度こそオレを受け入れなきゃいけなかったんだ」


 ぐっと椋伍は膝の上の拳に力を込める。


「ダイゴはそこから逃げた。逃げて周りのせいにしてるようにしか、オレには見えない。今アイツが言ってンのは、ただの責任の押しつけだ。直弥が聞く価値なんかない」

「いや、でも」

「井戸神様を怒らせたのを直弥だけのせいにしてるのに、オレは心底腹立ってる。直弥の加害者ヅラにも腹立ってる」

「えっ」

「オレも姉ちゃんもいいっつってんだから、いい加減その顔やめろや」


 眉間に皺を寄せ眼光を鋭くする椋伍に、今度こそ直弥は言葉を失った。


「謝罪なら十分貰ってるし、もういいから。そんな事するくらいなら、命日に元気な顔見せた方が、姉ちゃん安心するだろ。そういう人だろ、オレの姉ちゃんは」

「……ン」


 言葉尻とは裏腹に、椋伍の声は穏やかだった。

 鼻声で小さく頷く幼なじみから顔を逸らすと、話は終わりとばかりに椋伍は、再びゼリー菓子の個装に手をつけた。

 だが湿っぽい空気が散らない。

 次第に焦り始めて僅かにおろつき、


「あの、ごめん泣かせて」

「泣いてねェよ!!」

「すげー鼻すすってんじゃん」

「泣いてねェ!!」

「え、そんな怒らなくてもよくない……?」


 顔を背けて声をあらげるた直弥に戸惑いつつ、椋伍は少し笑った。

 それに気まずそうに直弥の姿勢がテーブルへと向き直る。僅かに目の縁が赤いが、それ以上椋伍は触れず「あー、その」と言う彼の言葉の続きを待った。


「ダイゴのやろうとしていることの説明と、いくつか伝言がある」

「伝言?」


 椋伍ばかりでなく、菖蒲からも声が上がった。夢月もオブラートを丸める作業をやめて、ちらりと視線を上げる。


「おう。遅くなっちまったけど、天龍センパイからの伝言。まずダイゴの事から順番に話した方がいいから、そっちと噛ませながら説明するわ。俺も逃げながらブツ切りで聞いただけだから、はっきり意味も分かってねえとこあるし」


 そこのところは勘弁してくれや、と直弥が僅かに息を整えるのに、椋伍も姿勢を正した。


「まず天龍センパイは、今は無事。ただ、ダイゴがやろうとしてる祭りだか儀式だかが外法だってさっき言ったけどよ、それのせいで存在が歪むかもしれねェらしい」

「具体的には? 奴は何をしようとしているの?」

「アァー……まず、生贄として集められてんのが、前田商店の前田ばあちゃん、俺の親父、ハジメ、是山さんちの小坊のガキと、椋伍のお父さん」

「え!?」


 声をひっくりかえし、目を剥いて椋伍は直弥を見つめ返す。


「……なんで父さん? 行方不明だったんじゃねーの? っていうか、生きてたの?」

「その辺が分からねえ。聞く暇もなかったから、落ち着いた頃にでも聞いたらいいんじゃねーの?」

「そっ……か」


 ごめん、続けて。

 促すものの、椋伍は混乱が解けていない顔をしている。直弥は一瞬気遣わしげな目をしたが、調子を戻して続けた。


「儀式で使われるものは主に二つ。そこにいる天龍神社の神主さんの遺骨と、天龍センパイの遺骨」

「なんですって?」


 ギラリと菖蒲の目が光った。


「生贄まで見繕って、その上姉様の遺骨を得体の知れない儀式で使うと言ったの?」

「アヤメサマ退治に使うんだろうって見立てだったぜ」

「……姉様がそう言ったの?」

「アァ。だから死んでもこれ以上堕ちるなってよ」


 やや間を置いて「酷なことを言うのね」と菖蒲はこぼし、前のめりになっていた体を落ち着かせた。


「だって、贄が何人もいて、遺骨も揃えるだなんて。どう考えても姉様を堕とす手法のように聞こえてならないわ。これを怒らずしてどうするのよ」

「お前の怒りは厄災に匹敵するのだから、落ち着いてもらわないとスミレも困るだろう。事実、お前の尻拭いを永年してきているのだから」

「うるさいわね」


 沈黙を貫いていた夢月が鼻で笑ってそう言うと、イライラとしながら菖蒲は言い返す。ただの勢い任せの言葉など痛くもないのだろう。彼は茶化すように肩を竦め、


「どうぞ」


 と続きを促した。


「おう。それで遺骨もあっちの手に渡ってるし、ダイゴが居るだろ? 空間も無理やり歪めて椋伍が神隠市入りしちまったし、オレの事逃がす時も大分無茶やったみたいでよ。村も神隠市も不安定すぎて、いつ死人やら化け物やらで溢れかえるか分からねえから、おちおちセンパイも動けねェらしい。最悪、行き来した瞬間、村も神隠市も混ざって戻らなくなるかもっつってたわ」

「それって、ダイゴがずっとやろうとしてることじゃん。クソ野郎かよ」


 ああ、まあ。と直弥が僅かに歯切れが悪くなる。椋伍がダイゴと同一だと力説した手前だろうか。複雑そうな顔をしまって、彼は言う。


「まあ、だからよ。儀式止めなきゃならねえし、椋伍が肉体取り戻してくれたらなお良しってのが現状。その為にやって欲しいのが、神隠市カクリシの泉と沼の調査」


――泉と沼を調べろ。ダイゴなら必ずそうしている


「割と大事な伝言のひとつがコレ。理由もなにも聞くんじゃねーぞ。ヒマがなかったからな、俺にも分からねェ。次に、椋伍」

「んえ?」


――井戸か、それに見立てた儀式で呼べ


「……。どういうこと?」

「会話がしたいっつってたぜ」

「井戸に見立てた儀式ってなに?」

「知らねーよ。ノートにでも書いてあんだろ、オメーのことだから」

「そっか、後で見てみる」

「そうしろそうしろ。で、次にアヤメサマ」


――さいごを選べ


「……。どういう意味?」


 尋ねたのは椋伍だ。どきりとし、首の当たりを一度撫でてから、しかし動揺を隠せない様子の彼に、直弥はやはり「知らねェ」と返す。


「俺はただ、妹に会ったら必ず伝えろって言われただけだから。アンタら姉妹なんだろ? もし分からねーなら、椋伍に頼んで意味聞いてもらえよ」

「いいえ、結構よ」


 終始、菖蒲は穏やかな目をしていた。

 棘も何も無い言葉の通りの表情のまま、彼女は僅かに微笑む。


「大丈夫。ちゃんと分かっているわ。他ならぬ姉様の頼みだもの」

「菖蒲さん……? ホントに大丈夫ですか? その、色々と」

「ええ。祟った手前偉そうなことは言えないけれど、これでも私、姉様の妹なのよ。自分がどうすべきか分かっているし、そうするつもりよ」


 椋伍を安心させるように細められた目に、他ならぬ椋伍が不安をかきたてられる顔になっていく。


――もしも私が狂ったら、それ以上恥を晒さぬようお前が私を殺しなさい


 彼の脳裏に、泉での菖蒲の言葉が蘇っていた。

 どこまでいっても彼女は天龍菫ユリカの妹なのだ。


――芯が強いところがあるから、菖蒲さんはユリカさんがあんな死に方したのが許せなかった。あの時受け入れられなかったから、今は受け入れようとしてるんだろうけど。


 一旦椋伍の思考が止まる。


――もし、菖蒲さんの頼み事が現実になったら、オレも腹を括らなきゃいけない。やれるか、やれないかなんてとっくに過ぎてる。だからこそ、怖い。


 やがてのろりと動いた脳みそに、椋伍はひたすらに首の後ろのざわつきと、手のひらの気色の悪い汗を感じていた。

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