第15話 刺客

 皇帝が娘を使って自軍の元帥をハニートラップにかけようとしていたころ、反乱軍の支配するカメードの酒場は賑わっていた。


 この酒場はカメードの中心部にあるいたってありふれた酒場である。


 主に中流層から下流層の市民たちが仕事帰りにふらっと訪れ仲間たちと、ときにはその場で出会った者たちと交流を楽しむ大衆酒場である。


 が、この酒場にはもう一つの顔がある。


 良くも悪くも無秩序で治安があまりよいとは言えない雑然とした酒場には不似合いなドレス姿の女。


 酒場の男たちが思わず二度見をするその美貌とグラマラスな体躯を持ったその女は、男たちの目移りには目もくれずカウンターにやってくると唯一マスターにわずかに歯を見せる。


「マスター、果実酒をウィスキーで割ったものをホットで出してくれる?」

「かしこまりました」


 そんなわけのわからない注文をする女にマスターもまたわずかに笑みを浮かべると、彼女を店の奥へと案内していった。


 マスターに案内され奥のドアを進むとそこには長い階段が伸びており、それを下りるといくつかの扉のついた狭い地下室が視界に映る。


 その中の一番奥にあるドアをマスターが開くと、そこには大衆酒場には不似合いな革張りの高級ソファが4つ並んでおり、うち3つにはスーツ姿の男が腰を下ろしていた。


「あら、早いのね」


 なんて女は彼らに気さくに話しかけてみるが、彼らは特にリアクションを取らずに開いているソファに着席するよう促すので彼女は軽く微笑んでソファに腰を下ろした。


「で、今回は誰と会えば良いのかしら?」


 と単刀直入に彼らに尋ねるその女の名はリサというが、それが本名なのかどうかを知っている人間は少なくとも彼女以外にこの空間にはいない。


 そんな彼女の疑問にスーツ姿の男の一人がテーブルに置かれた封筒を彼女に差し出した。


「帝国陸軍元帥ルーク・ルップル。お前もこの男の名前ぐらいは聞いたことがあるだろ?」

「まあ? 今度は軍人さんなのね? 私、軍人さんとはお付き合いしたことがないから楽しみだわ」

「この男は士官学校を卒業後、類い稀なる才能で数年で元帥まで上り詰めたとんでもない逸材だ」

「若いのね……。私より3歳年上なだけじゃない」


 リサはこれまでミルデシア帝国の多くの文官を虜にして、あらゆる情報を反乱軍に流してきた。


 その多くはリサよりも20歳も30歳も年上の父親、場合によっては祖父のような年齢の文官だった。


 少なくともリサが依頼されたターゲットの中でもっとも若い男である。


「私にできるかしら?」

「やってもらわなければ困る。帝国陸軍は全てこの男の一存によって動いているのだ。この男から情報を聞き出すことができれば反乱軍は明日にでも帝都を攻め落とすことができると言っても過言ではない」

「そう……まあそれは私にとってはどうでもいいことだけれど、報酬をはずんでくれるのなら私に断る理由はないわ」


 リサの目的は金だけである。それ以上でも以下でもない。報酬さえ手に入れることができれば明日帝国が滅びようと、逆に反乱軍が帝国に滅ぼされようと彼女にはまったく興味がない。


 そして、そのことを当然ながら男たちも理解している。


 だから。


「これが今回のお前への報酬だ」


 そう言って男は一枚の紙を彼女に手渡した。


 そのペラペラの紙にはネアス銀行の名前と1にゼロが無数に書き並べられた思わず目のくらむような金額が書き込まれており、この紙が本物であることを照明する魔法石の欠片を混ぜた塗料で描かれたネアス銀行のエンブレムが浮き上がっていた。


 そして、エンブレムの横には通し番号が書かれている。


 小切手である。


「前金はこの小切手のうちの十分の一に設定してある。ミッションを達成するにつれて引き出せる金額が増えていくよう銀行には話をつけてある。この金額は報酬の最高値だと思ってくれ」

「凄い……」


 思わずリサはそんな声を漏らしてしまう。


 これだけのお金が手に入れば、一生生活に困らない……どころか願ったことはなんでも実現してしまいそうだ。


 が、


「これだけの金額を支払うってことは、相当難易度の高いミッションみたいね」

「伝え聞いた情報によれば彼女は王女であるリルル殿下に現を抜かしているようだ。その好意をなんとかお前に向けさせて情報を取ってきて欲しい。具体的な情報については追って使者を送る」

「…………」


 リサは小切手を眺めながらこれが自分の最後の仕事であることを理解した。


 これだけのお金が手に入れば自分の夢が叶う。そして、こんな下らない仕事から足を洗うことができる。


 必ず成功させよう。命を賭けてもミッションを成功させよう。


 そう誓って小切手を懐にしまい資料を手に取ると立ち上がった。


 そして、男たちに笑顔を向けて「じゃあ私はこれで」と軽く微笑むと酒場を後にした。

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