一章
「口裂け女」
友人と井戸の周りで騒いでいたせいもあるが、助けに来た姉が取り返し、代わりに払った代償は大きかった。
姉が自身の魂と、持てる能力の全てを捧げたのだ。
みるみる弱った姉は、最期にはこの世のものではないモノに命と首を奪われ、椋伍は罪の意識に苛まれ狂いそして――忘れさせられた。
忘れさせられ、魂は再び切り離され、そうして生活していたのがついこの前。
行きずりの「曰く」に塩を振りかけて消し去る日々を送っていた彼は、生活している世界がこの世ではないことを初めて知った。
「ここどこだよ……」
校門前で待っていた少女に並び、通学路を歩きながら
隣の少女は彼を見上げ、にこりとひとつ微笑み「なあに?」と返すのだから笑えない。
――誰だアンタって言いてェエーっ!! 知ってるけど言いてェー!!
姉の振りをする少女は、外見も何もかも姉をかすりもしない。誰だ、と言いたい。しかし
――お前は一体何なんだ。誰の許可を得てここに居る。
この世ではない場所、
その主である少女ユリカと出会ったのも
あの力強い猫目と深紅の瞳は、
そもそも、彼女とそっくりな容姿の少女が今隣で歩いているのだから忘れようがない。
彼女はそのひとの妹でもあり、
「りょうちゃん、急がせたみたいでごめんね。遅かったから心配だったの」
「へっ、ふーぅん!? ありがとう、全然、全然大丈夫ダヨ」
「そう?」
――困った顔してるけど困ってるのこっちなんですよね!? っていうかそういう顔できたの?
そろそろ声が引きつってきたところで、
姫カットにされた長い黒髪に、白い肌。幼さの残る顔立ちは精巧に作られた人形のように整い、猫のような目の縁の中に収まる瞳は黒黒としている。
ほんのりと桜色に染まる唇すら形がよく、ひかえめに上げられた口角は椋伍との次の会話を待っていた。
大昔に生じてしまったこの怨霊は、双子の姉を惨たらしく殺されてしまったために永く村を祟り、蝕み、村人からは「アヤメサマ」と呼ばれ恐れられていた。
なんせ雪の日に出歩く、一声その姉の名前を口にする、もしくはアヤメサマの存在を疑問視するだけでも遭遇、もしくは家を訪ねてくるのだ。
だが、ついさっき。
本当についさっき椋伍が落ち着かせたはずだった。それなのに、
――暴れる怨霊から、ちょっと会話ができる悪霊くらいにはなって、なんとかひと段落ついたとか思ってたのに。なんで? なんでオレのケータイに成りすましメールとかしてんの? なんでオレの姉ちゃんのモノマネしてんの? 怖すぎない?
怯えるあまり真顔になっている
あれから
「ちょっとごめん」
ようやく
パッと姉モドキは表情を華やがせ「うん!」と返し、
人通りが少ない通学路。片側一車線の狭い道路を詰まりながら走る車越しに、向かいの歩道が見える。
通行人と談笑する八百屋や、シャッターを下ろす店、帰宅中のサラリーマンの姿もちらほらとあり、
膝下の高さの岩塀に片足をかけ、肩掛けのスポーツバッグを膝に乗せる。エナメル独特の滑りに手間取りながら、彼はずっと手にし続けていた紙束を開いた。
「りょうちゃん、それなあに?」
「あー……
「……。何?」
やっと、人間味がある表情を少女が出した。怪訝そうな彼女を無視して、汗が滲む指でページをめくる。
――オレが忘れないように「曰く」を書き溜めたノート。ユリカさんは消したり、燃やしたり、書き足したりするなって言ってオレから没収したはず。なのに今オレが持ってるってことは、もしかしたら……アヤメサマ対策とか載ってるかもしれない!!
「ねえ、りょうちゃん」
「ちょっと待って会話術の練習してるから」
「会話した方が早くない?」
「基礎がなってないとダメだから」
「んー……でもそれ、オバケの事しか載ってないみたい。字が汚いからよく見えないけれど」
「オバケとか分かるんだ!?」
――大昔からの怨霊で、時間が止まったまま人間襲いまくってたのに!?
思わず声をひっくり返した
「あっちかな」
と答え、にこりと微笑んだ。
「どういうこと?」
「ん? 会いに行きたいんじゃないの?」
まさかという言葉を飲み込み、
こうして彼は怨霊だった少女と共に、彼自身が適当に選んだ「曰く」に会いに行くことになったのだった。
「
そこから二〇〇メートル離れた先には、椋伍が唱えた名を評した「
「静かな場所ね」
「まあ、夕方は。歩道橋くぐった先の大きい交差点とかは色んな会社とか、マックとか、食べ物屋があるから、朝昼はもっと人いるよ」
「じゃあ帰りにも使いそうだけれど」
「出るから」
「……」
「車に跳ねられたはずの人がいない。探してる内に後ろから『私キレイ?』って聞かれて、答えられないと殺される」
そういう話と、と椋伍は紙面を指でなぞって続ける。
「あと、小学生が下校中にめちゃめちゃ足が早い女の人に追いかけられて、やっぱり『私キレイ?』って聞かれて答えられなくて襲われる、とか。そういう話が出てるから、夕方のこの時間には誰も使わなくなった――みたい? ダチと一緒に会ったことあるけど、そのひとは赤い服きてたよ」
「……そう。じゃあ、あそこで手を振っているのがそのひとかしら?」
「は?」
眉をひそめ静かに耳を傾けていた少女に言われ、
歩道橋の上に女がいる。真っ赤なコートを着込んだ黒髪のそれは、大きな白いマスクをつけ、目だけをギリギリと弓なりにしならせて笑っていた。
「はッ――出た」
「私、キレイ?」
咄嗟にバッグの中へ手を伸ばそうとした
遅れて風がぬるりと流れる。
――ま、瞬きした途端にコレって。まずい。
目をそらさず、彼は肌と産毛で後方の少女の気配を探る。
――何がって、アヤメサマがどう動くかがぜんっぜん分かんないのがかなり、まずい!! やっと人っぽくなったのに、また祟り神みたいになったらヤバい!! この辺一帯が祟られる!!
「私、キレイ?」
――うるせェよ!!
女はさらに問いを重ねる。
怒りは間違っても口に出せない。
女の手がゆっくりと動き、
掴まれる、掴まれる――。
「余程自分に自信があるのね」
張り詰めた空気を動かしたのは、少女の方だった。
姉を無理やり模した口調は捨て、冷え冷えとした眼差しをぶつけながら、
「自信があって、それを周りに認めて欲しいというのなら敢えて私が言ってあげる。――失せろブス。二度と来るな」
「ウソォ!?」
「ヴォアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「うわぁあああああああああああ怒ったまたかよクッソォオオオオオオオオ!! 塩塩ォオオオッ!!」
「ギャァアアアアアアアアアアアッ!!」
ザザザッ!!
「もう絶対会いたくない!! 帰ってほらダッシュ!! ダッシュ!!」
蒸気を上げ絶叫する女へ向けて力の限り叫び、こうして女はマスクの下を見せる間もなく、
「ほんと……ホントやめてよ……。オレこれにちゃんと、頭らへんに書いてんじゃん。ブス厳禁って。なんで
「りょうちゃんの塩って凄いのね。痛そう」
「これだもんね。話聞かないし。あと痛いかもしれないから開けないでね」
「へー、そう」
めそめそしながら
それよりも、彼が女に向けて振りかけた食卓塩の方が気になるようで、手の中で瓶を転がしている。
はあ、と
そのまま渋面になってノートをぺらり、ぺらりとめくっては「これオレが処理し終わった奴らばっかじゃん。腹立つ。全部消してやろ」と言い最後のページへたどり着いた。
「……。何それ」
「え?」
途端にひたり、と少女の声が
黒曜石のような瞳には影が差し、真っ白なページの真ん中に鎮座する一行の言葉に釘付けになっている。
――姉を救え
彼自身も驚いた記載だ。他の乱雑な字とは似ても似つかないそれは美しく、ボールペンのようなもので細く書かれている。
それに
ゾッと
姉の為に祟ったひとだ。
こんなものを見てまた怨霊に戻ったりでもしたら、と思うのにノートを閉じる手が固まって動かない。
そうしている間に、益々彼女の全てから温度が無くなっていく。
「その字は、あいつの……。どうしてお前がこれを持っているの」
そっとノートに触れられ、見上げられた
「なんでそんなに、姉ちゃんの真似が雑なんですか……ッ!!」
とうとう思いの丈を口にしたのだった。
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