第3話 本性

 あぁ……なんだか頭がぼーっとする……。


 馬車に乗りながら俺の頭の中はさっき出会ったリルル王女のことでいっぱいだった。


 可愛かったな……なんか良い匂いしたし……。


 本当ならば一分一秒休むことなく戦のことを考えるのが正解なのだろうけど、今の俺は自らの絶望的な境遇も、陸軍の圧倒的な劣勢も頭から吹き飛んでしまうほどにリルル王女のことしか考えられない。


 あのくりっと大きな瞳も、透き通るように白い肌も、それでいて彼女に押さない印象を与える少し小さめの口も全てが俺の心を射止めるのには十分すぎた。


 それでいて王女だというのに横柄なイメージも一切なく、少し悪戯っぽく笑みを漏らす姿も脳裏に焼き付いて離れない。


 俺、ルーク・ルップルは一目惚れをしてしまいました。


 まあ、だからなんだと言われればそれまでなんだけど、まさかたった一分足らずの時間で自分がここまで彼女に心を奪われるなんて思ってもみなかった。


 当然ながら俺が彼女に一目惚れをしたからどうこうなるというわけではない。


 彼女は皇帝の娘である。一応俺も爵位は持っているが俺のように押しつけられて渋々着任した陸軍大将と彼女とでは身分が違いすぎる。


 それに今はそんなくだならいことに現を抜かしている場合ではないことは、俺が一番理解している。


 どう考えても一目惚れをしている場合ではない。


 それでも脳裏に彼女の顔を浮かべながら俺は頬が緩むのを抑えることができなかった。


 か、可愛かったな……。


 きっと性格も穏やかでとても良い子なんだろうな……。


※ ※ ※


「ちょ、ちょっと待って……鳥肌が止まらないんだけど……」


 デリダ城の庭園。ミルデシア帝国の第一王女リルルは腕にできた鳥肌を眺めながら顔を青ざめさせる。


「リルルさま、お体の具合でも悪いのですか?」


 そんな彼女を心配そうに眺めながら、リルルの専属メイド、ティファは首を傾げた。


 季節が春になってから気温の寒暖差が激しくなったのだ。今夜は少し冷えるため主は体調を崩してしまったのかも知れない。


 そう思ってリルルを見やったのだが、ティファの言葉にリルルは首を横に振る。


「違うわよ……さっきの男よ……」


 なんて言いながら同意を求めるようにティファを見つめてきたので、彼女は主の言葉の意図を理解する。


「あ、あぁ……なるほど……」


 リルルが言うさっきの男というのは新しく陸軍大将になったというルーク・ルップルのことのようである。


 ティファ自身も軍隊についてあまり詳しいことは知らないが、二十歳そこそこの軍人が陸軍大将になるのは異例中の異例だということぐらいはわかる。


 聞いた噂によると軍内では現在責任の擦り付けあいが起こっているようで、誰も軍のトップになりたがらないのだという。


 どうやらあの若い兵士は彼らのスケープゴートにされたのだろう。


 なんとも気の毒な話である。


 リルル王女はそんな陸軍の現状に憂い顔を青ざめさせたのだろうか?


 いや、違う。ティファはそのことを自信を持って言える。


「リルルさまはお美しいので仕方がありません。年頃の若い男であればなおのことリルルさまの美貌に惹かれるのは仕方がないでしょう」

「私にはわかるわ……あれは変態の目だった。それになんか鼻をぴくぴくさせて私の匂いを嗅いでいたし……」

「…………」


 ティファには何も言えない。


 確かに例の若き元帥がリルル王女に一目惚れしているのは、傍から見ていたティファから見ても明らかだった。


 そんな陸軍元帥の顔を思い出してリルルは思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 リルル王女に惚れてしまうなんてあの男はなんて不憫なのだろうか……。


「あぁ……ダメ……あのいやらしい目線を思い出して今夜は眠れそうにないんだけど……」


 そう言って王女は手のひらで鳥肌の立った腕をごしごしする。


 おそらくこの帝国で彼女以上に腹黒い女はいないだろう。


 それがティファのリルルに対する率直な感想だ。


 とても人懐っこくて誰に対しても分け隔てなく接することができる心優しい王女。


 それが世間のリルル王女に対する評価である。が、彼女が幼い頃から仕えているティファは知っている。


 彼女の異常なまでの外面の良さを……。


 基本的にティファと二人きりのとき以外のリルルは貴族たちや周りの文官、さらには家族である両親や兄弟たちにも笑顔を振りまき性格の良さをアピールしてまわる。


 周りの大人たちはそんなリルルにすっかり騙されて皇帝に関しては目に入れても痛くないと豪語するほどに寵愛している。


 が、ティファと二人きりのときのリルルは違う。


 あのときのご飯が不味かったや、あの貴族の目がいやらしい等々、思ったこと全てをぶちまけるのだ。


 ティファ自身そんな素直なリルルのことは嫌いではないのだが、清楚可憐なイメージが脳裏に焼き付いて彼女に現を抜かす男たちを見るとなんとも言えない不憫な気持ちになってしまう。


 どうやらまた新たな彼女の被害者が出てしまったようだ。


「そんなことよりも例の噂は本当なの?」


 と、そこでリルルがなにやら不快そうな顔でティファを見やる。


「例の噂とは?」

「私の結婚の話よ。なんでもあの変態狸が私を結婚させようとしているとか……」

「え? あ、あぁ……」


 どうやら王女は例の噂を耳に入れてしまったようだ。


「なんでも皇帝陛下が勝利の功労者にリルルさまとのご結婚を約束して文官や軍の人間を鼓舞しているとかなんとか……」

「それよそれっ!! あの変態狸、また余計なことしやがって……」


 ちなみに変態狸というのはリルルの父であり皇帝ルイドン5世のことである。


 皇帝はとても女癖が悪く、かつてリルルの身の回りの世話をしていたティファの同僚を手籠めにし子どもを作った過去がある。


 そのことを知ってからリルルは父を生理的に嫌悪しており、ティファと会話をする際はもっぱら変態狸呼びである。


 最初のうちはリルルを窘めていたティファだが、最近では面倒になってきて訂正はしてない。


「どうやらそれは城内の誰かが面白おかしく吹聴したデマのようです」


 ティファはその噂を耳にしたとき、できる限り多くの人間からそれとなく聞き取りを行ったがどうやら正しい情報ではないようだ。


 そんなティファの言葉にリルルはほっと胸をなで下ろす。


「言っておくけど私は誰とも結婚するつもりはないから。好きでもない人間と結婚するぐらいなら帝国と一緒に死ぬつもりよ」

「リルルさま、そのように縁起でもないことは」

「どうせ帝国から逃げることなんて不可能だし、捕まったところでろくな目に遭わない。それならば私は潔く死ぬつもりよ。まあティファにはお世話になったから、なんとか帝国から逃げられるように手は回すけれど」

「…………」


 そんなリルルの言葉にティファは何も答えられなかった。


 そして彼女たちはこのとき気がつくことができなかった。


 誰が言い始めたかもわからない下らない噂話。


 その噂話を本気にしたバカな男がいて、その男のバカな勘違いによって世界の歴史が大きく変わることに。


※ ※ ※


 あんなに心が浄化されるような感覚を抱いたのは生まれて初めてだ。


 きっと心優しい女の子に違いない。彼女の笑顔は世界を平和にして、人々の心を豊かにする。


「あぁ……どうしよう……頭から離れない……」


 馬車が軍司令部のすぐそばまでやってきても、俺の頭の中は相も変わらずリルル王女のことでいっぱいだった。

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