第5話 神と人間をごっちゃにしてしまう日本人

  日本には「心・技・体」という「武道などで重視する、精神・技術・肉体の三つの要素。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店」という、同じような考え方があります。


  異なるのは、日本では心と精神が一緒なのに対し、西洋(キリスト教世界)では、mental とspiritualが別物である、という点です。

これは彼らが一神教だから。太陽や大自然という絶対的な神の元に、イエス・キリストだのモハメッドだのがいる。イエス・キリストもモハメッドも神の代弁者でしかないのであって、根本原理は太陽や大自然の営みを運行する神なのです。

人間は太陽ではないのですから、人間が神になれるわけがない。

神と人間はあくまで別物と考えるキリスト教やイスラム教では、人間はphysicalと mentalを鍛えることで、神の境地(spiritual )に限りなく近づこうとする(が、決して神にはなれない)。神に近づこうとしたイカロスは、父の発明した翼で空中を飛んだが、太陽の熱で翼の蠟が溶け海に落ちて死んだという。

一方、日本の場合、人間であっても死ねば神になれる(人もいる)。日露戦争における功績によって、軍神と讃えられた東郷平八郎(1847~1934)という軍人は死んで東郷神社になりました。1805年のトラファルガー海戦で有名なイギリスのネルソン提督(1758~1805)は勇敢に戦い、戦死しましたが、神にはなりませんでした。

どちら良い悪い、というような話ではもちろんないのですが、人間と神を一緒くたにすると、天皇を現人神(あらひとがみ)という「生きた神」にしてしまう、という悪弊がいつまで経ってもなくならない。

オレオレ詐欺どころではありません。宝くじという詐欺、年金詐欺、健康保険詐欺、医療詐欺、消費税詐欺といった、お上だとか権威という殻をかぶった詐欺を神と見間違えて容易にだまされるのは、「日本人の神観」が悪用されている姿といえるでしょう。

昨日のネットのニュースで。「泥棒が政治をやっている」と、憤懣やるかたなき年配の男性の映像がありましたが、いまや、民衆が「政治家こそ詐欺師、つまり政治の専門家ではなく、政治で金儲けを企む商売人 → 政治屋」という認識が広まっているのでしょう。

まあ、たとえ民衆の100%がそう思ったとしても、政治屋・マスコミ屋・警察屋という3大バカの神が存在する以上、何も変わらず、この3バカというハメルンの笛吹き(神の仮面をかぶった商売人たち)に導かれて堕落していくしかないのです。

坂口安吾が「堕落論(1946年)」で「日本人は敗戦(1945年)で堕落したのではない、人間だから堕落するのだ」と仰ったそうですが、人間である政治屋・マスコミ屋・警察屋を神と勘違いするから、だと私は思います。

その意味で、日本人は「physical, mental, and spiritual health、 肉体と精神と魂の成長」というようにして、神と人間とを分けて考える習慣をつけた方がいいのではないか。

別に大したことではありません。太陽は太陽であって人間ではない。いくら科学が発達しても太陽を作ったり、宇宙の運行・四季の移り変わりといったことを人間が代わりに行なうことはできない。

これが「神の味噌汁(神のみぞ知る)という謙虚な(humble)考え方ということなのですから。

*「humbleとは、神の前では誰もが等しい価値を持ち、自分だけ特別優れていると考えないで、偉ぶらない」、おごらないという意味の謙虚さを意味する。

modestは、自分の達成したことを吹聴しない控えめな態度をいう。」*

山岸勝榮「スーパー・アンカー英和辞典」 第5版 株式会社学研プラス

2024年4月9日

V.1.1

2024年4月10日

V.2.1

2024年4月11日

V.3.1

平栗雅人

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The noble science としての大学日本拳法 V.3.1 @MasatoHiraguri

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