第5話 優しい嘘

 さて、公邸に戻ってきた俺は全身謎のやる気が漲っていた。


 やろうっ!! やってやろうっ!! というかやらねばならないっ!!


 はっきり言ってこれまでの俺は抜け殻のような存在だった。半ば強制的にこの崩壊寸前に帝国陸軍の指揮官をやらされ、全ての責任を背負わされていた。


 当然ながら最終的には引き受けたのは自分だし、約束通り家族も新たな身分とともに安全に国外脱出させてもらった。


 けれども、それは圧倒的なマイナスから少しフラットな状態に近づけてもらっただけで、元帥を引き受けたことによって受けられるプラス要素はなかった。


 そもそも家族を無事逃がした時点で俺の目的は達成しているのだ。


 ここからさらにやる気を出して頑張るためのインセンティブはない。


 どうせ負けるだろうし、殺されるだろうし……。


 今から敵将に助命嘆願の手紙でも送るか?


 いやいや、さすがにそんなことをしても司令室の暖炉の薪に使われて終わりだろうし、そんなことが帝都の人間にバレれば即刻処刑だ。


 俺はただ座して死を待つしかないのだ。


 さっき耳にした噂話は灰色だった俺の人生に色を付けてくれた。


 もしも……もしも勝てればあの美しいリルル王女と結婚ができるかもしれない。


 当然ながらその噂話が本当だったとしても、帝国の圧倒的な劣勢は変わらないのだけれど、司令室からの帰りに妄想したリルル姫との結婚生活が現実になるかもしれないという希望は見えた。


 それに俺はリルル王女の存在を知ってしまった。


 あんなに心優しい(であろう)、お淑やかな平和の象徴(であろう)のような女性が、敗戦によって酷い目に遭ってしまうのは俺には堪えられない。


『わ、私があなたの性奴隷になれば帝都の人々を救っていただけるのですか?』

『ぐへへっ!! それはお前の態度次第だなっ!! 私の愛妾になれば帝都民たちの生活は保障しようっ!!』

『そ、それは本当なんですかっ!? 私が我慢すれば皆が幸せになるのですね?』

『ぐへへっ!! そうだな。検討してやろう』

『わ、わかりました……。あなたさまの仰せのままに(灰色の目で)』


 ぬああああっ!! 堪えられんっ!! 心優しいリルル王女が薄汚い外道領主たちにめちゃくちゃにされるなんて……。


 そう、彼女を救うことができるのは俺や、俺についてきてくれた陸軍の兵士たちだけなのだ。


 勝たねばっ!! 何がなんでも勝たねばならないっ!!


 その最悪な妄想は俺を奮い立たせるには十分すぎる動機を与えてくれた。


 ということで公邸に戻ってきた俺は年季の入った書斎で全身の血液を脳みそに流し込む。


 考えろルーク。お前の働きに帝国の命運、いやリルル王女の命運が懸かっているのだ。


 リルル王女を笑顔にできるのはお前だけだ。


 ということで俺はフル回転させた脳みそで、士官学校で学んだこと、戦死した上官が教えてくれたこと、自分が目にしたものを思い出しながら思考を巡らせていく。


 まずはもっとも無難な作戦を立ててみる。が、当然ながら兵力の差は歴然で到底勝ち目はない。


 が、これは想定内だ。最初に無難な作戦を立ててそこからそれを崩していく。


 実際に前線で戦っていたときにいくつか不審に思ったことがあった。


 それらをメモに一つ一つ書き出していく。


 そして不信感や違和感、疑問を一つ一つ解決するように思考を巡らせた。


 ここは崩壊寸前のミルデシア帝国である。もはやこんな状態で前提なんてものは存在しない。


 崩壊寸前の帝国では何が起こるのだろうか?


 そんなことを考えながら俺は立ち上がる。


 書庫に並んだいくつもの本棚とそこに収蔵された戦記や兵法、その他あらゆる資料を眺めた。


 本棚へと歩み寄ると無数に並ぶ背表紙から、手がかりになりそうな資料を片っ端から引き抜いて執務机に巨大な資料の塔を積み上げていくのだった。


※ ※ ※


「中尉、諜報部が報告書を寄越してきました」


 ルークが謎のやる気に漲って書斎の資料を読みあさって数日が経ったある日、公邸横の詰め所に待機していたユナの元に資料を持った兵士がやってきた。


 どうやら諜報部から”下らない”噂話の調査報告書が送られてきたようだ。


「そうですか……それはご苦労様でした。ありがとうございます」


 そう言って兵士にお礼を言って報告書を受け取ると「はぁ……」とため息を吐く。


――あ~あ……ホント心の底から下らない報告書だわ……。こんな下らないことに諜報部を使うとか陛下に顔向けができない……。


 それが報告書を受け取ったユナの本心である。


 ユナは自分の上司が既にリルル王女にメロメロになっていることは理解している。


 なにせ移動中の馬車や食事中に、なにやら心ここにあらずでうわ言のように「リルル殿下……」と呟く姿を幾度となく見ているからだ。


 しかもそのうわ言に本人がまったく気づいていないのがまた質が悪い。


 おそらく諜報部にこの下らない依頼をしたのも『ワンチャン、リルル姫と結婚できるかもっ!!』と思って真意を確かめたかったからに違いない。


――なにが、情報が王国に亀裂を生むよ……。亀裂どころか柱を残してほぼ全壊してるわよ……。


 が、まあ上司からの命令である以上やらなければならない。


 文句の一つでも言ってやらないと腹の虫が治まらない彼女だが、彼女は別にルークの実力を認めていないわけではない。


 ルークは優秀な上司である。


 何を考えているかわからないことは度々あるが、この男には常人には思いつかない突飛なアイデアを思いつく才能があるのだ。


 同じ部隊に所属していた彼女は、幾たびもの戦闘で一見あり得ないような作戦を立案して、実際に戦いを優位に進めていく姿を幾度となく見てきた。


 魔術や剣術の模擬試合でも他の兵士を圧倒する姿も幾度となく見ているし、軍人としての能力が高いのは確かだ。


 それになによりユナはルークが元帥という誰もなりたくない立場を、押しつけられたとはいえ引き受けたことにも尊敬はしている。


 が、やっぱりそれとこれとは別問題だ。


 イライラする気持ちを抑えながらユナは報告書へと目を落とした。


 なんというか報告の内容はユナの思った通りだった。


 どうやら皇帝が武功を立てた者とリルル姫を結婚させるというのはガセネタのようだ。


 報告によるととある文官が口にした『皇帝が兵士の士気をあげさせるのは簡単だ。敵将の首を取った者をリルル姫と結婚させると言えばいい』と皮肉たっぷりの冗談を口にしたようで、それに尾ひれが付いたようである。


 ということでユナは早々に報告書を持ったまま立ち上がって、ルークの籠もっている書斎へと歩き出そうとする。


 が、数歩歩いたところでふと疑問を抱いた。


――待てよ……。バカ正直にあの男に報告内容を伝えたらどうなるかしら……。


 ここのところルークは無駄にやる気が漲っている。


 あれからルークは無駄な作戦会議は開かず書斎に籠もって作戦を練っているようだ。それに資料も読み込んでいるようで、作戦についてルークから意見を求められることも何度かあった。


 これはおそらくあの男がリルル王女と結婚できると信じているからだ。


 そんな希望を打ち砕いてしまったらどうなるだろうか?


 おそらくあの男は一気にやる気をなくす。


――それは色々とマズい……。


 そのことを理解したユナは近くの兵士へと目を向けた。


「悪いけれど私の机に紙とタイプライターを持ってきてくれない?」


 ここは優しい嘘を吐いておいた方が良さそうだ。

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