「箱を配る男」

「オレ、殺されないかな」


 薄暗い廊下。

 キシキシと床を鳴らしながら、椋伍リョウゴ菖蒲アヤメと共に家教イエノリの後をついて歩きながらぼやいた。その目は大窓から望める境内――ではなくもっと遠くを見ているようだった。


「何故そう思うの」

「だってオレ男の子なんで」

「気っっっ持ち悪。ただの二十八歳成人男性が、十代の少女の部屋なんかを意識しないでよ」

「言葉にも刃があるって知ってます? あとずっと疑問なんですけどユリカさん達はいつ生まれの人だったんですか?」

「は? 治暦ジリャク二年」

「なぁに……?」

「年号のことですよ」


 前方の家教が苦笑いで代わりに答える。


「平安時代の年号です」

「へいあんじだい」

「はい」

「紫式部の?」

「ええ。ですが確か、その方よりも後のお生まれですよ」

「紫式部より若い……?」

「その頭の悪い話し方、どうにかならないのかしら?」

「普通アップルジュース要求するひとが平安生まれって聞いたら、頭悪くこうなりません?」

「知らないわよ。当事者以外にお聞きなさい」

「さて、着きました」


 こちらがスミレ様の私室です。

 応接間前の廊下からさらに奥へ奥へと進んで突き当たり。そこを左に曲がってすぐに現れた戸に、椋伍は息をのんだ。

 スミレの花が大きく彫られた引き戸。

 椋伍が以前、死者とひとではない者とアヤメサマが蔓延る、生まれた村を模した偽の世界で逃げ回っていた際にコレを見た。

 この戸があった部屋で、生前のユリカがスミレとして、アヤメサマが菖蒲アヤメとして仲睦まじい姉妹として過ごしていたのを、菖蒲の残留思念から読み取ったのだ。


「なんで、ここにコレが」

「そう」


 動揺する椋伍のすぐ隣で、菖蒲が呟いた。見やれば静かに涙を零している。


「まだ、あったのね」

「はい」

「……そう」


 短く応えた家教も、菖蒲もそれ以上戸の彫り物については触れない。

 そのまま家教が戸を数度叩いたが応答がなく、「調べ物中なのかもしれません」「参りましょう」と促されるままに椋伍も菖蒲も敷居を跨いだ。


――内装は、流石に違うのか


 部屋を見た最初の感想はそれだった。

 椋伍の記憶ではまた廊下があり、伸びるままに左へ曲がると大きな丸窓がついた部屋があった。

 しかし今回のこの部屋は、現代らしく白い壁紙が貼られ、床にもい草のラグが敷かれている。なんならソファとテーブルもあった。

 後は壁という壁に棚、棚、棚。ほとんどを本棚が占領している。


「ベッドがないのね」

「そちらのソファがベッドに変わります」

「ふぅん。便利だけれど体に悪そう」


 そう雑談する菖蒲と家教を置いて、椋伍はぐるりと部屋を見渡す。


「ほか全部棚なんですね。なんか巻物とか木の巻物みたいなのとか……あと古い本とかがいっぱいある」

「姉様は調べ物の鬼だったから」


 菖蒲が得意げに言う。


「家のおかげで書物には困らなかったし、村を良くするために姉様はなんだって調べていた。見解を書き記した書物もあるはずよ」

「ホントだ……リングファイルもびっちりラベリングされてる。平安生まれなのに」

「馬鹿にしてる?」

「尊敬してんですよ」

「それにしても、いらっしゃいませんでしたか……。なにかメモでもあれば良いのですが、それもなさそうです。申し訳ありません」

「いやいや、いいんですよ。オレ達も急に上がり込んだし、もしかしたらこれから帰ってくるかもしれないし――って、あれ?」


 きょろきょろと書き置きを探し、心底申し訳なさそうにする家教に慌てて椋伍がそう返していると、ふとサイドテーブルに積まれている紙束に目が止まった。

 近寄ってまじまじと見下ろすと、それはA三用紙を折りたたんでページを足し、ノート用にした紙束で、表紙には墨で縦に「不能」と大きく書かれていた。


「ああ。そちらはスミレ様が譲り受けた物とお聞きしております。たしか、神隠市ノートと呼んでいたような」

「オレのノートじゃん!!」


 ひっくり返りそうになりながら椋伍は叫び「ちょっと失礼します!」と自身のスポーツバッグを開け、似たようなものを引っ張り出す。

 そして「不能」と書かれたノートと、椋伍のノートを二人に向けて広げて見せて、


「ね!? オレの!!」

「オレの、は分かったけれど何故こんな悪趣味な書物を作って、しかも姉様に寄越したのよ。コレお前の字でしょう?」

「オレが曰くの事書くと、最悪復活しちゃうことがあるらしくって。ユリカさんに没収されたんです」

「なるほど。池内イケウチの血が生きておられるのですね」

「いけ、なんですか?」

「池内の血、でございます」


 家教は語る。


時任トキトウ家は一度、菖蒲様から逃れておいでです。その際に赤子を守った母君が池内イケウチ家の出でした。池内家とはその昔、菖蒲アヤメ様が籍を置かれる天龍家と、一二を争う霊力を持った家系です。言葉に意味を、心を添えて届ける力に長け、その言霊コトダマの力で天龍家と共に村を守ったと言い伝えられております」

「随分お世話になったわ。……私は、村を守れなかったけれど」

「まあ……でも、姉ちゃんのことは大事にしてたじゃないですか。それでいいでしょ?」


 戸を目にしてから菖蒲の様子がおかしい。

 どこか遠くに行ってしまいそうな儚さすら孕み始めた彼女に、椋伍はそわそわしながらそう言うと、彼女は目をまん丸に見開いて椋伍を見た。それに椋伍もぎょっとする。


「えっ、なんですかその反応」

「……。なんでもない」

「なんで? え、ちょっと、なんで罵らないんですか!? ここ菖蒲アヤメさんなら無意味に罵倒するトコでしょ!? 大丈夫ですか!?」

「うるさい黙れ」

「あ、良かった。いつも通りだ」

「お前は……!」


 苛立った口調だが、本気で怒ってはいないのだろう。いつもの調子に戻った菖蒲を見て「よし」と内心胸を撫で下ろすと、椋伍は再びノートの方に話題を戻した。


「てかなんでユリカさん、これコピーしたと思います? 危ないって自分で言っておいて」

「表紙の文字があるからでしょ」

「ん? この無能ってやつ?」

「不能、ね。なんの効力も持たない、と書き記して影響を打ち消したのよ。姉様ならやるわ」

「なるほど。――え? じゃあオレのこのノートも不能って書けば、曰く消えるんじゃね?」

「そう上手くいかないでしょう」


 呆れられて、椋伍は「なんでですか」とムッとした。

 菖蒲はやれやれとノートに指を突き立てて説明する。


「お前、それに書かれている事象は、終わったらわざわざ消してっているじゃない。そういうものとしてずっと扱っていたのに、急にやりかたを変えて受け入れられる? もしも曰くが消えていなくて、罪のないひとが襲われていたらどうしよう、なんて一ミリでも考えたのなら、もう無理よ。意味が無いわ」

「……じゃあ、ユリカさんはあくまでもコッチは印刷しただけだから、オレとは関係ないパチモンですよー、って書いただけってことですか?」

「そういうこと」

「うわぁ、メンドクセー」

「面倒なものをお前は生み出したのよ。反省しなさい」

「うわぁあー……!!」


 呻く椋伍にさらに畳み掛ける菖蒲を、誰も止めず咎めない。そういうことなのだろう。


「結局振り出しに戻ったわね」

「ぐうぅうう……菖蒲さん、ユリカさんレーダーでどうにかなりません?」

「さあ。さっきも心当たりの場所を探したっきりで、神隠市カクリシの草の根をかき分けたわけではないから。例えば、もうすこし姉様がいる場所に近くなったら、ある程度離れていても分かるかもしれない。お前は? 何か策はないの?」

「うーん……」

「曰くをあたってご覧になるのはいかがでしょう?」

「曰くを?」


 二人の揃った声に頷き、右手でノートを指して家教は言う。


「ええ。そちらのノートの内容を、恐らくは菫様は暗記されているはず。置いていかれているのが証拠です。もしお二人の件で動かれた後ならば――聞くところによると大仕事だったご様子。また神隠市カクリシの時が止まらぬよう、無闇矢鱈に魂が死んでしまわぬよう他の曰くを処理して回るかと。……あくまでも私の考えですので、ご参考程度に留めていただけると幸いです」

「そういえば……ユリカさんは、いつも何かしら食べてた。それも凄い量を」

「はい」

「仕事で体力とか消耗してたのが原因なら、休む間もなくずっと働いてるのかもしれない。それを考えたら、神主さんの案でまずは動いてみたいです」

「んん?」

「え?」


 家教が、めずらしく首を捻った。

 なんかオレ、変なこと言いましたかね?

 そう椋伍が同じように首を傾げてみせると、残念そうに菖蒲が肩を叩く。


「……時任。私もそれは賛成よ。けれどね、姉様は生前からよく食べるの」

「ん?」

「生まれつき、よく食べるの。そういう家系なの。私もいっぱい食べるけれど、姉様は特別食べるのよ」

「……。恥ずかしいじゃん!! 名推理とかじゃなかったじゃんゴメンなさい!!」

「ま、まあまあ。椋伍さん、まあまあ」

「神主さんまあまあしか言わなくなっちゃったし!!」

「ふっ」

「笑ったし!!」


 菖蒲が堪えきれずに笑ったことで、椋伍は恥じ入るあまり顔を真っ赤にして半分怒り出している。

 クールダウンしようと頭を抱えてしゃがみこんだ椋伍に、菖蒲は「どんな気持ち?」と聞いて追い打ちをかけた。


「も、もうお暇します……。ユリカさん、ユリカさん探す……それでなんか奢ってもらう……」

「ええ。どうぞお気をつけて。もしなにか困ったことがあれば、いつでもお越しください」

「優しい……神職サイコーじゃん……」

「私も神職みたいなものよ?」

「現代では嘘つきは泥棒の始まりって言われてるんですよ? 菖蒲さん知ってました?」

「祟るわよ」


 軽口が混じりはじめ、そのままガヤガヤと廊下へと一同は出た。

 道中、窓越しにゆらりと女の式神が近づいてきた時には、椋伍は咄嗟に食卓塩の小瓶を握りしめたが、家教に「消さないでください」と寸前で止められ無事だった。

 ゆらり、式が遠ざかり、また別の式が近づいて何やら家教に耳打ちしてどこかへ飛んでいく。


「神主さんって忙しいんですね」

「怪しいものが現れたので、その情報を集めております。もう少しであらかた特徴が掴めますので、大鳥居をくぐる前にはお伝えできますよ」

「ありがとうございます」


 いえいえ、と朗らかに家教に返される中、椋伍はふと菖蒲の顔色が険しいことに気づいた。二度見、三度見をしてやっと、


「なんっつー顔してんですか」

「祟る前の顔でしょう? 知ってるわよ。ねえ、家教。さっきから式が囁いている、箱を配る男というのはもしかして、アイツなの?」

「……箱を? それって村で昔流行ってたっていう呪いの?」

「違う。そうだけれど違う。あれは人間なら複数人で、気づかれないように置きに行くの。でも式神はひとりの男についてしきりに話して離れていってる。あの男……私の義兄のことではないの?」


――冬を越したら、村も越すといい

――箱も他所へ置いたし、今の村にこれまでのモノを封じてしまえば安泰だ。なにもお前達が死ぬことはない。そうだろう?


 まさか、と椋伍は言葉を詰まらせた。

 菖蒲の残留思念。その中に確かにいたのだ。

 顔こそ椋伍には分からなかったが、二人の姉妹の「兄」と呼ばれた男が。


「あの男とは、姉様が村から追い出されて私が暴れた後から全く会っていない。思えば私たちが村から逃れるために、神隠市カクリシのようなものを作ることも考えているようだった。……どうなの?」

「……私はそう考えておりますが、菫様からお聞きしている容姿とかけはなれているので、判断に迷っている次第です」

「教えなさい」


 ううむ、と家教は一呼吸置いて「わかりました」と頷く。

 玄関にたどり着き、そこで立ち止まって彼は告げた。


「若い男性です。三十代前半程で、垂れ目。瞳の色は黒く、髪は茶髪。照りのある滑らかな生地の赤いシャツの袖には、金色のカフスボタンがあり、金の腕時計をはめています。下は、パリッとした白いスラックス。……ホストのような風体だと、式は申しております」


 菖蒲が黙った。椋伍を見ている。

 怪訝そうに家教が「いかがでしょうか」と尋ねるが、椋伍は恥ずかしさで本日二度目の赤面を晒している。

 やがて細く、二人に聞こえる声量で答えた。


「それ、オレです」

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