残影

「こんな急にマルっとなくなることある? 十二階建てのマンションがさ」


 呆然としながらぽつぽつと漏らす椋伍リョウゴの横で、菖蒲アヤメはトト、と軽い指さばきでスマホを操作していた。

 「無視しないで」「菖蒲アヤメさんもケータイじゃなくてスマホ派なんですね」と懸命に話しかけるが、随分前に一瞥したきり返事がない。


――ダメだ。オレが調子いいこと言ったからかも。ケガと疲労で余裕ないだろうし


 申し訳なさから椋伍が「神社のホームページ伝てに神主さんに電話できるかやってみます」と小さく言い、ふらふらと距離を取ろうとすると、ふいに菖蒲の顔がスマホの画面から上がった。


家教イエノリの番号と神社の番号、控えてるわよ。これから電話するところ。お前の宿も必要かしら?」

「マジですか!? か、神様!! おねがいしますありがとうございます!!」


 そうして暗がりで響く呼出音。椋伍は胸のあたりで十字をきる真似をして合掌し、冷めた目で見る菖蒲に耐える。

 そして微かにスピーカーから漏れ聞こえた「もしもし」に大きく両手を突き上げた。


「時任の家がないの。衣食住に困ったから用意してくれない?」

「――」

「……。ありがとう。よろしく頼むわ」


 ツー、ツー。

 通話が切れて、晴れ晴れとした様子の椋伍と顔を合わせた菖蒲は、釈然としない面持ちだった。


「……いいんですって。家教イエノリが手配したタクシーが来るわ」

「え、なんでちょっと不満げなんですか?」

「不満というか、なんというか。まあ、気のせいならいいの」

「ふーん。あっ、途中でコンビニ寄っていいですか? 塩ないと落ち着かないンで」

「お前も大概マイペースよね」


 呆れの中に残る僅かなひっかかりに、椋伍は気づいたのか気づいていないのか。

 退屈そうにスマホを撫ではじめた彼女の横顔をちらりと見て、椋伍は目が合うとニカっと笑い返し肩を並べると、夜の住宅街の中で青白く光る街灯の下で、今か今かと迎えを待った。


「お疲れ様です」


 二人がタクシーからおりると、ほつほつと柔らかい橙の明かりが灯る境内まで、家教は出迎えのために出ていた。

 二人が門をくぐると、しゃくしゃくと歩み寄り、


「本当に、大変な思いをなさったご様子で……。さ、お風呂もあります。どうぞお使いくださ――」

「はァッ!!」

「えぇええ!?」


 いきなり菖蒲がその左頬に殴り掛かった。

 バチン、と手のひらで拳を受け止めた家教が何か紡ぐ前に、


「塩!!」

「ハイ!!」


 ザザザ!!

 短いやり取りを瞬発的に交わし、椋伍は訳も分かっていない中、家教ナニカに食卓塩の小瓶を振る。

 すると、みるみるうちにじゅわぁ、と家教の顔面が溶け、溶けた下から別の男――夢月ムツキの顔と青い瞳がにぃ、と笑っているのが覗いた。


「うわぁああ!? 神主さんッ!!」

「あー、痛い痛い、ははっ」

「何笑ってんですか!! チクショウッ、バカ!! 神主さん返してくださいよッ!!」

「このゴミクズ……!!」

「はいはい、分かりました。こんなブ男、何人だって返してやるから騒ぐな騒ぐな」


 「どこがブオトコだよ!!」と半泣きになる椋伍と、こめかみに血管を浮かせている菖蒲の目の前で、男は肩を竦めて見せると、ぐうっと腹をせり上げ――おえっとえずいた。

 ずるん、とまるで液体のように、口から家教が吐き出される。

 すぐさま椋伍が塩で円を描き、夢月を閉じ込めた。

 咳き込んでいた家教も応えるように、右手の人差し指と中指を立てて何事かほそほそと唱えると、円が激しく光を放つ。

 うっすらと光量が弱まり、落ち着き「あー、これ。塩が強いな」と面白そうに夢月が言うのを見届けると、再び家教が激しく咳き込んだ。

 

「ゲホッゲホッ」

「神主さん!! 大丈夫ですか!? しお、塩かけますから!! しっかり!!」


 言いつつ椋伍が振った塩を追いかけるように、家教にまとわりついた黒い穢れた粘液がじゅわじゅわと溶けだす。やがてその穢れは跡形もなく消え失せた。

 家教も瞬く間に咳き込む数が減り、呼吸が落ち着いていく。

 それを、すっかり元の姿に戻った夢月はオーロラ色のサングラスをかけながら感心したように眺めていた。


「申し訳ありません」


 ややあって、座り込んだまま家教は言った。


「何がどうしてこうなったの?」

「廊下を歩いていると声をかけられ、振り返った時には、そう、黒い何かに覆いかぶさられて……? その先はよく覚えておりません。気がつけば今こうしてこちらに」

「呑み込んで乗っ取ったからね」

「クソ野郎」

「よく吠えるな。鞠にして遊んでやろうか」

「本当に根性がねじ曲がった男」


 兄と妹の罵倒の応酬は止まらない。

 菖蒲は家教の話をかがんで聞いていた体をゆっくりと起こし、夢月を睨みつけて更に激しく言い返した。


「今度は何が目的でこんな所まで来たの? 大人しくダイゴの所へ帰れば?」

「俺は最初から最後まで一貫している。スミレに会いたい」

「そんなの、姉様が不幸になるでしょう。お前が居た場所は皆災いが降りかかった。姉様だって一緒よ。お前がいるから姉様がなったんだ!!」

「ちょ、ちょっと菖蒲さんそれ言い過ぎ――」

「契約してみてはいかがでしょう」


 椋伍が、まろい頬を怒りで赤くし始めた彼女を止めようと、家教の背をさすっていた手でその手をつかもうと伸ばした時、家教がそう提案した。


「契約?」

「人に危害を加えないよう、いくつか約束をさせるのです。尤も、そもそもが応じてもらえるかにかかっておりますが」

「無理よ。三年もすれば別の土地に引っ越してたような移り気な奴よ。信用ならないわ」

「一時の勢いってあるよね」

「うるさい」

「ですが、椋伍さんであれば」

「あ……」


 サングラスを下げ、茶化していた夢月の笑みが深まった。

 事情を知らなければ様になりそうなソレを、菖蒲が虫けらをみるような目で見やって罵倒していると、一気に椋伍へと視線が集中する。


「え、何の契約します?」

「見本をお持ちします」

「がっちがちに縛った内容にしましょ」

「待って待ってオレ難しい文章書くの無理だし、オレが理解してなきゃむりだし、そもそもここにある本って巻物とかでしょ!? 読めませんって!! っていうか、契約が分かんない!!」


 ぶんぶんと首を横にふる椋伍の肩を掴んで、晴れ晴れしく菖蒲は笑う。


「補助するから」

「怖い!! ヤバい契約書作らされそう!! お願いだから口でゆって!!」

「別に怖くないわよ。ちょっと刺がある鎖で雁字搦めにする感じよ。そういうのを想像してくれたらいいの」

「ええ……痛そう。てゆーか内容、ユリカさんのことを不幸にしません、とかしか思いつかないんですけど?」

「結婚か? もっと他にもあるでしょ? それをいっぱい書け」

「見本をご用意しました」

「やっぱり巻物じゃん!!」

「んー、早く書いてくれないか」


 言い募る菖蒲、式神を呼び書物を持ってこさせる家教、飽き始めた夢月に囲まれて、椋伍の契約書作りはこうして始まった。


「オレ、かっこ、時任椋伍トキトウ リョウゴの関係者に危害を加えないこと」


 出だしはこれだ。

 次に、軽率に人を殺めないこと。

 みだりに人を襲わないこと。

 やたらめったら女の子を誘惑したりせず、必ず許可をとること。

 ユリカさんの許可なく、やたらとユリカさんに触らないこと。

 許可なく建物や人を爆発させないこと。

 地獄ツアーは安全に、必ず椋伍の許可を得てからにすること。なおこれに関しては、他人の生死が関わるようならば緊急で執り行ってもよい。


 読み上げて椋伍が顔を上げると、家教は苦笑いし、菖蒲は額をおさえていた。


「なんでこんな、子どもが書いたような出来になるの……?」

「だからオレ十三歳なんだってば」

「ん、まあいい。呑んであげよう。ただ」


 契約相手の夢月はそれまで楽しそうに内容を繰り返し読んでいたが、じわり、と空気に緊張を差し込む。


「一文付け加えて欲しい。これがないなら、俺は君をどんな手を使ってでも殺しに行く」

「いちぶん」

「そう。簡単で簡潔な文言だ。それは――『手を貸すのは気分次第』」

「はァ? いらないでしょう、そんなモノ!! なんで急にそんな内容が出て――」

「えっ、気分によっては助けてくれるんですか?」

「ん?」


 菖蒲が夢月に噛み付いている間、ぽかんとしていた椋伍はそう聞き返し、時が止まった。

 夢月も僅かに目を見開き、微かに頬を上げ笑うようにして固まっている。


「そうだけど、そうじゃないでしょ!? どうしてそんなに前向きに考えられるのよ」

「え? 違うんですか?」

「……。とりあえず、書くのか書かないのか決めようか。俺が君の方につくか否かもそれで決まるだろう?」

「全然いいですよ!」

「え!?」

「なっ……椋伍さん! そんな気軽に……」

「……」

 わなわなと口をふるわせる菖蒲をちらりと見て、


「書くでしょ。だって、そのたったひとつでほかの条件をのむくらいには、ユリカさんの事が大事なんですよね? 危害を加えなくて、しかもユリカさんの幸せを願ってくれるなら、オレは書きます」

 

――忘れるな


 彼女がヒトだった頃の今際の際。

 己を疎んでいた村人へ向けて、妹である菖蒲が秘めた暴力性を警告しようとしたものの、それすらも聞いては貰えず、ひとりひっそりと彼女は死んだ。

 彼女こそ「アヤメサマ」すら越える大怨霊になり得ただろうに、そちらの道は選ばなかったのだという。

 神隠市に迷い込んだ村人を救おうと駆け回り、それでも蔑まれ、救えず、壊して救うことを選び、その果てに塩で救う椋伍と出会ったのだ。


「どんな気持ちで生きて亡くなったのか。全部は分からなくても、やらせたくないことだけは分かる。……ユリカさんに、あんな酷い目にはもう二度と遭ってほしくない。幸せを願うひとがいるなら、ひとりでも多く一緒に居てもらいたい。あと、ユリカさんは嫌なら嫌でソノヒト蹴飛ばしそうだし」  

「時任……」


 じわ、と菖蒲アヤメの目の縁が湿る。

 夢月ムツキは自身の左手の爪の先を眺めて、興味なさげにみえたが、一区切りついたと見なしたのだろう。

 ス、と自身の右手を構え勢いよく左手の薬指を爪で切り裂いた。

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