相反する、呑まれる

 社務所内の玄関の青白い蛍光灯の下で靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、家教イエノリに案内されるままに椋伍リョウゴ菖蒲アヤメの二人は応接室への廊下をゆっくりと進んでいく。

 途中、橙色の間接照明がほつりほつりと廊下を照らし始め、所内にいる他の人間の息遣いが感じられるようだった。


「ご両親に連れられ訪ねてこられた貴方は、それは痛ましいお姿でした」


 そんな中、ゆったりとした口調で家教イエノリは語る。


「連絡をくださったのは椋伍さんのお爺様でしたが、体の調子を崩されていたので付き添えないことを悔やんでおられるご様子でした」

「そう、ですか……。オレ、爺ちゃんの事は村のことと一緒に忘れてるみたいなんですけど、その」

「お亡くなりにはなっていないはずですよ。神隠市こちらにはいらっしゃいませんから」

「じゃあ村に?」

「さて……私は椋伍さんがご両親と出ていかれてすぐに他界した身。あれ以来目にしているのは神隠市カクリシでの出来事のみですので」

「……。そうだったんですね。すみません」

「いえいえ、こちらこそご期待に添えず申し訳ございません」


 「どうぞ」と片手で指された部屋へ、椋伍は促されるまま入る。

 菖蒲も後に続いたが、ちらりと家教イエノリを一瞥してから、ふん、と笑ってからで、それからも躊躇う椋伍の横で迷いなく上座の座布団に腰を落ち着けた。


「ちょっとは遠慮してくださいよ……」

「これくらいでいいのよ。それより、随分と軟弱ね。姉様ねえさまのまじない無しに過ごせないだなんて」

「ははは、返す言葉もございません」

「まじない?」

「お前は知らなくてもいいのよ」


 促されてやっと座った椋伍の表情が僅かに曇る。


――嫌味のためだけに、そんなこと言わなくてもいいのにな


 気を悪くした様子を一切見せず、それどころかどこか嬉しそうにしている家教に、椋伍が申し訳なさそうに顔をくしゃりとすると「まあまあ」と彼はまた穏やかに笑った。

 なんともよく笑い、人の緊張を解く男である。

 椋伍も「それなら」と肩の力を抜くと、彼の目の前に座った家教は「間もなくお飲み物をお持ちいたします」と告げた。

 途端、障子越しに「もし」と声がした。

 家教の「どうぞ」という声に、するりと障子が滑って巫女装束の女が入室し、湯気を立てる湯のみと氷の音をからんと鳴らす涼やかなグラス、茶菓子を乗せたお盆を携え、菖蒲、椋伍、そして家教の順にそれらを置いていく。

 礼と礼が静かに交わされ、やがて女は部屋を出ていくと椋伍は詰めていた息をそっと吐いた。


「あの女、式ね。そこそこ使えそうで良いじゃない」

「お褒めに預かり光栄です」

「やっぱり人じゃなかったんだ……全然息してなかった……」

「紙切れよ。お前と同じ」


 水羊羹をつついて菖蒲は言うと、ここで初めて家教が目を丸くした。


「紙切れ、とは」

「あ……その、助けていただいて申し訳ないんですけど、オレ、またダメになっちゃいました」


 皮切りに、椋伍がことの経緯を話すと、じっと家教は耳を傾けた。

 相槌をうちはしても聞き返したり、遮ったりすることは一切せず、椋伍が話し終えるとやっと「さようでいらっしゃいましたか」とその深い声で言い、表情を陰らせた。


「ダイゴさんも椋伍さんです。どちらがどちらの一部とは言えませんが、コヨリさんのこともご自身と向き合われることも……さぞお辛かったでしょう」

「まあそう……いや、そんなことないです。オレは」


 言われて椋伍はハッとなった。


「オレもダイゴも、結局向き合えてないです。殴って別れたし」

「向き合うことと分かり合うことは、必ずしも等しくはありませんよ」


 そっと茶を勧めつつ、家教は表情を和らげた。


「己の中の相反する心が、椋伍さんとダイゴさんの場合は目に見える形で現れました。どちらかに呑まれてしまったり、見て見ぬふりをしてしまうことも考えられます。それを貴方は反発しあった」

「それは、アイツが曲がったことやるから。……許せなかっただけです」

「ええ。貴方は精神を削ってご自身に反抗なさった。見たくもない行動を自分がとっていることを直視すること、正そうと動くことはどれほどの苦痛を伴うでしょうか」


 椋伍らが話し込む中、カランカラン、と菖蒲がグラスを揺らして氷を鳴らす。催促に応じて式が訪れ、新たにアップルジュースとクッキーを置いて立ち去って行った。

 菖蒲がちろりと椋伍を横目で見て言う。


「こうしてお前に落ち着かされた存在があるのだから、ウジウジ考えるだけ無駄だと思うわ」

「え、それって笑い飛ばしていいやつです?」

「祟るわよ」

「冗談です」

「祟るわよ」

「すみませんでした……許してください……」


 曇った表情のまま軽口を叩いた椋伍にも容赦がない。彼女は「ハッ」と冷ややかに笑い、


「お前は本番に強そうだから、その時々で感じたことをダイゴへぶつけなさい。それがダイゴに一番効くでしょう」

「なんでですか?」

「だって、ねじ曲がった根性を叩き直そうとしてくる心をうとんで、お前を体から追い出したような奴よ? それはいちいち心が揺らいだからでしょ? だったら強気でお前が嫌なものを嫌だと言えばいい」


 椋伍は黙って俯いた。

 視線の先の水ようかんを、横からひょいと菖蒲がさらって行くのも追わず、ただ言葉を咀嚼していく。

 家教は困り顔で笑い、それでも何も発しない。椋伍と同じ心境なのかもしれなかった。


「オレは最初、ボロクソに悪口言ってダイゴを泣かそうと思ってました」

「子どもか」

「でもぶん殴らないと気が済まないこともアイツがやるから、またどっかで見かけたらもう何発か殴ろうと思ってます。でも」

「……」

「これに終わりってあるんですかね? 神主さんが言うみたいに、相反する心っていうならどうしても分かり合えない気がして……なんか、むなしい」

「……どのような結果になろうとも、その対立しぶつかり合う過程がなければ、貴方が望む未来からは遠のきます。ですので、私は椋伍さんがご自身を必要以上に責めないことをお勧めします」

「自分を責めない……?」

「ええ。必要以上には」

「……。やってみます」


 いつの間にか膝の上で拳を握っていた椋伍は、そこで自分の手のひらが湿っていることに気がついた。

 開くと強ばっている。肩から力を抜いて呼吸をすると、久しぶりの外気を浴びたような、そんな穏やかな顔つきになっていく。

 にこりと微笑む家教と、椋伍の分の茶菓子を食べ終えて暇そうにする菖蒲とでゆっくりとした空気に包まれた。


「それにしても、ご両親もさぞご心配なさっていることでしょう」


 少しばかりの談笑を家教と菖蒲が交わしている間、椋伍が追加で貰った水ようかんを食べていると、家教がそう話を振った。


「んえ?」

「ああ、失礼しました」

「あいや、すんません。ウチの親がなんでですか?」

「魂が二つに別れて肉体を入れ代わり立ち代わりしているからでしょ?」

「あー、そっか。なんかそのへん実感わかなくて。あと、父さんのことも久しぶりに話す気がしたから」

「久しぶり?」

「それは一体……?」

「オレの父さん、行方不明なんで」


 家教が目を見開き、絶句した。


「申し訳ありませんでした。もしやその件でこちらへいらっしゃったのですか?」

「いえいえいえいえ! 母さんから聞いただけでホントに父さんがそうなのか知らないし、なんなら今の今まで記憶からすっぽ抜けてたし、あとオレ達が来たのはユリカさん――あ、えっと、菖蒲このひとのお姉さんの件なんで!」

「ああ……そう、でしたか。それにしても、お父様が行方不明とは驚きました」

「こっち来てませんか?」

「お見かけしておりません。本当に椋伍さんと一緒に村を離れてゆかれてから一度もお会いしていないのです。お手紙は一通いただきましたが」

「手紙?」

「近況報告のお便りです。椋伍さんの容態が良くなったといった内容の」

「そっか……」


――ちゃんと心配してくれてたんだ。なんで忘れちゃったんだろーな? それもダイゴが持ってんのかな。


 心配してくれてありがとうございます、と返しつつも、椋伍の心が僅かに沈みそうになる。


「姉様を探しているの」


 本題へ戻したのは菖蒲だった。椋伍も我にかえって、こくこくと頷く。


時任の末裔コイツは姉様と一緒にダイゴ、ひいては神隠市カクリシをどうにかしたいみたい。私はただ、姉様に会いたい。けれどどこを探しても見つからないからここへ来たというわけ」

「さようでいらっしゃいましたか」


 納得し穏やかな顔に戻った家教は、少し考え込み、障子の向こうに現れた何かの影へ顔を向けた。

 ぽそぽそと何事かそれは喋る。椋伍には聞き取れなかったが、菖蒲には分かったらしい。顔を顰めて「嫌なものが流行っているのね」と言い、それに家教が苦笑して頷いた。


 そして「わかりました」と影へ返すと、しゅりゅりと煙のようにそれはたち消えてしまった。


スミレ様は強い曰くが現れた所へ訪ねてゆかれます。私の式ではあの方の足に追いつけない上、呼ばれでもしない限りには現在地に赴く事もできません。足でまといになりかねませんので」

「そうなんですか?」

「ええ。それと……先程から私の式ばかりが各所の曰くの対応にあたっているようです。これは凶悪な曰くが現れスミレ様が一個体に集中して対処したい時によく起こりますし、単に体を休めている時にも起こります」


 ですので、と彼はにこりとする。


「ゆかれますか? スミレ様の私室へ」

「行く」

「ええぇ……?」


 軽やかな提案に即答した菖蒲へ、椋伍は引いた眼差しを向けた。

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