家族ごっこ

 じゅわ、と焼けた網の上で肉が鳴る。

 生肉が手際よく並べられる中、椋伍リョウゴは、この店へ来て五度目になる「手を拭く」動作をした。


「はい、りょうちゃん。焼けたよ」

「ア、はい」

「遠慮せず食べてね」

「うっす。恐れ入ります」


 姉モドキはセーラー服の袖を捲ってせっせと肉を椋伍リョウゴの皿へ乗せる。

 彼は彼で頭を下げて皿を差し出し、言われるままに肉を受け取る。

 この間ずっと視線は遠い。口元も引きつっている。


――なんでオレ、怨霊と焼肉してんだろ?


 数分前まで口裂け女と対峙し、姉を真似た少女の雑さに耐えきれず指摘してしまった時には、椋伍は胸の内で「このまま殺されるかもしれない」などと思っていたのだが。

 彼女は一瞬表情を消しはしたものの、すぐ微笑んで「お腹が空いたね」と椋伍を食事に誘った。


――今、襲いかかるとこじゃなかった?


 ぽかんとしつつ椋伍も賛同し、連れられるままに近場にあったチェーン展開している焼肉屋に入ったのがついさっき。

 あれからまだずっと彼女は、


「りょうちゃん、食べないの?」


 こうなのだ。強引に生前の姉のフリを続けている。混乱のあまり椋伍の背中はぐっしょりとしている。

 「食べるます」とぎこちなく返し、唾を喉に送り込む彼を、少女はどう見ているのだろうか。

 全く知らない相手だったならどんなに良かったか、と椋伍はちらりと向かいを見る。

 少女に微笑み返され「ハハッ」と口角を上げてみせたものの、肉を見下ろしたまま意を決して「あのさ」と口火を切った。


「いっこ、聞いてもいい?」

「いいよ」

「なんで姉ちゃんのフリがそんなに雑なの?」

「……」

「姉ちゃんは二つ結びだし、カワイイ系だし、猫目じゃなくて垂れ目……だったんですけど……」

「……」


 黙ってしまった。

 緩く弧を描く唇に反し、眼差しは冷たい。姉モドキは、校門で椋伍へ向けていた表情に戻っている。

 彼女はかたりと肉焼きトングを置くと、水滴まみれのグラスを手に取り、深く長いため息をついて


「仕方ないでしょう? 私、お前の姉君なんてよく知らないんだもの」


 そうボソリと愛想なく応じた。


「えぇ……フツーに来ればいいじゃないですか。なんで成りすましとかすんの?」

「村を祟ったのに? 塩かけられて追い払われるのがオチじゃない、馬鹿馬鹿しい」

「口悪ぅ……。ユリカさんに負けてない」

「んふ」

「褒めてないです」


 軽口のようになってしまっているが、椋伍の顔色はずっと悪い。

 どうしたものか、と肉と少女を交互に見る彼に、彼女が「お食べ。取って食いやしないから」と心底つまらなそうに言ったことで、ようやくソレを頬張った。


「美味しいです……」

「そ。良かったわね」

「あの……もし勘違いだったら申し訳ないんですけどね? さっきみんなで神隠市カクリシを元通りにして、よし村に帰るぞーってなった時、オレがこっそり神隠市カクリシに残ろうとしたの、けっこう激しめに邪魔しませんでした? ……結果的に、何故か村には帰ってないみたいですけど」

「そうよ。それで来たの」


 椋伍の問いかけに、何故か彼女の方が柳眉を釣り上げた。


「まず私、神隠市カクリシだなんて知らない」

「え?」

姉様ねえさまが儀式をして、焼かれて追い出されて、そこから先は村を滅ぼすのに忙しかったから、そんな所があるのも、姉様がそこにいる事も知らなかった。気がついたらお前から塩を何度かぶつけられていたし、元の村に帰らないお前の背中を蹴っていたの」

「待って、やけに痛いと思ったら蹴ってたの!?」

「煩い。黙って聞け」

「ハイ」


 凄みを効かせられ、身を乗り出しかけていた椋伍はストンと着席する。

 彼女――菖蒲アヤメは息を吐くと、カツカツと指でテーブルを鳴らす。


姉様ねえさまは神格を得たから、どこへでも行ける。前のように私と同じ世に居られないはずがないの。なのにどこにも居ない。挙句、村に繋がるはずの鳥居はなんだか歪んでいて、私が潜ると山の麓にまで戻される始末」

「そ、すか」

「姉様が今どうなっているのか、村はどうなったのか、そして――神隠市ここはどんな場所なのかをイチから順に私に教えなさい。その為にお前を探しに来たのだから」


――お前は一体何なんだ。誰の許可を得てここに居る。


 初めて「赤い瞳の彼女」に出会った時を彷彿とさせる、そっくりな圧力。

 クラスメイトが大勢いる前で詰め寄られ、頭を強打したことを椋伍リョウゴは思い返し、苦笑いを浮かべた。

 詰めていた息はゆるりと抜き、やがて「……ハイ」と応じて、とつとつと話し始めた。


 彼女――天龍ユリカは、椋伍リョウゴのひとつ上の中学三年生という設定だった。

 というのも、彼女は大昔に死んでいる。

 儀式を経て成ることができる「カミサマ」という土地神のようなものに一度は成ったものの、あらぬ疑いをかけられて村から追い出され、怨霊にも成れず、中途半端な存在になってこの世に留まっていた。

 椋伍の目の前にいる今の菖蒲アヤメと同じように、人間のふりをして暮らしていた為、あくまでも設定なのだ。名前だって家名以外は偽物である。

 彼がユリカと出会ったのは先述の通り、神隠市カクリシ

 そこに居るのは基本的には村の血を継いだ死者のみで、永らく留まると異常をきたし、狂い、暴走してしまうのだとユリカは言った。

 それを放置すると神隠市カクリシは同じ日、同じ時間を繰り返し、次々と他の死者も異常をきたしてしまうのだ、とも。

 それを原因となった死者を「魂ごと殺す」ことで被害を最小限にしていたのがユリカだった。


「で。オレは諸事情があって、死んでないのに神隠市カクリシで暮らしてたんですけど、その暮らしぶりが異常だったみたいで。ユリカさんに目つけられて教室に押しかけられました」

「言い方には気をつけろ。姉様がそんなに荒っぽい事をする訳がないだろうが」

「いやいやそういうひとでしたけ――」

「はァ?」

「そーういうひとじゃないですよねー! スミマセン!!」


――怖ぇーよ、アンタ達二人とも。


 言葉遣いに煩かった彼女の姉の方はしばしば「敬語を使え」と椋伍を睨んでいたものだ。

 心の叫びを必死に押し隠し「続けます」と告げると、菖蒲アヤメが「ねえ」と遮った。


「暮らしが異常というのは何?」

「その辺の幽霊とか、妖怪とか、とにかく曰くがあるものにひたすら塩をかけてました」

「……。え? 何?」

「さっき口裂け女にやってたみたいに、手当たり次第に塩かけてました。あと、その記録も残してました」

「あれを? 出会い頭に? ……精神的に大丈夫?」

「ハハッ」


――神様レベルの怨霊になっちゃったひとに言われたくねーよ!!


 椋伍は泣きたくなった。菖蒲だって精神が乱れて怨霊になった存在なので、笑うにとどめたが。


「それでは姉様ねえさまはお前の腕を見込んで、あそこの下衆共の子孫を殺すのではなく救う方法を選んだと言うの?」

「まあ、そんな感じです」

「お前に利点がないじゃない」

「いや、オレもオレでやりたい事があって」

「ふうん……。村八分にでもされていたの? だから道すがら塩をかけて襲いかかるだなんて野蛮なことを?」

「いや、ソレ最初はトモダチが襲われないようにってやってたヤツなんで。そうじゃなくて」


 椋伍は言い淀んで、ひそりと声をおさえて問いかけた。


「オレ、姉ちゃんを生き返らせるか、周りを殺すかしようとしてたみたいで。それを止めるためにユリカさん側についたんですよ」

「お前を木に縛り付けた方が早いのでは?」

「やめてください」

「そして川から海へ流した方が、余程世のためになるのではないの?」

「ホント勘弁してください、違うんです、オレ分裂してるんです魂が!! その魂の片割れが好き勝手に動き回って、死んだ姉ちゃんのためっつって神隠市カクリシも村も滅茶苦茶にしようとしてたんです!!」


 とうとう菖蒲が首を傾げ始めた。


「お前の姉君のことはどうでもいいけれど、お前って本当にちぐはぐで変な子ね。肉体から半分だけ魂が出ているの? だとしたら、お前は魂の方でしょう? 何を核にしたらそんなにはっきりくっきりと存在出来るの?」

「えっ、核? 無いとダメ? 世の中そういうモンなの?」

「うん」

「はー……」


 そういうものなのか。

 説明するつもりがされる側になってしまった椋伍は、難しい顔で見つめる菖蒲の前で、ううんと唸る。


「それで、姉様がどうなったかは知っているの? 知らないの?」

「分かんないです。村のこともユリカさんの事もまともに考えるより先に、なんか姉姉アネアネサギされたし……今焼肉してるし。何が何だかってカンジですね」

「チッ」


――舌打ち!?


 目を丸くする椋伍を他所に、菖蒲アヤメはイラつきを隠しもせず表情に出し、網の上に次々と肉を並べ始めた。


「食べたら探すわよ。お前の方がカクリシに詳しいんでしょう?」

「ええぇ……」

「返事」

「はい」


 ハイとイエスしか選択肢がない圧力に、椋伍リョウゴは負けた。

 項垂れ心の中で「オレも振り出しに戻った人間なのになー」と思いながらも肉を口に運ぶ。

 何度咀嚼しただろうか。長い沈黙が流れ始めた頃、


「オレまた紙になってる? かも……?」


 そう呟き、今度こそ菖蒲アヤメは絶句して椋伍をまじまじと見つめたのだった。

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