第4話 噂話

 というわけで司令部へと戻ってきた。


 すっかり日は落ちて夜を迎えているにもかかわらず、司令部は慌ただしく人々が行き来しており業務が終了する気配は微塵もない。


 そりゃそうだ。なにせ滅亡はもう目の前まで迫っているのだ。


 俺たちに眠っている暇はない。


 司令部の通路を行ったり来たりする文官や兵士たちを横目に俺は、再び会議室に人を集めると皇帝から言われたことを彼らに伝えることにした。


 が、正直なところ戻ってきたところで話すことなどなにもない。


 ただただ皇帝に降伏の意思が全くないこと、文官たちは現実逃避と皇帝へのおべっかで楽観的な提案しかしてこないことを司令官たちに伝えるだけだ。


「とにかく今は反乱軍の侵攻を必死で食い止めるしかない」


 降伏も籠城もできない以上、俺の口から言えることはそれしかない。そして、司令官たちもそのことを理解しているようで、俺に意見をするものもいなかった。


 はぁ……終わりだよ……。


 元帥として決して口に出すことはできないが、軍内の心はそのことで一つである。


 徐々に直轄領が陥落していき、それを指を咥えて眺める。最終的には全ての責任を背負って首チョンパされる。


 それが今の俺にできるたった一つのことである。


「元帥。本日はお疲れでしょう。ご自宅にお戻りになってゆっくりお休みください」


 中将からそう言われた俺はわずかに苦笑いを浮かべると、中将の心遣いを素直に受け取ることにした。


「貴様らも適度に休息をとらないと気が持たないぞ。帝国はかなり厳しい状態だが、数日で落ちるほど脆くもない。来るべき日に備えて各自休息するように」


 そう言い残すと俺は会議室を出て自宅へと戻ることにした。


 まあ、自宅と言っても司令部のすぐ近くにある公邸なのだけれど。


 ということで慌ただしい司令部の狭い廊下をとぼとぼと歩いていた俺……だったのだが。


「おい聞いたか? 例の噂?」

「噂? あ、あぁ……リルル殿下のことか?」


 なんて会話が耳に入るものだから思わず俺の足が止まる。


 ん? リルル王女がなんだってっ!?


「閣下?」


 突然俺が足を止めるものだから前を歩いていたユナ・マグナ中尉もまた足を止めて首を傾げる。


 こいつは前にいた部隊で何かと気が利く便利な部下だったからつれて来た副官である。


 紅色のセミロングの髪が特徴の19歳の女で、目鼻立ちはしっかりしている客観的に見れば美少女だ。


 なぜ客観的にというかというと、基本的に俺は異性であっても同じ軍人である以上、可愛いとか可愛くないみたいな判断ができなくなるからだ。


 いや、今はそんなことはクソほどどうでも良い。


 俺は副官を手で制すと、瞳を閉じて人生で一番聴覚を研ぎ澄まして会話へと耳を傾ける。


「なんでも皇帝陛下は戦争に勝利した暁に、もっとも武功を立てた人間にリルル殿下を結婚させるんだって」

「おいおいマジかよっ!? リルル殿下ってめちゃくちゃ美人で性格も良いんだろ? 俺、頑張って敵将の首を取ってこようかな」

「お前みたいな腰抜けにはできねえよっ!! ってか俺らみたいな門番が戦闘に参加するような状態になったら、それこそ帝国は滅亡だ」

「にひひっ……ちがいねえな」


 …………。


 一通り聞き耳を立てて彼らの会話を盗み聞きした俺は、ゆっくりと瞳を開くと噂話をしていた兵士が誰なのか特定作業を行う。


 うむ、おそらくあいつらだな。


 そう確信した俺は副官に「ちょっと待ってて」と伝えると彼らの元へと一目散に駆けていく。


「おいっ!!」


 そして自分と似たような年齢の若い兵士の胸ぐらを掴むと顔面を接近させて睨みつける。


 突然、胸ぐらを掴まれた兵士は驚きのあまり「ひぃ……」と情けない声を漏らして怯えた目で俺を見つめていた。


 そしてさっきまであれほど慌ただしかった廊下は、一瞬にして静寂に包まれ兵士たちの視線が俺へと一斉に向く。


 が、俺はそんなことに構わず兵士を追究する。


「おい、貴様、さっきなんの話をしていた?」

「は、は、話ですかっ!? な、なんのことでしょうか?」

「とぼけるなっ!! リルル殿下の話をしていたのは貴様だな?」

「え? あ、はいっ!! そ、そうですが……」


 どうやら合っていたようだ。


「リルル殿下のよくわからん噂話を流布するとはどういうつもりだっ!? 貴様は王国内を混乱させるつもりか?」

「も、申し訳ありませんっ!! 決してそのようなことは……」

「ならば殿下の下らん噂を流すことはやめろ。貴様はくだらん世間話をしているつもりかもしれんが、このような真意不明の話が伝われば不敬罪に問われかねんぞっ!!」


 そうだ。こんな噂が王国中に広まってしまえばライバルが増えるではないか。


 以後、この情報は軍の最高機密として厳重に秘匿しておく必要がある。


 どうやら兵士もことの重大さに気づいてくれたようで「申し訳ありませんっ!!」と涙目で謝ってきた。


 わかったのであれば良い。


 ということで俺は兵士の胸ぐらから手を離すと、彼の乱れた軍服を整えてあげた。


 それはそうと。


「で、その話は本当なのか?」


 そう尋ねると兵士は「は、はい?」と目を丸くして首を傾げる。


「貴様はその話をどこで耳にした」

「え? あ、え~とそれは……近頃、兵士たちの間で噂となっておりまして複数の兵士から聞きました」

「で、それは確度の高い情報なのか?」

「はい? い、いえ……そこまでは……」

「わかった。今後は不用意な発言は控えるように」


 そう言って兵士に敬礼をすると、副官のもとへと戻る。


 なんだろう。理由はわからないけど今、俺の心の中でやる気が漲ってくるのを感じる。


「おい、ユナ」


 ということで副官の名を呼ぶ。


「いかがいたしました?」

「今すぐに諜報部に赴き、噂の出所を調べさせろ」

「はい? 噂の出所ですか? 噂というのは……」

「聞いていなかったのか? リルル殿下の結婚の話だ。徹底的に調べさせろ」

「お言葉ですがそのような与太話を諜報部に調べさせるのは……」

「与太話だと? これは帝国内を攪乱させようとする敵の情報操作かもしれんっ!! ただの与太話だと切り捨てるのは軽率だ」

「な、なるほど……」


 と一応は返事はするものの、何やら彼女の目は冷ややかだ。


「中尉よ。情報を侮ってはならない。国という存在は根も葉もない噂話から亀裂が生じることだって十分にあり得るのだ」


 それでもごり押しでわけのわからない言い訳をしていると、彼女は面倒になったのか「とりあえず諜報部にいけば納得するのですね?」と相変わらず冷めた目で俺を見つめてから諜報部のほうへと歩いて行った。


 頼む……事実であってくれ……。


 事実だったら俺は本気で帝国のために身を粉にして戦うから。


 そう願いながら再び廊下を歩き始めるのだった。

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