九十九代目

 大通りのデパートを過ぎ、駅前で右折した片側三車線の道路を真っ直ぐに進むと、大きな十字路がある。

 左に曲がりほどなくすると住宅が増え、背の高い建物が減り、車線も減り、往来する人々は互いに端に寄りながら帰路を急いでいた。

 もう夜だ。車のライトが街を描き、時折すれ違う人の疲れた顔を照らし出す。

 椋伍リョウゴは細い歩道をずんずんと直進する菖蒲アヤメの背について行きながら、先程の焼肉店でのやりとりを思い返していた。


――お前、自分がカミサマだと言いたいの?


 あの後、肉のトングを手にしたまま眉をひそめた菖蒲アヤメに「違います違います!」と椋伍リョウゴは慌てて首を横に振った。


「紙切れのことです。オレの片割れが紙に魂の一部を込めて埋めたのが、たまたま神隠市カクリシに行き着いたらしいんです。で、その魂が……オレ?」

「故意にやった訳ではないのね」

「多分……? あんまりアイツとそういう話しないまま殴り合いになったんで」

「へえ。会ったの?」


 問われつつ、また焼きたての肉が皿に乗せられる。椋伍リョウゴは目を瞬かせて、


「そういえば、なんでかアイツも魂だけになって神隠市あそこに来てたんですよねー………。爆発事故に遭ったって事になってるとは聞いたけど、色々ありすぎて詳しく聞くの忘れてました」

「お前……」

「そんな呆れた顔しなくても……。まー、それでですね。また事故みたいな感じでたまたま一回村に帰って、体の方はオレが取り戻したりもしたんですけど、アナタの話がホントならまた魂すっぽ抜けたんだと思います。今のオレ、見た目も実年齢と違うままだし」

「本当は幾つなの?」

「えー……一九九四年生まれで二〇二二年だから……」

「二十八にもなって人を引っ掻き回してるの? いいゴシュミね」

「なんも言えないっス」


 肉を頬張る椋伍リョウゴを前に、彼女も「まあ冗談はさておき」と言い、次々と肉を食べ、飲み込んだと同時に続ける。


「生きた者が死者の世へ行くというのは、滅多なことでは起こり得ない。その偶然を生むのにもお前の場合、まずは割れた魂を体から切り離す必要がある。そんなのそうそう聞かないし、出来ないでしょう? 普通。……余程の強い念からお前は生まれたのよ。相手の出方によっては呑まれることもあるでしょうし、用心しなさい」

「用心……か」


――用心って言ってもなあ。話が通じる相手なら、ここまでこじれてないんだよな。


 ゆるりと現実に意識を向けた椋伍リョウゴは、あの時飲み込んだ言葉の続きを心の中で呟いた。

 気づけば足の裏に疲労感は溜まり、菖蒲アヤメの華奢な体の向こうには、大きな朱い鳥居が見えている。


「大人なんだし、もっとこう……目が合ったら殺す、みたいなのがなくて対話できる穏やかさが欲しいよな……」

「私に言ってる?」

「違います違います」


 ぼやきはとうとう口をついて出ていた。

 椋伍リョウゴは慌てて「ただの自分への愚痴です!!」と返したが、振り返った菖蒲の目つきは鋭い。


「本当に? 嘘じゃないならジュースを買って。アップル」

「いくらなんでも現代に馴染みすぎないですかね? アップルって用語あったんですか?」

「今更ね。んー……全部かは知らないけれど、お前の姉君の記憶があるみたい。私と一体化しているから、引っ張り出すのに時間がかかることもあるけれど」

「マジで?」


 ええ、と軽く返し、菖蒲は周辺をきょろきょろとし始める。自動販売機を探しているのだろうか。


「この世に何らかの要因で残っていた魂が、私に吸収されたのかも。……知らないけれど」

「魂の一部……」


 椋伍リョウゴの脳裏に、井戸神の騒動が過ぎる。

 怒らせた対価として奪われた、椋伍と友人の魂の半分を取り返すために、姉は自分の魂と霊的な力を引き換えた。


「姉ちゃんの首ごと井戸の底にあると思ってたけど、いくつも割られて持っていかれてる可能性もあるのか……。ダイゴが狙わなきゃいいな」

「ねえ、それよりも一緒に自販機を探してよ」

「多分そのへん探し回るより、神社に行った方が早いですよ。あそこ、駐車場の傍に何台かあったからりんごジュースあるかも」


 目の前に迫った神社の大鳥居を再度目視し「じゃあ走って」と菖蒲は駆け足になる。

 呆れながらも椋伍も、僅かに足を早めた。


 大鳥居を抜けた左脇に舗装されていない駐車場の端。そこには確かに椋伍の言う通り、三つ自動販売機が煌々と光を放ちながら並んでいた。

 「ほらね」と彼が示すと、菖蒲アヤメはそれに向かって飛んでいく――かと思えば、ちらりとそちらを一瞥したきり正面の神社へ向き直った。ん? と椋伍リョウゴは首を捻る。

 彼女の目線の先。 

 そこは二人が歩いてきた道の真正面にある。

 十段ほどの階段を上がると神社の門、そして拝殿へと続く石畳が伸びていて、その中間に人がひとり暗がりの中灯篭の明かりにぼんやりと照らされながら立っており、それを彼女は凝視していた。

 紫に白い紋がある袴を履いた若い男だ。

 彼は穏やかな「おやおや」という声とともに、すすす、と音もなく階段の真上にまで寄ると、椋伍リョウゴを真っ直ぐと見下ろしてにこりと微笑む。


「塩をふりかけながらこちらへむかってくるものがあると聞いて出てみれば、貴方でしたか」

「えっ」


――不審者情報回ってんの? ただ塩をそのへんの浮遊霊に撒いただけなのに?


 焦る椋伍に、薄らと提灯に照らされた柔和な男は会釈をして続ける。


「お久しぶりです、時任椋伍トキトウ リョウゴさん。私のことを覚えていらっしゃるでしょうか?」

「ぜん、ぜん……?」


 言いつつも椋伍は、すぐに疑問を抱く。遠い記憶の中でこの男の顔がちらつくのだ。

 惨いものを見たような、痛ましげな表情が。

 彼は「失礼いたしました」とさらに頭を下げ、こう告げた。


「私は九十九代目宮司――天龍家教テンリュウ イエノリ。貴方から記憶を奪った者です」


――三年、村から離れなさい


「思い出した」


 椋伍ははっきりと声と共に記憶を探り当て、目を見開く。

 姉・コヨリが死に、錯乱した椋伍と家族へ助言をした人物だ。


――でも、なんで離れろって、言ってきたんだっけ? オレがおかしくなったから? 村が危なかったから? なんで、だっけ?


「ふうん」


 霞みはじめた思い出に視野が狭くなっていく中、菖蒲アヤメの声に椋伍の意識が引き上げられた。

 品定めをするように下から上へと宮司――家教イエノリの姿を見て、彼女は鼻を鳴らす。


「天龍家にも清らかな人間が残っていたのね。大抵のものは根性が曲がっていたから、もし今代もそうなら、私直々に井戸に突き落とそうと思っていたところよ」

「勘弁してください。アンタ飲み物ねだってる間そんなこと考えてたんですか!?」

「ははは、是非ともお願い申し上げたいです」

「やめてくださいホントにシャレにならないんですよ!?」

「いえいえ、椋伍さん。私どもは本当にそう願っているのです。ただ」


 家教は軽やかな笑いとうって代わり、眉を下げて言う。


「もっとも、そのような者は私がこちらへ渡るはるか昔に狂ってしまいましたので、残っていたとして僅かばかりかと」

「狂ったって、それ、神隠市カクリシでよくあるっていう」

「ええ」


 にこり、また微笑んで彼は続けた。


「その昔、それこそ菖蒲アヤメ様の時代にこの神隠市カクリシという世に多くの村人が流れ込み、次々と狂ってゆきました。神職に携わる天龍家の者にも例外はなくそのような兆しが現れ、残された者が途方にくれていた折にスミレ様が現れ――そして、狂ったものを魂ごと壊して回り、兆しの広がりを食い止めたそうです。ただ、事が事でございます。勿論反発した者が出ました。そのような者は一様に滅び、永く残ったのは理解を示した者のみ……。皮肉な結果とはなりましたが、こうしてスミレ様を筆頭に神隠市こちらの天龍神社を拠点に、現在私共もお役目を担わせて頂いている次第です」

「反発した者だなんて、大体想像がつくわ。大方私を斬り殺した連中も居るんでしょう?」

「さて、私は新参者でございますので、存じ上げておりますのはあくまでも聞き伝えのみ。恐れながら、ご期待には添え兼ねます」

「……まあ、いいわ。今更だもの」


 にこやかに応じる家教イエノリと、うっすらと笑う菖蒲アヤメに、椋伍リョウゴの冷や汗が止まらない。

 「ユリカさんの話ら辺で怨霊に戻っちゃうかと思った」と胸の辺りのシャツを握りしめて零すと、菖蒲アヤメは心外そうに顔を顰め、


「言っておくけれど、お前の塩の方が余程怖いから。二度としないで」

「おおう……約束できないですね……」

「チッ」

「また舌打ち……?」


 怯え半分甘え半分で応じる椋伍リョウゴを、これ以上虐める気は無いらしい。

 彼女はユリカに瓜二つの顔を子どもっぽくふいっと逸らし、髪をいじりながら「喉が渇いたわね」と言う。どこまでもマイペースだ。

 見逃された安堵から「買ってきます」と椋伍リョウゴが軽く手を挙げると、家教イエノリから待ったがかかった。


「ああ、お待ちください。こちらへは何やら御用があっていらしたのですよね? よろしければお飲み物をご用意いたします」

「食べ物は?」

「エッまだ食べるんですか!?」

「悪い?」

「神主さんに悪いなって思ってますけど!?」

「はははっ、どうぞご遠慮なさらず。お茶請けも勿論ご用意いたします」


 軽やかに笑い声をたてた宮司グウジの顔は、年相応の若さが滲む。それに緊張を解かれた椋伍リョウゴは、我が物顔で先に門をくぐってしまった少女を信じられないといった目で二度見した後、


「お邪魔します……」


 としおしおとなりながら頭を下げたのだった。

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