交渉

 得体の知れない男へ「どちら様ですか」と口にしかけた瞬間、ひゅっと足下から地面がなくなったような感覚に、椋伍リョウゴは襲われた。


「うっ……わ!?」


 ゴウゴウ、ゴウゴウ。大きな突風の渦に巻き込まれ、固く目を閉じる。

 突然の事で何も理解が追いつかない。ただ、目の前の男は未だ椋伍の肩に手を置いているらしいことは、椋伍には分かった。

 五分、いやそれよりも短かっただろうか。 椋伍がまぶたを開きかけた時、ストン、と足が地面に着いた。


「あ……?」

「到着」


 男が笑いを含み、ゆったりと言うのに、椋伍は目だけを動かして望む。そこは、赤黒く荒れ果てた大地だった。

 草木は干からびた老人のように固く立ち尽くし、地面はひび割れて黒い煙を吐き出している。

 時折カラスの鳴き声のようなものが響くが、よくよく聞くと人の叫び声である事がわかった。

 ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ。

 そんな声を主を探すと、遥か彼方地平線に近いところに生えている木に、人のようなものがぶら下がって――


「それで、逢わせて欲しい人についてだけど」

「いや頼み方怖すぎ!!」


 ソレを正しく認識したのと同じくして、にこやかに男が交渉し始めたことで、椋伍は我に返った。

 驚愕と憤慨が入混ざったまま、彼は首をぶんぶんと横に振って抗議する。


「こんな得体が知れないとこに連れてきてするお願いって、絶対ロクなのじゃないし! もっと安心出来る場所探しません!?」

「うーん……何故なぜ俺が?」

「なぜおれが!?」


――そんなこと、面と向かって言ってくるひと初めてなんですけど? どうすりゃいいのこれ。っていうか、


「ていうか、あなたヒトじゃないですよね?」


 男の目がキラリと光る。


「……何か、不都合な点でもあったかな?」

「え? うーん……ヒトじゃないひとで知り合いっていったら、井戸神様とユリカさん、菖蒲アヤメさん、河童、足がめちゃくちゃ早い婆ちゃんくらいですよ? 仲持つなんてムリでしょ」

「おー、結構いるなあ。それに、偶然にもその中にひとり」


 ようやく椋伍リョウゴの肩から手を離すと、男は妖しく微笑み、左手の人差し指を立てて囁いた。


天龍テンリュウユリカ――もとい、スミレがいる。その子に逢わせてほしい」

「なんで、そのひと……? それに、その名前」


 椋伍が目を見開いて見つめ返すも「驚くことでもないだろう? 親しい中なんだから、本当の名前くらいは知ってる」と男は薄く笑う。

 なんとも胡散臭い雰囲気を醸し出す男だ。

 椋伍リョウゴは目付きを鋭くし、


「仕事の邪魔する気ですか?」

「違う違う。恨みを持っている訳でもないし、本当にずーっと会いたくて仕方がなかったんだ。それこそ、蔵を爆発させてしまう程に」

「いやドン引き。そもそもあなたが誰かも知らないのに、カンタンに会わせるわけないじゃないですか」

「それはそうだ。さて、どう名乗ろうか」


 うーん、とさして悩んでもいないだろうに、白々しく男は考える素振りを見せ始める。それに椋伍は内心酷く焦っていた。


――ヤバい。コイツはヤバい奴だ


 目だけは片時もはなそうとしない男に、椋伍はこっそりカラカラの喉を鳴らす。

 隙がないのだ、男に。

 椋伍が逃げる素振りを見せれば、きっとその首を捻じ切る。そんな不気味さを孕んでいる。


――塩がない。テケテケに全部使った。連れてこられた場所も、場所、も……なんだここ。荒野? 日本にこんなとこあるのも知らないのに、どうやって逃げるんだよコレ。


 永遠にも感じられそうな時間の中で、椋伍の焦りも虚しく、男は考えるフリをやめることにしたらしい。

 唐突にふっと微笑み、


「妹――菖蒲がどうも、お世話になってます」


 そう告げて軽く会釈をしてみせた。


「お辞儀されても会わせないですけど……?」

「頑固だな……。俺がこんなに頼んでいるのに、ひとつも聞いてくれないだなんて、妹は君に大事なことを欠片も知らせていないらしい」

「大事なこと?」

「そう。例えば、逆らえば死ぬということ」

「助けて菖蒲さん!!」

「まあまあ。とは言え、放っておけば死ぬかと思ったのにピンピンしているし、これを殺すのも惜しい。見逃すから安心していいよ」

「ありがとうございますね……? もう訳わかんないんですけど。オレそんなに貧弱にみえます?」

「いやこれが」


 ふ、と男が笑った。


「地獄に連れてきて平気だったのは、これまでにスミレしかいなかったんだ。菖蒲アヤメは十分間。他はそこまでもたずに全員狂うか死ぬかしたから、君は正に千年に一度の逸材だろう」

「あんまり嬉しくないんですけど、聞き間違いですかね? 地獄? 地獄に連れてきたんですか!?」

「そう」

「引くぅー……」


 何でそこまで、と椋伍はすっかり話し込む体制に入り、男も談笑する程度のくつろぎを見せはじめる。それに僅かに椋伍は隙が生まれる間際を待ちわびた。

 男は茶番を続けることにしたらしい。切なげに微笑みながら言った。


「長く生きれば暇を持て余す。だからほんの少しだけ付き合ってもらっただけなんだ。力試しで挑ませたこともあれば、望まれて連れてきた事もある。けれど誰も彼もがひ弱で、すぐに息絶えるだろう? もう人間の全てに興ざめだった。……菫に出会う前までは」

「うわ、悪い話になってきた」

「君には居ないのか?」

「なにがです?」

「会いたくて会いたくて、焦がれるような相手だよ。会えば心が潤い、満ち、また離れると焦がれるような相手。俺にとってのそれが、菫なんだ。どうか逢わせてはもらえないか?」

「いや、無理ぃぃいいっ」


 限界だった。椋伍は袖をまくって左腕を見せると大声で叫ぶ。


「見てこれ!! こうなってるんですよ、オレ!!」

「ははっ、鳥肌」

「笑ってんじゃねェー!! 大体、恋愛ドラマだかなんだか知らない雰囲気出したの、なに!? 感情の傾け方がフツーにヤベー奴だし、何回も言うけど交渉したい相手に対してこんな場所フツー用意します!?」

「俺はした」

「やめた方がいい!」

「んー、お洒落なディナーを用意しろとでも?」

「そうじゃなくて、地獄。ね? 見てあれ。なんか見えちゃいけないものが遠くで手振ってるし、耳済ませると変な鳴き声聞こえるし。こんなとこ居ると狂い死ぬって自分で言ってたじゃないですか。フツーお願いする時、そういうことしないんですよ」

「君が言うそれは、相手に生きていて欲しい場合だろう?」

「オレは死んでもいいっていうんですか!?」

「ふはっ」

「笑うなっていってぎゃああああああああ!?」


 ボコッボコボコボコ!!

 椋伍が男の扱いに困っていると、地面を勢いよく腕が突き抜けて生え、ガシッと男の足首を掴んだ。


「なに、なになに!?」

「あー……君が呼んだのか」

「呼んでないです!!」

「うーん……」


 心底、男は面倒くさそうに表情を消して、自身の足を掴む手を見下ろした。

 途端に凍えそうな冷えが辺りを包み込み、椋伍はむき出しにしていた腕を袖にしまって後ずさる。

 すると、スっと男は腕を構え


――ドゴン!!


 地面から生える腕に向かって勢いよく振り下ろし、それを腕は手のひらで受け止めた。

 がら空きになる男の片足。そのままブン、ともう片方の腕に振り下ろされ、


――ドウンッ! ガラガラガラ!!


 ずっしりとした土の塊が隆起したかと思えば、地面からひとりの少女が憤怒の形相で飛び出した。


菖蒲アヤメさん!!」

「遅くなった。怪我はない?」

「ないですけど、なんかスゲー怖いんですけどあのひと!!」

「そうでしょうね」


 椋伍の傍らに並び、男を睨みつけながら菖蒲は言う。


「あの幼女趣味、やっぱりお前を狙いに来た。こうなるんじゃないかと思っていたのよ」

「突然の趣味……。誰なんですか? お兄さんを名乗ってますけど?」

「……。残念だけれど、父が家系図に引き込んだゲテモノ、義兄で間違いないわ」


 苦々しく告げる菖蒲の目線の先で、男は興ざめしたような顔を隠しもしない。

 それにさらに表情を険しくすると、菖蒲は言った。


「名は夢月ムツキ。お前のノートに落書きがしてあったでしょう? 『姉を救え』とあったはず。あれはあの男の文字よ、間違いない。姉様を狙ってずっとずっとまとわりついていたくせに、むざむざと死なせた。……私よりもマヌケな男」


 ドッとこもった音が、菖蒲の腹で鳴った。

 くの字に曲がる彼女の体、いつの間にか目の前に来ていた男・夢月ムツキ

 腹を強かに殴られた菖蒲は、風のように後方へ飛ばされて遠くの岩場に激突した。

 砂煙が立ち込め始める。


「――菖蒲さん!!」

「さがれ」


 告げたのは菖蒲ではなく、夢月だ。

 サングラスの向こうで青い瞳を凍えさせ椋伍を映すと、ゆっくりとした足取りで菖蒲の方へと歩いていく。


「下手に手を出せば、君は死ぬぞ」


 ボン、と勢いよく菖蒲が地面を蹴った。

 崩れ落ちそうだった体は怒りで持ち上げたのだろう。凄まじい勢いで夢月へ突っ込む。

 しかし夢月の方が早い。

 菖蒲の腹に拳を飛ばし、腕でガードされ、その手を握って放り投げる。

 くるりと身を翻した菖蒲は、体を建て直しざまに斧を手のひらからズズと出し、ブン、と振った。

 首だ、首を狙った。だが届かない。

 そのまま獲物を取られた菖蒲は――ざっくりと袈裟斬りにされた。


「菖蒲さん!! クソがコノヤロウ――食らえ!!」


 椋伍が咄嗟に掴んだ土塊は、バスッと夢月の背中に命中し――ジュワ!


「ん……?」

「あえっ!?」


 多少劣るものの、食卓塩を怨霊へ振りかけた時と同じような溶かし方をした。

 不意をつかれた夢月はそれでも反応が薄い。じゅうじゅうと溶ける黒シャツと、その下の背中の皮膚を振り返ると、椋伍を見て、にたり、と笑う。


「よく吠える愚妹に辟易していたところに、いいモノが来るじゃないか」

「うそうそうそ、嘘です。オレじゃないです」

「嘘はいけない」

「ひっ」


 ずい、と。椋伍が瞬きをした瞬間にはそう、夢月に前に出られて喉が悲鳴をあげた。


「塩がないから土にした? 僅かな塩分を力に俺を溶かしたのか? こんな地獄で? ――ははっ」

「知らないです地獄に塩なんてないと思います。もしくは地獄がすごいんだと思います」


 立ち上がろうとする菖蒲が、椋伍からは見える。

 夢月の肩越し。瞳孔を開き椋伍を見下ろす男の注意を集めながら、彼はぶんぶんと首を横に振る。


「塩だとどうなる? 俺にも効くだろう、一度やって見せてくれ。ああ、でもあの時全部使わせたから残ってないのか。買って来さえすれば話は別だろうけど。使い方が無限に広がりそうで楽しみだったのに、残念だ」

「……いいですよ、塩。買ってきてくださいよ」

「うん?」


 菖蒲の姿が、椋伍の視界から消えた。


「買えるモンならなァ!!」


 ボコ、とぶつける土塊。

 椋伍がもう片方の手に隠し持っていたソレを夢月の顔面に叩きつけると、地面から菖蒲が上半身だけを飛び出させた。


「じゃあな、クソ野郎」


 菖蒲の捨て台詞と共に、椋伍は地面にそのまま引きずり込まれた。

 その場には、穴だらけになったどこかの地獄と、ひとり顔から蒸気をあげる夢月のみが残された。

 ボロボロ、と土が夢月の皮膚と共に落ち、くつり、くつりと彼は笑う。


「ん、ふふ。……まあ、いいか。俺の目的はアレじゃないものな」


 いってらっしゃい、椋伍君。さて、俺の方はもうひと仕事。

 そう独りごち、ふらふらと歩き出して数歩先。赤黒い地獄の地面と空は立ち所に消え失せて、あたりは夜の住宅街へと姿を変えた。

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